伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、伊邪那美命と共に日本国土と沢山の神々を生んだ万物創造の神様です。この記事では伊邪那岐命のご利益や役割などについてまとめました。ぜひ参考にしてみてください。
伊邪那岐命のご利益
伊邪那岐命は伊邪那美命と共に日本国土を誕生させ、多くの自然神や文化神を誕生させたことから「国堅めの神」や「生命の祖神」とされています。
日本の総氏神とされる天照大御神を含む「三貴子」などの父神でもある伊邪那岐命の主なご利益はこちらです。
- 厄除け
- 開運
- 夫婦円満
- 恋愛成就
- 子孫繁栄
- 安産祈願
- 縁結び
- 商売繁盛
- 病気平癒
- 健康長寿
- 豊作
- 大漁
神名の由来
伊邪那岐命の神名の由来は諸説あります。
- 「誘う(いざなう)」の「いざな」が語源で、「ぎ」は男性を表す語。伊邪那美命と天の御柱を巡り、互いに声を掛けて誘い合い国生みをしたことから、「誘う」男と女が語源となっているという説。
- 「いざ」は「磯(いそ)」で、「なぎ」は「凪(なぎ)」。伊邪那岐命と伊邪那美命が天沼矛(あめのぬぼこ)で海水を掻き回して、矛の先から滴り落ちた塩が積もって淤能碁呂島(おのごろじま)が出来上がったことから、海に関わる名称が付けられたという説。
- 「功績」の「功(いさを)」が語源で、「き」は男性を表す語。
- サンスクリットの「伊舎那天(いざなてん・いしゃなてん)」が由来。古代インドで信仰されていたヒンドゥー教やバラモン教の神々が仏教に取り込まれ、護法善神となった十二天の中の「伊舎那天(いざなてん・いしゃなてん)」が由来しているとする説。
読みは「いざなぎ」または「いざなき」です。
伊邪那岐命の誕生
伊邪那岐命は神世七代(かみよななよ)の第七代で、伊邪那美命と共に生まれました。
伊邪那岐命と伊邪那美命は日本最古の夫婦神の一組です。淤能碁呂島(おのごろとう)で結婚をし、多くの子(国・神)を生んだ二神は「結婚の神」と崇められ、夫婦円満や子孫繁栄、縁結びの御利益をもたらす神様とされています。
<神世七代とは>
天地開闢のとき、高天原で別天津神(ことあまつかみ)の次に現れた十二柱七代の神を「神世七代」という。最初の二代は一柱で一代、三代から七代は男神と女神の二柱で一代である。(↓左側が男神、右側が女神)
一代:国之常立神(くにのとこたちのかみ)
二代:豊雲野神(とよくもののかみ)
三代:宇比地邇神(うひぢにのかみ)、須比智邇神(すひぢにのかみ)
四代:角杙神(つぬぐいのかみ)、活杙神(いくぐいのかみ)
五代:意富斗能地神(おおとのぢのかみ)、大斗乃辨神(おおとのべのかみ)
六代:淤母陀琉神(おもだるのかみ)、阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
七代:伊邪那岐神(いざなぎのかみ)、伊邪那美神(いざなみのかみ)
日本書紀では天地開闢の最初に現れた十一柱七代の神を神世七代としている。
一代:国常立尊(くにのとこたちのみこと)
二代:国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
三代:豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
四代:泥土煮尊(ういじにのみこと)、沙土煑尊(すいじにのみこと)
五代:大戸之道尊(おおとのぢのみこと)、大苫邊尊(おおとまべのみこと)
六代:面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)
七代:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと) ※左側が男神、右側が女神
伊邪那岐命の役割
伊邪那岐命の主な役割を2つご紹介します。
①国生みの神
伊邪那岐命は伊邪那美命ともに沢山の島国を生み、日本国土を創り出した「国生みの神」です。
②神生みの神
伊邪那岐命は伊邪那美命と共に国生みを終えた後、沢山の神々を生んだ「神生みの神」でもあります。
国生み
伊邪那岐命と伊邪那美命は、天津神に「漂っている国土を固めよ」と命じられ、天沼矛(あめのぬぼこ)を渡されます。その矛で海を搔き回すと淤能碁呂島(おのごろじま)が出来上がり、そこに降りて国生みをはじめます。
二神は天の御柱と八尋殿(やひろどの:大きな御殿)を建て、お互いに天の御柱の周りを巡り出会ったら御陰の目合い(みとのまぐわい)をして国を生もうと決めます。
御陰の目合い(みとのまぐわい)は男女が交合すること。 伊邪那岐命が伊邪那美命に「おまえのからだはどのようにできているか」と聞くと、まだ足りない部分があると答えた。そこで伊邪那岐命は「私には余っている部分が一箇所ある。その余っている部分でおまえの足りない部分を指し塞いで国を生むのはどうだろうか」と言った。
天の御柱を伊邪那岐命が左から伊邪那美命が右から廻り、そのときに伊邪那美命が先に「なんて愛おしい男だろう」と声を掛けました。そして目合い生まれたのが水蛭子(ひるこ)と淡島でした。水蛭子は不具の子だったため葦船に入れて流し捨て、淡島も子の数には入れませんでした。
二神は何故まともな子が生まれないのかと天津神に相談しに行くと、女性から声を掛けたのがいけないと言われ、今度は伊邪那岐命から声を掛け目合うとたくさんの子(島)が生まれました。
