出雲大社では旧暦の10月10日の夜、出雲大社の西にある稲佐の浜で全国の神々をお迎えする神迎神事(かみむかえしんじ)が行われます。
神迎神事は八百萬の神(やおよろずのかみ)をお迎えできる一年に一度しかない大変貴重な神事です。
八百萬の神に一度に御目通りできる機会はそうそうありませんし、出雲大社の神々だけでなく八百萬の神、そして八百萬の神を先導する龍蛇神(りゅうじゃじん)とご神縁を結ぶことができるまたとない機会です。
この記事では、神迎神事や神在祭期間中の出雲大社ならではの魅力やご利益、必ず手にしたい授与品、おすすめの順路と参拝方法などをまとめました。
神迎神事に参列してご神縁を結び、最強運を引き寄せましょう。
なお、神迎神事は旧暦の10月10日に行われるので毎年日程が異なります。2023年の神迎神事は11月22日(水)、神在祭の期間は11月23日(木)~11月29日(水)となっています。
*授与品の金額はお受けした当時の金額です。
出雲大社のご利益
出雲大社の御祭神である大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)は縁結びの神様で有名ですが、非常に格式の高い神様です。
男女の縁のみならずあらゆる縁を結んでくれます。縁結びの他にも
- 諸願成就
- 事業繁栄
- 福徳円満
- 病気平癒
- 厄除
などの御利益が期待できます。
出雲大社で必ず手にしたい授与品
出雲大社で必ず手にしたい授与品は4つあります。
①神在祭御守
神在祭御守は神在祭の期間中(旧暦10月11日~17日まで)だけ頂くことができる限定の御守りです。(初穂料は一体1,000円)
神在祭の期間中には全国の神様が出雲に集まり、人々の幸せを結ぶ大会議が行われます。そのご利益を存分に頂くことができるので効果絶大です。
なお、神迎神事が行われる日は頂くことができません。神在祭御守をお受けしたい方は神迎神事の翌日にまた訪れてみてください。
②御神水「八雲の瀧の水」
本殿右側の手水舎のお水は御本殿の裏にある禁足地、八雲山の八雲の瀧の水です。(日照りが続く夏は上水道に切り替わる場合あり)
昔は八雲の瀧に行くことができましたが、現在は入山禁止なので許可無く入ることはできません。その八雲の瀧の水をこの手水舎で頂くことができます。
後ほどご紹介する御霊水「真名井の清水」をご存知の方は多いですが、この手水舎のお水が「八雲の瀧の水」であることを知っている方は非常に少ないです。
授与品ではなく無料で汲むことができるので、参拝する際には必ず頂くことをおすすめします。
八雲の瀧の水はそのまま飲むか、飲むのが不安な方はお風呂に入れるのがおすすめです。
そのまま飲めば自身を清めることができますし、お風呂におちょこ一杯分ほど真名井の清水を入れてから入浴すると禊の効果があります。(罪や穢れを落とし清らかになる)
③カード型お守り
出雲大社には次の5種類のカード型お守りがあります。(初穂料は各1,000円)
- 諸願成就…写真左上(俵に乗った大黒さん)
- 厄除…写真真ん中(座っている大国主大神)
- 病気平癒、身体健全…写真右上(白うさぎを助ける大国主大神)
- 産業、事業繁栄…写真左下(田畑を肥やす民と話す大国主大神)
- 縁結び…写真右下(儀式を行う大国主大神と神々)
カード型お守りはクレジットカードほどの大きさなので、願い事に合わせて選び、いつも持ち歩く鞄やバックに入れておくのがおすすめです。もちろん、5枚全てお受けしても大丈夫です。
④縁むすびの糸
おめでたい紅白の糸で作られている縁むすびの糸はあらゆる願い事に対して縁結びの御利益があります。(初穂料800円)
袋に入れたままいつも持ち歩く鞄やバックに入れておくのがおすすめです。糸なので重さは非常に軽いです。
自分の願い事を叶えたい時は裁縫する時に使用するのも良いです。
人は誰れでも幸福(しあわせ)を願わぬものはありません。そしてその幸福は良縁を得て、よい家庭をつくり、世の人々と共に、しあわせな生活をすることであります。昔からダイコク様を縁結びの神と申上げますが、縁とは男女の縁をはじめ、良い友をもつことも、又よい運がひらけることも全て縁なのであります。この結びの糸は、ダイコク様の御神徳に因んで作ったものであります。どうかダイコク様にお祈りして、良縁を御さずかりになると共によい御家庭をお築きになり、幸福(しあわせ)な人生を享受(うけ)られるために、この糸をあなたの身近い衣服等に御使用なされ、更にあなたのお知り合いの人々にも良い御縁としてお頒け下さい。出雲大社
