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【保存版】阿弥陀如来は極楽浄土の仏!真言・ご利益・役割を詳しく解説

2021年12月21日

平等院鳳凰堂

阿弥陀如来は極楽浄土の仏です。

阿弥陀如来を信じ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えれば、死後に極楽浄土へと導いてくれます。

この記事では、阿弥陀如来の真言やご利益、役割などについてまとめました。

阿弥陀如来は浄土三部経(じょうどさんぶきょう)で特に説かれている仏ですが、大乗仏教の経典に最も多く登場している仏になります。

ぜひ参考にしてみてください。

浄土三部経は無量寿経(むりょうじゅきょう)、観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)、阿弥陀経の三経典の総称。

阿弥陀如来の真言

阿弥陀如来の真言はこちらです。

サンスクリット語日本語
オーン アムリタ テージェー ハラ フゥーン
oṃ amṛta-teje hara hūṃ
おん あみりた ていぜい から うん

阿弥陀如来のご利益

阿弥陀如来の主なご利益は極楽往生です。

往生(おうじょう)とは、現世を去った後に極楽浄土に往(い)き生まれること。大乗仏教の成仏論の1つ。

本来の意味は悟りを開くために他の世界に往って生を受けること。

現世ご利益ではありませんが、死後の安楽を約束してくれる仏が阿弥陀如来です。

阿弥陀如来の四十八願 (しじゅうはちがん)の第十八願に「衆生が真実の心をもって深く信じ、極楽浄土への往生を願い、十回南無阿弥陀仏と称えたら必ず往生させる」とある。浄土教の教えの根本になっている。

[第十八願]念仏往生願(ねんぶつおうじょうがん)・至心信楽(ししんしんぎょう)の願

たとえ、わたくしが仏になる時が来ても、十方の衆生が至心信楽、すなわち、心から我が本願を信じ、わが国土に往生したいと願って乃至十念、十回だけでも我が仏名を称え、もし往生することができないようであれば、わたくしは仏になりません。ただ、母殺し・父殺しなどの五逆の重い罪と、正しく示された法を誹謗する深い背徳の人は、除かねばなりません。

全文現代語訳 浄土三部経
浄土三部経
浄土三部経

尊名の由来

阿弥陀如来のサンスクリット語の名称(梵名/ぼんめい)は「アミターバ(Amitābha)」、もしくは「アミターユス(Amitāyus)」でそれぞれ次の意味があります。

梵名意味
アミターバ(Amitābha)世界を無限に照らす光。仏の光明は無量にして十方諸仏の国々を照らし、その光をさえぎるものはない。
アミターユス(Amitāyus)無限の寿命。仏もその国(極楽国土)の民も寿命は無量無辺にして阿僧祇劫(あそうぎこう)の長さ。阿僧祇劫は極めて長い時間のこと。

阿弥陀はアミターバ、またはアミターユスの音写。

アミターバ、アミターユスを漢訳し、阿弥陀如来のことを無量光如来(アミターバ)、無量寿如来(アミターユス)ともいいます。

甘露(かんろ)を意味する「アムリタ(amṛta)」とも関係あるとされ、阿弥陀如来のことを甘露王如来(かんろおうにょらい)ともいう。

甘露は神が常用する飲物。蜜のように甘く、飲むと不老不死になると伝わる。

密教曼荼羅
密教曼荼羅

阿弥陀如来の役割

阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主です。

西方極楽浄土は「この世から西方十万憶土(じゅうまんおくど)の彼方にある安楽の世界」のこと。

十万憶土は極楽浄土に至るまでに無数にある仏土のこと。この世から極楽までは果てしなく遠いことを示す。

極楽浄土への往生を願う衆生を、死後に極楽浄土へと導いてくれます。

男であれ女であれ、阿弥陀仏について説かれるのを聞いて往生を願い、「南無阿弥陀仏」の名号を称えたとします。そうして、もしも一日、もしも二日、もしも三日、もしも四日、もしも五日、もしも六日、もしも七日、一心不乱であるならば、その人の今生の命が終わる臨終のときに、阿弥陀仏は多くの菩薩や聖者・天人たちを従えて来迎し、その人の前に現れます。その人は、たとえ死に臨んで病は重く、身体は衰えていたとしても、心は乱れることなく安らいで、すぐに阿弥陀仏の極楽浄土に往生することができます。