日本書紀の国生みでは、古事記と同じく磤馭慮嶋(おのごろじま)で結婚し沢山の島国を生みますが、天津神は登場せず伊邪那岐命と伊邪那美命の二神で話し合いをして国生みを進めます。
日本書紀で伊弉諾尊と伊弉冉尊が生んだ島〈日本書記本文〉
- 淡路州(あわじしま)=淡路島
- 大日本豊秋津州(おおやまととよあきつしま)=本州
- 伊豫二名洲(いよのふたなしま)=四国
- 筑紫洲(つくししま)=九州
- 億岐洲(おきのしま)=隠岐島、佐度洲(さどのしま)=佐渡島
- 越州(こしのしま)=北陸道
- 大州(おおしま)=屋代島
- 吉備子州(きびこじま)=児島半島
神生み
伊邪那岐命と伊邪那美命は国生みを終えると、沢山の神々を生みはじめます。途中、伊邪那美命は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んだ際、陰部に火傷を負い死んでしまいますが、病に苦しんだ伊邪那美命の吐瀉物や糞尿などからも神が生まれます。
伊邪那美命の死を悲しんだ伊邪那岐命は火之迦具土神を切り殺し、そこからも神が生まれます。そして伊邪那美命を追いかけ黄泉の国を訪れますが、蛆がたかり腐った体となってしまった伊邪那美命の姿に驚き逃げ帰ります。
伊邪那美命と離縁した伊邪那岐命は、黄泉の国での穢れを落とすために禊を行うと更に沢山の神々が生まれます。そして最後に天照大御神、月読命、須佐之男命の三貴子が生まれました。伊邪那岐命はこの三貴子の誕生を大いに喜び、それぞれに高天原、夜の世界、海原を統治するよう命じました。
①伊邪那岐命と伊邪那美命が生んだ神一覧
〈伊邪那美命とともに生んだ神〉
・大事忍男神(おおことおしをのかみ)
・石土毘古神(いはつちびこのかみ)
・石巣比売神(いはすひめのかみ)
・大戸日別神(おおとひわけのかみ)
・天之吹男神(あめのふきおのかみ)
・大屋毘古神(おほやびこのかみ)
・風木津別之忍男神(かざもつわけのおしをのかみ)
・大綿津見神(おおわたつみのかみ)
・速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)
・速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)
〈速秋津日子神と速秋津比売神の子〉
・沫那藝神(あはなぎのかみ)
・沫那美神(あはなみのかみ)
・頬那藝神(つらなぎのかみ)
・頬那美神(つらなみのかみ)
・天之水分神(あめのみくまりのかみ)
・天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)
・国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)
・志那都比古神(しなつひこのかみ)
・久久能智神(くくのちのかみ)
・大山津見神(おおやまつみのかみ)
・鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)別名:野椎神
〈大山津見神と野椎神の子〉
・天之狭土神(あめのさづちのかみ)
・国之狭土神(くにのさづちのかみ)
・天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)
・国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)
・天之闇戸神(あめのくらどのかみ)
・国之闇戸神(くにのくらどのかみ)
・大戸惑子神(おおとまとひこのかみ)
・大戸惑女神(おおとまとひめのかみ)
・鳥之石楠船神(とりのいはくすぶねのかみ)別名:天鳥船(あめのとりふね)
・大宜都比売神(おおげつひめのかみ)
・火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)
別名:火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)
〈火傷を負い病に臥せった伊邪那美命の吐瀉物や糞尿から生まれた神〉
・金山毘古神(かなやまびこのかみ)※吐瀉物から
・金山毘売神(かなやまびめのかみ)※吐瀉物から
・波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)※屎から
・波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ)※屎から
・彌都波能売神(みつはのめのかみ)※尿から
・和久産巣日神(わくむすびのかみ)※尿から
〈和久産巣日神の子〉
・豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)
〈伊邪那美命の死に泣いた伊邪那岐命の涙から生まれた神〉
・泣沢女神(なきさわめのかみ)
〈伊邪那岐命が火之迦具土神を切り殺した十拳剣に付着した血から生まれた神〉
・石拆神(いはさくのかみ)※剣の先端から落ちた血から
・根拆神(ねさくのかみ)※剣の先端から落ちた血から
・石筒之男神(いはつつのをのかみ)※剣の先端から落ちた血から
・甕速日神(みかはやひのかみ)※刀身の根本から落ちた血から
・樋速日神(ひはやひのかみ)※刀身の根本から落ちた血から
・建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)※刀身の根本から落ちた血から