出雲大社ならではの魅力
出雲大社ならではの魅力は4つあります。
①神迎神事
出典 出雲大社
出雲大社では毎年旧暦10月10日に全国の神様をお迎えする神迎神事が稲佐の浜で執り行われます。
八百萬の神(やおよろずのかみ)をお迎えできる一年に一度しかない機会なので、神迎神事が行われる日に行った時は必ず参列することをおすすめします。
古式豊かな神迎神事は19時から始まりますが、18時頃になると稲佐の浜の北側入口で白い神迎御幣(かみむかえごへい)が頂けます。この御幣を持って全国の神々をお迎えします。(御幣は数に限りあり)
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金色の御幣を持っている方もいますが、これは出雲大社教龍蛇神講の教信徒の方々が授かっている御幣です。私は加入していませんが、加入をご希望の方は神楽殿前のおくにがえり会館でどなたでも加入できます。加入初穂料は5,000円で、次年度以降は謝恩金として毎年3,000円を納めます。
稲佐の浜には御神火が焚かれ、注連縄が張り巡らされた斎場の中に神籬(ひもろぎ)が配置されています。
神籬(ひもろぎ)とは
神社や神棚以外の場所で祭祀を行う際、神様をお迎えするために榊などを立てて周りを囲い、神座(しんざ)とした依り代となるもの。
神事が終わると神籬は白い絹で覆われ、龍蛇神(りゅうじゃじん)が先導となって神々をお連れし、出雲大社に向かいます。この時「神迎の道」を通ります。神迎の道は神様のあとに続く参拝者で大行列になります。
出典 出雲大社
その後は神楽殿で神迎祭が執り行われ、神々は東西の十九社(御宿社)でお鎮まりになります。
②神在祭
一般では旧暦10月は神無月と呼びますが、全国の神々が集まる出雲では「神在月(かみありづき)」と言います。
この期間中は出雲大社に集まった神々が「人が知ることのできない事柄(あらゆる縁)」や「来年の収穫などの諸事」の大会議「神議り(かむはかり)」をして人々の幸せを取り決めます。
旧暦10月17日に神々が出雲大社をお発ちになるまで、大国主大神と八百萬の神(やおよろずのかみ)とご神縁を結ぶために全国から多くの人が参拝に訪れます。
なお、神在祭の期間中は境内特設所(拝殿付近)で特別に龍蛇神(りゅうじゃじん)が奉安され、参拝すると御神酒と洗米が頂けます。(自由参拝)
大国主大神の御使神として八百萬の神を先導する龍蛇神は火難・水難除け、福をもたらす神様です。
ちなみに地元民はこの祭事期間中、神々の会議やお鎮まりになる間に粗相があってはならないと、歌舞や楽器などで騒がず、ひたすら静粛を保つ習わしがあります。これを御忌祭(おいみさい)やお忌さん(おいみさん)と言います。
③御霊水「真名井の清水」
御霊水「真名井の清水」は出雲大社の重要な祭事の一つ古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)の神事中に使われる神聖なお水です。湧き出ている御霊水を無料で頂くことができます。
この御霊水は太古から現在まで枯れることなく清らかな水が湧き続けていると伝わり、真名井の清水にはお水を守護する弥都波能売神(みづはのめのかみ)が祀られています。
古くから地域の人たちにも利用されていて島根の名水百選にも選ばれているので、出雲大社に行く時はぜひ頂くことをおすすめします。
真名井の清水にはお水が汲めるように柄杓が置いてあるので、500mlのペットボトルなどの入れ物を持参して頂きましょう。お水を守護している弥都波能売神(みづはのめのかみ)にご挨拶するのも忘れないようにしてください。
御霊水はそのまま飲むか、お風呂に入れるのがおすすめです。
そのまま飲めば自身を清めることができますし、お風呂におちょこ一杯分ほど真名井の清水を入れてから入浴すると禊の効果があります。(罪や穢れを落とし清らかになる)
真名井の清水は出雲大社の東側、真名井社家通りを真っ直ぐ東へ進んだ場所にあります。
出雲大社から徒歩4分ほどで着きます。
④宝物館(彰古館・神祜殿)
本殿の北西側に出雲大社に伝わる宝物が展示されている彰古館(しょうこかん)があります。(拝観料200円)
出雲大社の宝物館として1914年(大正3年)に造営され、2015年には登録有形文化財に指定されています。館内にはこれまで出雲大社に奉納された数々の大黒さまと恵比寿さまの神像などが安置されています。