全文現代語訳 浄土三部経

法然を宗祖とする浄土宗、親鸞を宗祖とする浄土真宗では阿弥陀如来が本尊になり、浄土三部経が根本経典となっています。

密教では五仏(五智如来)の一尊。「一切のものを正確に認識する智」である妙観察智(みょうかんざっち)を司る。

阿弥陀如来の姿形

阿弥陀如来の姿は様々ありますが、次の印(印相)を結ぶ阿弥陀像が多くみられます。

  • 施無畏印(せむいいん)と与願印(よがんいん)
  • 転法輪印(てんぽうりんいん)
  • 阿弥陀定印(あみだじょういん)
  • 来迎印(らいごういん)

時代的には施無畏印と与願印、転法輪印を結んだものが古い。続いて阿弥陀定印、来迎印という順序になる。

施無畏印と与願印を結ぶ阿弥陀像は7世紀に作られた。転法輪印を結ぶ阿弥陀像は平安時代初期以前に多く見られる。阿弥陀定印を結ぶ阿弥陀像は、平安時代に密教が伝わったことにより、密教曼荼羅の阿弥陀像に基づいて造像が行われるようになった。来迎印を結ぶ阿弥陀像は、末法思想により極楽浄土の信仰が流行した平安後期に作られるようになった。

仏尊の事典
仏尊の事典

1つずつ見ていきましょう。

①施無畏印と与願印

如来坐像(伝阿弥陀如来)
如来坐像(伝阿弥陀如来)

画像左(阿弥陀如来像の右手)が施無畏印、画像右(阿弥陀如来像の左手)が与願印です。

詳細
施無畏印右手を胸の前に構え、指を上に向け、手のひらを前に向ける。衆生の恐れを除いて救う施無畏の功徳を示す。
与願印左手を腹の高さに構え、手を下げて指を下に向け、手のひらを前に向ける。坐像の場合は手のひらを上に向けて膝上に乗せる。衆生の願いを聞き届け、円満に導く(願いを叶える)ことを示す。

施無畏印と与願印の組み合わせを通仏相(つうぶつそう)ともいう。通仏相は釈迦如来をはじめ多くの如来が示す印。

②転法輪印

木造阿弥陀如来坐像
木造阿弥陀如来坐像
詳細
転法輪印両手を胸の前にあげ、親指と他の指で輪を作る。親指と合わせる指は人差し指が固定ではなく、親指と中指、親指と薬指で輪を作るなど様々なバリエーションがある。釈迦が説法した時の姿を表す。

転法輪印は如来が説法する時の印。法輪(仏の教え)で煩悩を祓い、身心を清めることを示す。説法印(せっぽういん)ともいう。

③定印

阿弥陀如来坐像(定印)
阿弥陀如来坐像(定印)
詳細
阿弥陀定印腹の前で両手の手のひらを重ね、親指と人差し指で輪を作る。親指と中指、親指と薬指で輪を作るものもある。極楽浄土にいる阿弥陀如来を表す印。妙観察智印(みょうかんざっちいん)ともいう。

④来迎印

阿弥陀如来坐像
阿弥陀如来坐像
詳細
来迎印右手を胸の前に構え、指を上に向け、手のひらを前に向け、親指と人差し指で輪を作る。左手を腹の高さに構え、手を下げて指を下に向け、手のひらを前に向け、親指と人差し指で輪を作る。親指と中指、親指と薬指で輪を作るものもある。