別名:建布都神(たけふつのかみ)、豊布都神(とよふつのかみ)
・闇淤加美神(くらおかみのかみ)※剣の柄から落ちた血から
・闇御津羽神(くらみつはのかみ)※剣の柄から落ちた血から
〈殺された迦具土神の身体から生まれた神〉
・正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)※頭から
・淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)※胸から
・奥山津見神(おくやまつみのかみ)※腹から
・闇山津見神(くらやまつみのかみ)※陰部から
・志藝山津見神(しぎやまつみのかみ)※左手から
・羽山津見神(はやまつみのかみ)※右手から
・原山津見神(はらやまつみのかみ)※左足から
・戸山津見神(とやまつみのかみ)※右足から
〈黄泉国で伊邪那美命の腐った体に生まれた神〉
・大雷(おおいかづち)※頭から
・火雷(ほのいかづち)※胸から
・黒雷(くろいかづち)※腹から
・拆雷(さくいかづち)※陰部から
・若雷(わかいかづち)※左手から
・土雷(つちいかづち)※右手から
・鳴雷(なるいかづち)※左足から
・伏雷(ふしいかづち)※右足から
〈黄泉国で伊邪那岐命が悪霊に投げた桃の実〉
・意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)
〈伊邪那岐命が黄泉平坂を塞いだ大石〉
・道返之大神(ちがえしのおおかみ)別名:黄泉戸大神(よみどのおおかみ)
〈黄泉国から戻り禊を行った際、投げ捨てた物から生まれた神〉
・衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)※杖から
・道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)※帯から
・時量師神(ときはかしのかみ)※袋から
・和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ)※衣から
・道俣神(ちまたのかみ)※袴から
・飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)※冠から
・奥疎神(おきざかるのかみ)※左手の腕輪から
・奥津那芸佐毘古神(おくつなぎさびこのかみ)※左手の腕輪から
・奥津甲斐弁羅神(おきつかひべらのかみ)※左手の腕輪から
・辺疎神(へざかるのかみ)※右手の腕輪から
・辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)※右手の腕輪から
・辺津甲斐弁羅神(へつかひべらのかみ)※右手の腕輪から
〈中流に潜って身体を洗い清めたときに、黄泉国の穢れから生まれた神〉
・八十禍津日神(やそまがつひのかみ)
・大禍津日神(おほまがつひのかみ)
〈その禍を直そうと生まれた神〉
・神直毘神(かむなおびのかみ)
・大直毘神(おほなおびのかみ)
・伊豆能売(いづのめ)
〈水の底で身体を洗い清めたときに生まれた神〉
・底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)※¹
・底筒之男神(そこつつのをのかみ)※²
〈水の中程で身体を洗い清めたときに生まれた神〉
・中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)※¹
・中筒之男神(なかつつのをのかみ)※²
〈水の表面で身体を洗い清めたときに生まれた神〉
・上津綿津見神(うはつわたつみのかみ)※¹
・上筒之男神(うはつつのをのかみ)※²
※¹阿曇連等は綿津見神の子である宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)の子孫で、三柱の綿津見神を祖神として信仰している。
※²底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神の三柱は住吉大社の三柱の大神(住吉三神)
〈顔を洗い清めたときに生まれた神〉
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)※左目から
・月讀命(つくよみのみこと)※右目から
・須佐之男命(すさのおのみこと)※鼻から
②日本書紀の神生み
日本書紀では次のようになっています。
【第五段本文】
伊弉諾尊と伊弉冉尊は大八州国(おおやしまくに)を生んだ後に海と川と山を生む。次に木の祖先の句句廼馳(くくのち)、草の祖先の草野姫(かやのひめ)を生んだ。次に、天下を治めるものを生もうと話し合い生まれたのが太陽神の大日孁貴(おおひるめのむち)。次に月神の月読尊、次に蛭子が生まれる。蛭子は三歳になっても足が立たなかったため天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)に乗せて流し捨てる。最後に素戔嗚尊が生まれる。
【第五段一書(一)】
伊弉諾尊が天下を治める子を生もうと白銅鏡(ますみのかがみ)を左手に持つと大日孁貴が生まれ、右手に持つと月弓尊が生まれ、首を回してよそ見をしている間に素戔嗚尊が生まれた。
【第五段一書(二)】
日神と月神が生まれた後に蛭子が生まれた。伊弉諾尊と伊弉冉尊が柱を巡ったときに陰神から先に声を掛けたため蛭子は三歳になっても足が立たなかった。次に素戔嗚尊が生まれた。次に鳥磐櫲樟橡船(とりのいわくすふね)が生まれたので、蛭子を載せて流し捨てた。次に火神の軻遇突智(かぐつち)が生まれたが、伊弉冉尊は焼け焦げて死んでしまった。その時に土神の埴山姫(はにやまひめ)と水神の罔象女(みずはのめ)が生まれた。軻遇突智が埴山姫を娶って稚産霊(わくむすひ)が生まれた。稚産霊の頭から蚕と桑が、臍から五穀が生まれた。
【第五段一書(三)】
伊弉冉尊が火産霊(ほむすひ)を生んで焼け死ぬとき、水神の罔象女と土神の埴山媛(はにやまひめ)と、天吉葛(あめのよさつら)が生まれた。
【第五段一書(四)】
伊弉冉尊は軻遇突智を生むときに熱に悶え苦しみ嘔吐した。その吐瀉物が金山彦(かなやまひこ)となった。小便は罔象女に、大便は埴山媛となった。
【第五段一書(五)】
伊弉冉尊は火神を生んだ時、その火に焼かれて死んでしまった。その後、紀伊国熊野の有馬村に葬られた。
【第五段一書(六)】
伊弉諾尊と伊弉冉尊は大八州国を生んだ。そして伊弉諾尊が朝霧を吹き飛ばそうとして吐いた息が神になった。級長戸邊命(しなとべのみこと)またの名を級長津彦命(しなつひこのみこと)と言い、風神である。そして飢えているときに生まれたのが倉稲魂命(うかのみたまのみこと)である。その後も下記の神が生まれた。
・海神、少童命(わたつみのみこと)
・山神、山祇(やまつみ)
・水門神、速秋津日命(はやあきつひのみこと)
・木神、句句廼馳(くくのち)
・土神、埴安神(はにやすのかみ)
・火神、軻遇突智(かぐつち)
伊弉冉尊が軻遇突智の火で焼け死んでしまったため伊弉諾尊は泣き喚き、その涙が啼澤女命(なきさわめのみこと)となった。伊弉諾尊は十握剣で軻遇突智を三段に斬り、斬られた部位のそれぞれが神となった。そして剣の刃から軻遇突智の血が垂れ、天安河の五百個の盤石となった。これが経津主神(ふつぬしのかみ)の祖先となった。また剣の鍔や剣先や柄からも血が垂れ、下記の神となった。
〈剣の鍔から垂れた血〉
・甕速日神(みかはやひのかみ)
・熯速日神(ひのはやひのかみ)※武甕槌神(たけみかづちのかみ)の祖先
もしくは
・甕速日神
・熯速日神
・武甕槌神
〈剣先から垂れた血〉
・磐裂神(いわさくのかみ)
・根裂神(ねさくのかみ)
・磐筒男命(いわつつのおのみこと)
※一説には磐筒男命と磐筒女命(いはつつのめのみこと)が生まれた
〈剣の柄から垂れた血〉
・闇龗(くらおかみ)
・闇山祇(くらやまつみ)
・闇罔象(くらみつは)
伊弉諾尊は伊弉冉尊を追って黄泉の国へ行き話し合った。伊弉諾尊が伊弉冉尊の蛆と膿にまみれた姿を覗き見てしまい、泉津醜女らに追われる。泉津平坂まで逃げ切った伊弉諾尊は大きな岩で坂道を塞ぎ、伊弉冉尊と絶縁した。その後に投げ捨てた物が下記の神となった。
〈杖〉岐神(ふなとのかみ)
〈帯〉長道磐神(ながちはのかみ)
〈衣〉煩神(わずらいのかみ)
〈褌〉開囓神(あきくいのかみ)
〈靴〉道敷神(みちしきのかみ)
そして泉津平坂を塞いだ大きな岩を泉門塞之大神(よみどのさえのおおかみ)、またの名を道返大神(ちがえしのおおかみ)という。黄泉の国から戻った伊弉諾尊は禊を行い、下記の神が生まれた。
〈中の瀬で濯いだときに生まれた神〉
・八十枉津日神(やそまがつひのかみ)
〈枉を直そうと生まれた神〉
・神直日神(かむなおひのかみ)
・大直日神(おおなおひのかみ)
〈海の底で濯いだときに生まれた神〉
・底津少童命(そこつわたつみのみこと)
・底筒男命(そこつつのおのみこと)
〈潮の中に潜って濯いだときに生まれた神〉
・中津少童命(なかつわたつみのみこと)
・中筒男命(なかつつのおのみこと)
〈潮の上に浮かんで濯いだときに生まれた神〉
・表津少童命(うわつわたつみのみこと)
・表筒男命(うわつつおのみこと)
〈左目を洗ったときに生まれた神〉
・天照大神(あまてらすおおかみ)
〈右目を洗ったときに生まれた神〉
・月読尊(つきよみのみこと)
〈鼻を洗ったときに生まれた神〉
・素戔嗚尊(すさのおのみこと)
【第五段一書(七)】
伊弉諾尊が軻遇突智を三段に斬ると、一段は雷神、一段は大山祇神(おおやまつみのかみ)、高龗(たかおかみ)となった。軻遇突智を斬ったときに血が飛び散り天八十河(あめのやそのがわ)の五百個の磐石を染め、磐裂神(いわさくのかみ)と根裂神(ねさくのかみ)になった。その子が磐筒男神(いわつつおのかみ)と磐筒女神(いわつつめのかみ)で、その子が経津主神(ふつぬし)である。
【第五段一書(八)】
伊弉諾尊が軻遇突智命を五段に斬ると、それぞれが五柱の山祇となった。首が大山祇(おおやまつみ)、体が中山祇(なかやまつみ)、手が麓山祇(はやまやまつみ)、腰が正勝山祇(まさかやまつみ)、足が䨄山祇(しぎやまつみ)となった。
【第五段一書(九)】
伊弉諾尊は死んでしまった伊弉冉尊に会うため殯斂(あらき)の宮に行き、伊弉冉尊と話し合いをした。伊弉諾尊が伊弉冉尊の腐って膨れてしまった姿を覗き見てしまい走り帰ろうとすると、伊弉冉尊の体の上にいた八色雷公(やくさのいかづち)が追いかけてきた。八色雷公とは、伊弉冉尊の首にいた大雷(おおいかづち)、胸にいた火雷(ほのいかづち)、腹にいた土雷(つちいかづち)、背にいた稚雷(わかいかづち)、尻にいた黒雷(くろいかづち)、手にいた山雷(やまいかづち)、足にいた野雷(のいかづち)、陰部にいた裂雷(さくいかづち)である。伊弉冉尊が八色雷公に投げつけた杖は岐神(ふなと)と言う。本来は来名戸之祖神(くなとのおやかみ)である。