施無畏印・与願印と似ているが来迎印は指を輪を作る。阿弥陀如来が極楽浄土から往生者を迎えに来る時の印。

九品往生

浄土教では衆生の生前の行いにより、極楽浄土に生まれ変わる時のパターンが異なります。

これを九品往生(くほんおうじょう)といい、全部で次の9つのパターン(等級)があると観無量寿経に説かれています。

  1. 上品上生(じょうぼんじょうしょう)
  2. 上品中生(じょうぼんちゅうしょう)
  3. 上品下生(じょうぼんげしょう)
  4. 中品上生(ちゅうぼんじょうしょう)
  5. 中品中生(ちゅうぼんちゅうしょう)
  6. 中品下生(ちゅうぼんげしょう)
  7. 下品上生(げぼんじょうしょう)
  8. 下品中生(げぼんちゅうしょう)
  9. 下品下生(げぼんげしょう)

大きく「上品・中品・下品」の3つに分けられ、その中にそれぞれ「上生・中生・下生」がある。上品は勝れた人々、中品は中位の人々、下品は劣った人々。上品上生が最高の往生になり、下品下生が最も下になる。

わかりやすく言えば、上品がファーストクラス、中品がビジネスクラス、下品がエコノミークラスで、それぞれのクラスに「良い席・普通の席・節約席」があるようなイメージです。

九品往生
九品往生

この9つのパターン(等級)により、「極楽浄土に往生する際に対象者を迎えに来る仏や菩薩などのメンバー」や「乗り物」、「極楽国土に生まれ変わった後の待遇」などが大きく異なります。

九品往生についてはこちら↓で詳しくお伝えしています。

阿弥陀如来の起源

阿弥陀如来の起源には様々な説がありますが、無量寿経には「阿弥陀如来も釈迦と同じようにインドの王族の王子だったが、世自在王仏(せじざいおうぶつ)に師事し、法蔵(ほうぞう)と名乗って修行者になり、五劫という長い時間考えて四十八の誓願(四十八願)を立て、それを成就したことによって仏になった」とあります。

ちなみに、阿弥陀如来が四十八願を成就して仏になったのは今から十劫の過去のことです。

劫(こう)とは極めて長い時間の単位。劫はサンスクリットのカルパ(kalpa)の音写。

阿弥陀如来の日本伝来も古く、聖徳太子が著書「維摩経義疏(ゆいまきょうぎしょ)」で無量寿経から引用しています。

阿弥陀如来の四十八願

阿弥陀如来は法蔵菩薩の時に次の四十八の誓願を仏の御前で宣告し、成就したことによって仏になりました。

仏になる時が来ても、四十八の誓願が成就できない場合は仏にならないと宣告した。

誓願内容
第一願
無三悪趣願
(むさんなくしゅがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土に地獄道・餓鬼道・畜生道に迷い苦しむ者があれば、私は仏にはなりません。
第二願
不更悪趣願
(ふきょうあくしゅがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の人々や神霊が寿命を終えた後、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に戻る(生まれ変わる)ようなことがあれば、私は仏にはなりません。
第三願
悉皆金色願
(しっかいこんじきがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の人々や神霊がみな金色に輝いていないようであれば、私は仏にはなりません。
第四願
無有好醜願
(むうこうしゅがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の人々や神霊の姿が異なり、美しい・醜いの区別があるようであれば、私は仏にはなりません。
第五願
宿命智通願・令識宿命の願
(しゅくみょうちつうがん・りょうしきしゅくみょうのがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の人々や神霊が自身の過去世を知る能力(宿命智通)を得られず、計り知れないほど遠い過去のことを知ることができないようであれば、私は仏にはなりません。
第六願
天眼智通願・令得天眼の願
(てんげんちつうがん・りょうとくてんげんのがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の人々や神霊がはるか遠くや未来を見通す能力(天眼智通)を得られず、無数の諸仏の国々を見通すことができないようであれば、私は仏にはなりません。
第七願
天耳智通願・天耳遥聞の願
てんにちつうがん・てんにようもんのがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の人々や神霊があらゆることを聞き取る能力(天耳智通)を得られず、無数の諸仏の言葉を聞き取り、記憶することができないようであれば、私は仏にはなりません。
第八願
他心智通願・他心悉知の願
(たしんちつうがん・たしんしっちのがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の人々や神霊が他人の心を知る能力(他心智通)を得られず、無数の諸仏の国々の衆生の心の思いを知ることができないようであれば、私は仏にはなりません。
第九願
神境智通願・神足如意の願
(じんきょうちつうがん・じんそくにょいのがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の人々や神霊が望む所に瞬時に移動する能力(神足通)を得られず、瞬く間に無数の諸仏の国々を往来することができないようであれば、私は仏にはなりません。
第十願
速得漏尽願・不貪計心の願
(そくとくろじんがん・ふとんげしんのがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の人々や神霊が漏尽通の能力を得られず、煩悩に駆られて貪欲(とんよく)に執着するようであれば、私は仏にはなりません。