【第五段一書(十)】
伊弉諾尊が伊弉冉尊を黄泉の国まで追いかけ話し合いをした。その後、伊弉諾尊が吐いた唾が速玉之男(はやたまのお)となり、掃き払うと泉津事解之男(よもつことさかのお)が生まれた。伊弉諾尊は黄泉の国を去り、橘之小門で禊を行った。水に入って息を吐くと磐土命(いわつちのみこと)、水から出て息を吐くと大直日神(おおなおひのかみ)が生まれた。また水に入り息を吐くと底土命(そこつちのみこと)、水から出て息を吐くと大綾津日神(おおあやつひのかみ)が生まれた。そしてまた水に入り息を吐くと赤土命(あかつちのみこと)、水から出て息を吐くと大地海原の諸神が生まれた。
伊邪那岐命と伊邪那美命の離縁
伊邪那岐命は、火神を生んだことで死んでしまった伊邪那美命を追いかけて黄泉国へと赴きます。
そこで伊邪那美命の変わり果てた醜い姿を覗き見てしまった伊邪那岐命は恐れをなして逃げ帰ろうとしますが、怒った伊邪那美命が追いかけてきます。
伊邪那岐命は黄泉国と地上世界の境目にある黄泉比良坂(よもつひらさか)まで逃げ切り、入り口を巨大な岩で塞ぎました。そして巨大な岩越しに伊邪那美命が「あなたの国の人々を一日に千人絞め殺しましょう」と言い、伊邪那岐命が「それならば私は一日に千五百の産屋を建てよう」と言い返し、これ以降、二神は完全に離縁しました。
この時から人の寿命が始まったとされ、これが人の死の起源を語る伝承であると考えられています。(参考:古事記の本)
伊邪那岐命|禊祓
黄泉国から逃げ帰ってきた伊邪那岐命は、黄泉国の穢れを落とすために筑紫の日向の筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊祓をしました。
その禊祓によって沢山の神々が生まれ、最後に生まれたのが、天照大御神、月読命、須佐之男命の三貴子です。
三貴子(みはしらのうずのみこ、さんきし)は伊邪那岐命自身が生んだ諸神中で、天照大御神、月読命、須佐之男命の三柱の神を最も貴いとしたことから「三貴子」または「三貴神」と呼ばれる。
伊邪那岐命はこの三貴子の誕生を大いに喜び、天照大御神に高天原を、月読に夜の世界を、須佐之男命に海原を治めるよう命じました。
伊邪那岐命|幽宮
古事記では、海原を治めずに泣いてばかりいる須佐之男命を追放した伊邪那岐命は、その後淡路の多賀に鎮まったと記されています。日本書紀では、素戔嗚尊を追放し、根の国に行く前に高天原にいる天照大神に会いに行くことを許した後、淡路州に幽宮を構えて静かに隠れた、もしくは天の「日之少宮(ひのわかみや)」に留まったと記されています。
ただ和銅5年(西暦712年)に編纂された最古の写本である真福寺本「古事記」には、「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐す」と書かれており、淡海すなわち近江国(現在の滋賀県の多賀)に鎮座するとされています。当地には岐美二神を祀る多賀神社が鎮座し、対して淡路島にも二神を祀る伊弉諾神宮が鎮座しています。
両神社とも「延喜式」神名帳に記載される式内社ですが、淡路島の伊弉諾神社の方のみが名神大社として重視され、日本書紀には、履中天皇5年に淡路島の伊弉諾神が託宣をしたという記述があることから、伊邪那岐命の鎮座地は淡路島だろうと考えられています。そもそも後の近江は、淡海ではなく近淡海と書くこともあり、真福寺本の「淡海」は「淡路」の誤写であった可能性が高いと考えられています。(参考:古事記の本)
伊邪那岐命を理解するために読みたい神話
伊邪那岐命が登場する代表的な神話を7つご紹介します。
①淤能碁呂島
天津神たちは、伊邪那岐命と伊邪那美命に「この漂っている国土を整え固めよ」と命じ、天の沼矛を授けた。二神は天の浮橋に立ち、その沼矛を指し下して搔き回した。海水をコオロコオロと搔き鳴らし、引き上げた矛の先から滴り落ちた海水(塩)が積もって島となった。これが淤能碁呂(おのごろ)島である。
②国生み
二神は淤能碁呂島に降り立ち、天の御柱を立て、八尋殿(やひろどの:大きな御殿)を建てた。そして伊邪那岐命が妹の伊邪那美命に「おまえのからだはどのようにできているか」と尋ねると、「私のからだは出来上がってきましたが、まだ足りないところがあります」と答えた。
そこで伊邪那岐命は「私のからだは出来上がってきたが、余ったところが一つある。その余ったところをおまえの足りないところに挿し塞いで、国を生もうと思うがどうだろうか」と言うと、伊邪那美命は「それがいいでしょう」と答えた。そして伊邪那岐命は「それならば、私とおまえがこの天の御柱を行き廻ってから逢い、みとのまぐわいをしよう。おまえは右から廻り、私は左から廻って逢おう」と約束した。
廻るときに伊邪那美命が先に「あぁ、なんて愛おしい男だろう」と言い、その後で伊邪那岐命が「あぁ、なんて愛おしい女だろう」と言った。それぞれが言い終えた後、伊邪那岐命は「女が先に言うのはよくない」と言ったが、二神は寝床で目合い(まぐわい)子を生んだ。生まれた子は水蛭子(ひるこ)だった。この子は葦船に入れて流し捨てた。次に淡島を生んだが、これも子の数には入れなかった。
二神は相談し「今、私たちが生んだ子はよくなかった。天津神のところへ行き、申し上げよう」と言い、共に天に上り天津神に言葉を求めた。天津神は命令して太卜(ふとまに:鹿の骨を焼く占い)で占わせ、「女から先に物を言ったのがよくなかった。帰り降りて改めて言い直せ」と告げた。二神は帰り降りるとまた天の御柱を廻り、今度は伊邪那岐命が先に「あぁ、なんて愛おしい女だろう」と言い、次に伊邪那美命が「あぁ、なんて愛おしい男だろう」と言った。
そして言い終えてから目合い生まれた子が、淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま:淡路島)だ。次に伊予之二名島(いよのふたなのしま:四国)を生んだ。この島は身一つに顔が四つあり、その顔ごとに名がある。伊予の国は愛比売(えひめ)、讃岐の国は飯依比古(いいよりひこ)、阿波の国は大宜都比売(おおげつひめ)、土佐の国は建依別(たけよりわけ)という。
次に隠岐之三子島(おきのみつごのしま:隠岐島)を生んだ。この島はまたの名を天之忍許呂別(あめのおしころわけ)という。次に筑紫島(つくしのしま:九州)を生んだ。この島も身一つに顔が四つあり、顔ごとに名がある。筑紫国は白日別(しらひわけ)、豊国は豊日別(とよひわけ)、肥国は建日向日豊久士比泥別(たけひむかいとよくじひねわけ)、熊曽国は建日別(たけひわけ)という。
次に伊岐島(いきのしま:壱峻島)を生んだ。この島はまたの名を天比登都柱(あめのひとつばしら)という。次に津島(つしま:対馬)を生んだ。またの名を天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)という。次に佐渡島(さどのしま:佐渡島)を生んだ。次に大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま:本州)を生んだ。またの名を天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)という。この八つの島がまず生まれたので、大八島国(おおやしまぐに)という。
大八島を生んだ後、帰るときに吉備兒島(きびのこじま:児島半島)を生んだ。またの名を建日方別(たけひかたわけ)という。次に小豆島(あずきしま:小豆島)を生んだ。またの名を大野手比売(おおのでひめ)という。次に大島(おおしま:屋代島)を生んだ。またの名を大多麻流別(おおたまるわけ)という。
次に女島(ひめじま:姫島)を生んだ。またの名を天一根(あめのひとつね)という。次に知訶島(ちかのしま:五島列島)を生んだ。またの名を天之忍男(あめのおしお)という。次に両兒島(ふたごのしま:男女群島)を生んだ。またの名を天両屋(あめのふたや)という。
③神生み
国々を生んだ伊邪那岐命と伊邪那美命は、更に神々を生んだ。
生んだ神の名は、大事忍男神(おおことおしをのかみ)という。次に石土毘古神(いはつちびこのかみ)、石巣比売神(いはすひめのかみ)、大戸日別神(おおとひわけのかみ)、天之吹男神(あめのふきおのかみ)、大屋毘古神(おほやびこのかみ)、風木津別之忍男神(かざもつわけのおしをのかみ)、海神の大綿津見神(おおわたつみのかみ)、速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)、妹の速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)を生んだ。
この速秋津日子神と速秋津比売神の二神は、河と海に分けてそれぞれ神を生んだ。その神の名は、沫那藝神(あはなぎのかみ)、沫那美神(あはなみのかみ)、頬那藝神(つらなぎのかみ)、頬那美神(つらなみのかみ)、天之水分神(あめのみくまりのかみ)、国之水分神(くにのみくまりのかみ)、天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)、国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)である。
次に風の神の志那都比古神(しなつひこのかみ)を生んだ。次に木の神の久久能智神(くくのちのかみ)、山の神の大山津見神(おおやまつみのかみ)を生み、野の神の鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)別名、野椎神を生んだ。この大山津見神と野椎神の二神は、山と野に分けて神を生んだ。
その神の名は、天之狭土神(あめのさづちのかみ)国之狭土神(くにのさづちのかみ)、天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)、国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)、天之闇戸神(あめのくらどのかみ)、国之闇戸神(くにのくらどのかみ)、大戸惑子神(おおとまとひこのかみ)、大戸惑女神(おおとまとひめのかみ)である。
次に生んだ神の名は、鳥之石楠船神(とりのいはくすぶねのかみ)、またの名を天鳥船(あめのとりふね)という。次に大宜都比売神(おおげつひめのかみ)を生んだ。次に火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)を生んだ。またの名を火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)という。この子を生んだため、伊邪那美命は陰部を焼かれて病に臥せってしまった。