*漏尽通は煩悩を無くし、再び迷いの世界に生まれないことを悟る智慧のこと
第十一願
住正定聚願・必至滅度の願
(じゅうしょうじょうじゅがん・ひっしめつどのがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の人々や神霊が正定聚となり、必ず滅度(悟りの境地/解脱)に至らないならば、私は仏にはなりません。

*正定聚は悟りに至ることが決まっている位のこと
第十二願
光明無量願
(こうみょうむりょうがん)
私が仏になる時が来ても、私が放つ光明に限りがあり、無数の諸仏の国々を照らすことができないようであれば、私は仏にはなりません。
第十三願
寿命無量願
(じゅみょうむりょうがん)
私が仏になる時が来ても、寿命に限りがあり、尽きるようなことがあれば、私は仏にはなりません。
第十四願
声聞無数願・声聞無量の願
(しょうもんむしゅがん・しょうもんむりょうのがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の声聞(出家の修行者)の数に限りがあり、どれほど長い時間がかかったとしても、三千大千世界の声聞・縁覚(えんがく)が力を合わせて計算すれば数えられるようであれば、私は仏にはなりません。

*声聞は出家の修行者、縁覚は仏の教えによらず独力で十二因縁を観じて理法を悟った者のこと
第十五願
眷属長寿願
(けんぞくちょうじゅがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の人々や神霊の寿命に限りがないようにできなければ、私は仏にはなりません。ただし、自分の願いで寿命の長短を自由にしたい者はその限りではありません。
第十六願
無諸不善願・離諸不善の願
(むしょふぜんがん・りしょふぜんのがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の人々や神霊に不善(道にはずれる)の者がある、もしくは不善といわれるような者があるなら、私は仏にはなりません。
第十七願
諸仏称揚願・諸仏称名の願
(しょぶつしょうようがん・しょぶつしょうみょうのがん)
私が仏になる時が来ても、あらゆる世界の諸仏がみな我が仏名(阿弥陀仏)を讃えず、我が仏名を称えないようなことがあれば、私は仏にはなりません。
第十八願
念仏往生願・至心信楽の願
(ねんぶつおうじょうがん・ししんしんぎょうのがん)
私が仏になる時が来ても、あらゆる世界の衆生が真実のこころをもって我が誓いを深く信じ、極楽往生を願い、少なくとも十回念仏し、我が国土に往生できないようであれば、私は仏にはなりません。ただし、母殺し・父殺しなどの五逆の重い罪を犯した者と、仏法を誹謗する者は除きます。
第十九願
来迎引接願・至心発願の願
(らいこういんじょうがん・ししんほつがんのがん)
私が仏になる時が来ても、あらゆる世界の衆生が菩提心を発(おこ)して功徳を積み、真のこころで我が国土に往生したいと願ったのに、その人の臨終の時に私が聖衆(しょうじゅ)と共にその人の前に現れることができないようであれば、私は仏にはなりません。

*菩提心は悟りを求める心、聖衆は菩薩、声聞、縁覚、比丘(びく)など聖者の集まりのこと
第二十願
係念定生願・植諸徳本の願・至心回向の願
(けねんじょうしょうがん・しょくしょとくほんのがん・ししんえこうのがん)
私が仏になる時が来ても、あらゆる世界の衆生が我が仏名を聞き、我が国土に思いを募らせ、様々な功徳を積み、心から我が国土に生まれたいと願ったのに、それを遂げることができないなら、私は仏にはなりません。
第二十一願
三十二相願・具足諸相の願
(さんじゅうにそうがん・ぐそくしょそうのがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の人々や神霊がもれなく、仏の三十二の瑞相(ずいそう/しるしのこと)を具えないようなことがあるならば、私は仏にはなりません。
第二十二願
必至補処願・一生補処の願・還相回向の願
(ひっしふしょがん・いっしょうふしょのがん・げんそうえこうのがん)
私が仏になる時には、他の諸仏の国々から我が国土に往生する菩薩たちは必ず一生補処の菩薩に至らせます。ただし、思いのままに衆生を救い導くと誓いを建て、その誓いを鎧として身に纏い、功徳を積み、諸仏の国で衆生を救済しようと菩薩行を修する者たちはその限りではありません。その菩薩たちはあらゆる世界の諸仏を供養し、無量無数の衆生を教化し、無上正真(むじょうしょうしん)の仏道に導きます。この菩薩たちは本来歩むべき菩薩道を飛び越え、普賢菩薩の徳を現します。そうならないのであれば、私は仏にはなりません。

*一生補処は次の世に仏となることが約束された菩薩の位、無上正真の道は「仏の悟りの智慧」である阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)のこと
第二十三願
供養諸仏願
(くようしょぶつがん)
私が仏になる時には、我が国土の菩薩たちは私の威神力により、わずか一食をとるほどの短い時間に、無量無数の世界に赴き、諸仏に敬いをささげ、供養できるようにします。そうならないのであれば、私は仏にはなりません。
第二十四願
供具如意願・供養如意の願
(くぐにょいがん・くようにょいのがん)
私が仏になる時には、我が国土の菩薩たちが諸仏を供養して功徳を積みたいと願った時、供養の品を意のままに現出できるようにします。それができないようであれば、私は仏にはなりません。
第二十五願
説一切智願
(せついっさいちがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の菩薩たちが「一切のものを完全に知る智慧(一切智)」を得て説法できないようであれば、私は仏にはなりません。
第二十六願
那羅延身願・得金剛身の願
(ならえんじんがん・とくこんごうしんのがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の菩薩たちが金剛堅固なナーラーヤナ神(Nārāyaṇa)の身体を得られないのであれば、私は仏にはなりません。

*ナーラーヤナは那羅延天(ならえんてん)のこと。那羅延天はヒンドゥー教のヴィシュヌの異名
第二十七願
所須厳浄願・万物厳浄の願
(しょしゅごんじょうがん・まんもつごんじょうのがん)
私が仏になる時には、我が国土の人々や神霊、万物は清らかで光り輝き、形も色も非常に素晴らしく、その特性は天眼の力を得た者でも讃えきれないほどのものにします。そうでなければ、私は仏にはなりません。
第二十八願
見道場樹願・道場樹の願
(けんどうじょうじゅがん・どうじょうじゅのがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の菩薩はもちろん、功徳が少ない者でも、道場樹が無量の色彩と輝きを放ち、高さ四百万里に及ぶ姿を明らかに見てとることができないようであれば、私は仏にはなりません。