病に苦しみ嘔吐したものから生まれた神が、金山毘古神(かなやまびこのかみ)と金山毘売神(かなやまびめのかみ)である。屎から生まれた神が波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)と波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ)である。尿から生まれた神が彌都波能売神(みつはのめのかみ)と和久産巣日神(わくむすびのかみ)である。
この和久産巣日神の子は豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)という。伊邪那美命は火の神を生んだことで、ついに亡くなってしまった。伊邪那岐命と伊邪那美命の二神が共に生んだ島は十四、神は三十五神であった。
④伊邪那美命の死
伊邪那岐命は死んでしまった伊邪那美命の枕元や足元に這い伏して泣いた。その涙から、香具山の畝尾の木の下にいる泣沢女神(なきさわめのかみ)が現れた。伊邪那美命は出雲の国と伯耆の国との境にある比婆山に葬られ、伊邪那岐命は腰に着けていた十拳の剣で迦具土神の首を切った。その剣先に付いた血が岩石に落ちて現れた神が、石拆神(いはさくのかみ)と根拆神(ねさくのかみ)と石筒之男神(いはつつのをのかみ)である。
次に剣の刀身の根本に付いた血も岩石に落ちて現れた神が、甕速日神(みかはやひのかみ)と樋速日神(ひはやひのかみ)と建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)、別名、建布都神(たけふつのかみ)または豊布都神(とよふつのかみ)である。次に剣の柄に溜まった血が指の間からこぼれ落ちて現れた神が、闇淤加美神(くらおかみのかみ)と闇御津羽神(くらみつはのかみ)である。
そして殺した迦具土神の頭から正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)、胸から淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)、腹から奥山津見神(おくやまつみのかみ)、陰部から闇山津見神(くらやまつみのかみ)、左手から志藝山津見神(しぎやまつみのかみ)、右手から羽山津見神(はやまつみのかみ)、左足から原山津見神(はらやまつみのかみ)、右足から戸山津見神(とやまつみのかみ)が現れた。
伊邪那岐命が切った刀の名は、天之尾羽張(あめのをはばり)、別名、伊都之尾羽張(いつのをはばり)という。
⑤黄泉国
伊邪那岐命は伊邪那美命にもう一度会いたいと思い黄泉国を訪れた。伊邪那美命が御殿の閉じられた戸まで出迎えると、伊邪那岐命は「愛しい我が妻よ。私とおまえとで作った国は、まだ作り終わっていないから帰ろう」と言った。すると伊邪那美命は「悔しいことです。早くいらっしゃらなかったので私は黄泉国の食物を食べてしまいました。しかし、愛しい夫がせっかく来てくれたので帰りたいと思います。黄泉国の神に相談してきます。ただし、その間は決して私を見てはいけません」と答え、中に戻っていった。
しかし、あまりの長さに待ちきれなくなった伊邪那岐命は、左の角髪に挿していた櫛の太い歯を一本折って火を灯し中に入った。すると伊邪那美命の身体には蛆がたかってごろごろと鳴り、頭には大雷(おおいかづち)、胸には火雷(ほのいかづち)、腹には黒雷(くろいかづち)、陰部には拆雷(さくいかづち)、左手には若雷(わかいかづち)、右手には土雷(つちいかづち)、左足には鳴雷(なるいかづち)、右足には伏雷(ふしいかづち)の、併せて八種に雷神が成り出でていた。
これを見た伊邪那岐命は驚き、逃げ帰ろうとすると伊邪那美命が「私に恥をかかせたな」と言って予母都志許女(よもつしこめ)に追わせた。そこで伊邪那岐命が髪に着けていた黒い蔓(かづら:蔓草を輪にした装飾)を投げ捨てると葡萄の実がなり、黄泉醜女がそれを拾って食べている間に逃げた。しかしまた追いかけてきたため、今度は右の角髪に挿していた櫛の歯を折って投げ捨てると筍が生えた。
黄泉醜女がその筍を抜いて食べている間に再び逃げた。しかし伊邪那美命は、身体に生じた八雷神に黄泉国の軍勢をつけて追わせた。伊邪那岐命は十拳の剣で後ろを振り払いながら逃げ進み、黄泉比良坂まで来ると桃の実が成っていたので、その実を三つ取って投げつけると追手は皆逃げて行った。伊邪那岐命は桃の実に「おまえが私を助けたように、葦原中国の人民が苦しい時には助けてくれ」と言い、意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)という名を授けた。
すると最後に伊邪那美命自身が追ってきたので、伊邪那岐命は巨大な岩で黄泉平坂を塞ぎ、その岩を挟んで伊邪那美命と向かい合い別れの言葉を交わした。伊邪那美命は「愛しい夫がこのようなことをするならば、私はあなたの国の人々を一日に千人絞め殺しましょう」と言い、伊邪那岐命は「愛しい妻がそうするならば、私は一日に千五百の産屋を建てよう」と返した。
そうして一日に必ず千人が死に、一日に必ず千五百人が生まれるようになった。
⑥伊邪那岐命の禊祓
黄泉国から逃げ帰った伊邪那岐命は、「私はなんと穢き国に行ったことだ。禊をしよう」と言って、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原に行き禊祓(みそぎばらい)をした。