*道場樹は仏の悟りの座にそびえる菩提樹のこと
第二十九願
得弁才智願
(とくべんざいちがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の菩薩が経典の教えを見聞きし、復唱、暗唱し、それを説いて弁才(巧みに話す能力)と智慧を得ることができないようであれば、私は仏にはなりません。
第三十願
智弁無窮願・弁才無尽の願
(ちべんむぐうがん・べんざいむじんのがん)
私が仏になる時が来ても、我が国土の菩薩の智慧と弁才に限りがあるならば、私は仏にはなりません。
第三十一願
国土清浄願
(こくどしょうじょうがん)
私が仏になる時には、我が国土は澄み切った鏡が一切の現象を正確に映し出すように、あらゆる諸仏の世界を映し出せるように清浄にします。そのようにできないのであれば、私は仏にはなりません。
第三十二願
国土厳飾願・妙香合成の願
(こくどごんじきがん・みょうこうごうじょうのがん)
私が仏になる時には、我が国土の宮殿、楼閣、池、水流、花、草木など、万物を無量の宝石で飾り、しかも百千種の香を醸し出し、天上界の神と人々の美しさを超えるようにします。その香はあらゆる世界に広がり、菩薩が仏道に励むようにします。そうならなければ、私は仏にはなりません。
第三十三願
触光柔軟願
(そっこうにゅうなんがん)
私が仏になる時には、あらゆる世界の衆生が我が光明に照らされたなら、心身ともに柔軟になり、天上界の神と人々よりも優れたものになるようにします。そうでなければ、私は仏にはなりません。
第三十四願
聞名得忍願
(もんみょうとくにんがん)
私が仏になる時には、あらゆる世界の衆生が我が仏名を聞いたなら、一切のものは不生不滅である真理(無生法忍/むしょうぼうにん)を認識し、仏法を記憶して忘れない力(深総持/じんそうじ)を得るようにします。そうでなければ、私は仏にはなりません。
第三十五願
女人往生願・変成男子の願
(にょにんおうじょうがん・へんじょうなんしのがん)
私が仏になる時には、あらゆる世界の女性が我が仏名を聞いて心から喜び、菩提心を発し、自ら女性であることを厭う場合、寿命が終えた後に再び女性に生まれないようにします。そうでなければ、私は仏にはなりません。
第三十六願
常修梵行願・聞名梵行の願
(じょうしゅうぼんぎょうがん・もんみょうぼんぎょうのがん)
私が仏になる時には、あらゆる世界の菩薩が我が仏名を聞いたら、寿命が終えた後も清浄な修行をして、仏道を成就できるようにします。それができないようであれば、私は仏にはなりません。
第三十七願
人天致敬願・作礼致敬の願
(にんでんちきょうがん・さらいちきょうのがん)
私が仏になる時には、あらゆる世界の神々や人々が我が仏名を聞いたら、五体投地して礼拝し、心から喜んで菩薩の行を修し、他の世界の神々と人々から敬われるようにします。そうでなければ、私は仏にはなりません。
第三十八願
衣服随念願
(えぶくずいねんがん)
私が仏になる時には、我が国土の人々や神霊が衣服を望んだら、諸仏のお褒めにあずかるような法衣が自然と現れ、気づかぬうちに身に纏っているようにします。その衣服は繕ったり、染め直したり、洗濯の必要がないものです。そうならなければ、私は仏にはなりません。
第三十九願
受楽無染願・常受快楽の願
(じゅらくむぜんがん・じょうじゅけらくのがん)
私が仏になる時には、我が国土の人々や神霊の幸福を、全ての煩悩を断ち切った出家修行者のように清らかなものにします。そうでなければ、私は仏にはなりません。
第四十願
見諸仏土願
(けんしょぶつどがん)
私が仏になる時には、我が国土の菩薩たちが数限りない厳浄な諸仏の国々を見たいと願うなら、その国々を我が国土の宝樹の中に映し出し、鏡に映った自分の顔を見るかのように、その国々を願いのままに見ることができるようにします。それができないようであれば、私は仏にはなりません。
第四十一願
諸根具足願・聞名具根の願
(しょこんぐそくがん・もんみょうぐこんのがん)
私が仏になる時には、他方の世界の菩薩たちが我が仏名を聞いたら、彼らが仏となるまでの間、「眼・耳・鼻・舌・身・意」の感覚に不自由がないようにします。そうでなければ、私は仏にはなりません。
第四十二願
住定供仏願・聞名得定の願
(じゅうじょうくぶつがん・もんみょうとくじょうのがん)
私が仏になる時には、他方の世界の菩薩たちが我が仏名を聞いたら、一人残らずみな煩悩から離れた清らかな境地(清浄解脱三昧)を得られるようにします。この境地にある間は、数限りない無数の諸仏を瞬時に供養することができ、しかもその境地を失うことがないようにします。そうでなければ、私は仏にはなりません。
第四十三願
生尊貴家願・聞名生貴の願
(しょうそんきけがん・もんみょうしょうきのがん)
私が仏になる時には、他方の世界の菩薩たちが我が仏名を聞いたら、命が尽きた後、人々に尊ばれる家に生まれるようにします。そうでなければ、私は仏にはなりません。
第四十四願
具足徳本願・聞名具徳の願
(ぐそくとくほんがん・もんみょうぐとくのがん)
私が仏になる時には、他方の世界の菩薩たちが我が仏名を聞いたら、踊り上がらんばかりに喜び、菩薩行を修し、様々な功徳を具えるようにします。そうでなければ、私は仏にはなりません。
第四十五願
住定見仏願・聞名見仏の願
(じゅうじょうけんぶつがん・もんみょうけんぶつのがん)
私が仏になる時には、他方の世界の菩薩たちが我が仏名を聞いたら、一人残らずみな諸仏を一斉に見ることができる境地(普等三昧/ふとうざんまい)を得て、成仏するまで常に一切の仏を見ることができるようにします。それができないようであれば、私は仏にはなりません。
第四十六願
随意聞法願
(ずいいもんぼうがん)
私が仏になる時には、我が国の菩薩たちは聞きたいと願った教えを自然に聞けるようにします。それができないようであれば、私は仏にはなりません。
第四十七願
得不退転願・聞名不退の願
(とくふたいてんがん・もんみょうふたいのがん)
私が仏になる時には、他方の世界の菩薩たちが我が仏名を聞いたら、仏道から退転しない境地(不退転)にただちに至ることができるようにします。それができないようであれば、私は仏にはなりません。
第四十八願
得三法忍願
(とくさんぼうにんがん)
私が仏になる時には、他方の世界の菩薩たちが我が仏名を聞いたら、ただちに「音響忍(おんこうにん)・柔順忍(にゅうじゅんにん)・無生法忍(むしょうぼうにん)」の三法忍を得て、諸仏の仏道において不退転の境地に至ことができるようにします。それができないようであれば、私は仏にはなりません。

*音響忍は真理の教えを知る智慧、柔順忍は真理の教えにしたがう智慧、無生法忍は一切のものは不生不滅であると悟る智慧のこと。

 まとめ

阿弥陀如来の理解度を深めると、阿弥陀如来の真言を唱えた時の力が強まります。お伝えした内容があなたの参考になれば幸いです。

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園 善博|この記事を書いた人

京都出身の速習法インストラクター。経営の神様と呼ばれた松下幸之助など数多くの有名企業が神仏に祈念しているのを見て「目に見えない運気を高めることが成功につながる」と考え、独立してから風水や西洋魔術、神道、真言密教、陰陽道など、多岐に渡るジャンルを先生に師事し、15年以上学ぶ。独自の「速習法」や「勉強法」を公開した書籍は10冊を超え、講師歴12年で10,000名以上の受講生を輩出。→プロフィール詳細へ

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