この時、伊邪那岐命が投げ捨てたものから次々と神が生まれた。杖から衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)、帯から道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)、袋から時量師神(ときはかしのかみ)、衣から和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ)、袴から道俣神(ちまたのかみ)、冠から飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)、左手の腕輪から奥疎神(おきざかるのかみ)と奥津那芸佐毘古神(おくつなぎさびこのかみ)と奥津甲斐弁羅神(おきつかひべらのかみ)、右手の腕輪から辺疎神(へざかるのかみ)と辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)と辺津甲斐弁羅神(へつかひべらのかみ)が生まれた。
そして伊邪那岐命は「上流は流れが速い、下流は流れが弱い」と言い、中流に潜って身体を洗い清めると、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おほまがつひのかみ)が生まれた。この二神は、黄泉国で付いた汚垢(けがれ)によって現れた神である。次にその禍(わざわい)を直そうとして、神直毘神(かむなおびのかみ)と大直毘神(おほなおびのかみ)と伊豆能売(いづのめ)の三神が生まれた。
次に水の底で身を清めると、底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)と底筒之男神(そこつつのをのかみ)が生まれた。水の中程で身を清めると、中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)と中筒之男神(なかつつのをのかみ)が生まれた。水の表面で身を清めると、上津綿津見神(うはつわたつみのかみ)と上筒之男神(うはつつのをのかみ)が生まれた。
この三柱の綿津見神は阿曇連(あずみのむらじ)等が祖神として祀っている神である。つまり阿曇連等は綿津見神の子、宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)の子孫である。また、底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神は住吉大社の三柱の大神(住吉三神)である。
⑦三貴子誕生
伊邪那岐命は黄泉国から戻り、身体に付いた穢れを清めるために筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊祓をした。身に着けていた物を投げ捨てると様々な神が生まれ、また水中で身体を洗い清めると更に沢山の神々が生まれた。
そして、左目を洗ったときに生まれた神が天照大御神である。次に右目を洗ったときに生まれた神が月讀命、鼻を洗ったときに生まれたのが須佐之男命である。伊邪那岐命はこの三神の誕生を大いに喜び、「私はこれまでに沢山の子を生んだが、最後に三柱の貴い子を得た」と言い、首に掛けていた玉の首飾りをゆらゆら揺らして天照大御神に授け「おまえは高天原を治めよ」と命じた。この首飾りの名を御倉板挙之神という。次に月読命に「夜の世界を治めよ」と命じ、須佐之男命に「海原を治めよ」と命じた。
伊邪那岐命が祀られている有名な神社
伊邪那岐命を祀る代表的な神社をご紹介します。
①伊弉諾神宮
記紀で、国生みと神生みを終えたイザナギが淡路の多賀に鎮まったとあり、それが当社の起源とされている。通称「一宮(いっく)さん」「伊弉諾さん」と呼ばれ、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神を祀っている。
■伊弉諾神宮
【住所】兵庫県淡路市多賀740
②多賀大社
伊邪那岐大神と伊邪那美大神を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれている神社。多賀大社の分祀社は全国で239社ある。古事記の最古の写本である真福寺本に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐す」と記された場所が当社であるとされている。
■多賀大社
【住所】滋賀県犬上郡多賀町多賀604
③江田神社
伊邪那岐尊と 伊邪那美尊を祀る神社で、「禊発祥の地」「祝詞発祥地」として知られている。伊邪那岐命が黄泉国から戻って禊をしたとされる「みそぎ池」がある。
■江田神社
【住所】宮崎県宮崎市阿波岐原町産母127
④三峯神社
日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登り、伊弉諾尊と伊弉册尊の国造りを偲んで創建したとされる神社。この時、尊を道案内したのが狼(山犬)であったとされ、神の使いとして一緒に祀られている。
■三峯神社
【住所】埼玉県秩父市三峰298-1
⑤おのころ(自凝)島神社
伊弉諾命と伊弉冉命を祀る神社。当社が鎮座する丘が、国生みの舞台となった自凝島であるとされている。高さ21.7mの朱塗りの大鳥居は「日本三大鳥居」の一つに数えられている。
■おのころ(自凝)島神社
【住所】兵庫県南あわじ市榎列下幡多415番地
まとめ
日本国土や沢山の主要な神を生み出した伊邪那岐命は、日本の神様の中でも最重要な神様とも言えます。お伝えした内容があなたの参考になれば幸いです。