出雲大社の1/30分のサイズの模型なども観覧できます。
開館日は次のように決まっていて、営業時間は8時30分から16時30分(入館は16:00まで)です。
- 土曜日・日曜日・祝日
- 大祭礼期間(5月14日~16日)
- 神在祭期間(旧暦10月11日~17日)
- 正月期間(元日から5日頃まで)
- 大型連休期間(ゴールデンウィークほか)
4の鳥居(銅鳥居)の右手には宝物館「神祜殿(しんこでん)」があります。
境内から出土した古代本殿の柱など、出雲大社に伝わる貴重な宝物が展示されています。(拝観料300円)
なお、神祜には「神の助け」「神から幸を授かる」という意味があります。
出雲大社とは
縁結びの神・福の神として名高い出雲大社は日本で最も重要な古社の一つです。
一般的には「いづもたいしゃ」と呼ばれますが、正式には「いづもおおやしろ」と言い、1871年(明治4年)までは杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていました。
出雲大社の御祭神
出雲大社の御祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)です。大黒さまの愛称で親しまれています。
大国主大神の御神徳の縁結びは男女の縁だけではなく、人々が豊かに栄えるためのご縁を結んでくれます。
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)は目には見えない世界のむすびの御霊力を司り、神事(かみごと)の世界や幽世(かくりよ)の世界を治める神様です。
幽世(かくりよ)とは
永久に変わらない神域。目には見えない死後の世界でもあり、黄泉もそこにあるとされる世界。
出雲大社では大国主大神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子神と伝わり、古事記では須佐之男命の六世の孫、日本書紀では素戔嗚尊の子、または七世の孫と伝わります。
国内の神社では大国主命(おおくにぬしのみこと)や大黒天の御神名で祀られる事が多いですが、次のように数多くの御神名もお持ちです。
- 大穴牟遅神(おおなむじのかみ)
- 所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)
- 大己貴命(おおなむちのみこと)
- 幽冥主宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)
- 幽世大神(かくりよのおおかみ)
- 八千矛神(やちほこのかみ)
大国主命は誰にでも優しく、困り事や弱者の味方になってくれる神様です。それを象徴する「因幡の白うさぎ」を助ける神話があります。
因幡の白うさぎの神話
大国主命には八十神(やそかみ)という大勢の兄弟がいた。八十神は因幡国の美しい八上比売(やかみひめ)に求婚しに行こうと決め、大国主大神に袋を持たせて因幡国に向かう。八十神が因幡国の気多の岬(現鳥取県鳥取市付近)を通りかかった時、体の皮が剥かれて泣いている一匹の哀れなうさぎを見かけ、兄弟たちが「海水を浴びて風にあたるとよい。」と意地悪をして嘘を言うと、うさぎは言われるがまま海に飛び込み、風当たりの良い丘の上で風に吹かれていたが、海水が乾いて傷がさらにひどくなり痛み出してしまう。そこへ兄弟たちの荷物を持たされ、後を追ってきた大国主命がやってきて、泣いているうさぎにどうして泣いているのか訳を聞くと、うさぎはこう言った。
私は隠岐島(おきのしま)に住んでいて、気多の国(現鳥取県気高群)に泳がないで渡る方法を考えていました。そこにワニ(サメ)が来たので、彼らの背中を利用するために「私の仲間の数とどっちが多いか比べよう。」と話を持ちかけました。私は数を数えるふりをしながらワニたちの背中を歩き、気多の岬まで渡ろうとしましたが、岬に着く寸前で「お前たちは私に騙されたのだ。」と言ってしまい、これに怒ったワニたちが仕返しに私の体の皮をすべてを剥いてしまったのです。痛くて泣いている私は先ほどここを通られた神々(八十神)の教えに従ったところ、前よりももっとひどくなり痛くて泣いていたのです。
それを聞いた大国主命は「すぐに真水(川の水)で体を洗いなさい。川口の蒲(がま)の花を摘んで敷きつめるからその上に寝転ぶと良い。」と言った。それに従ったうさぎは体から毛が生えはじめ、元通りの白兎に戻った。助けてもらった白うさぎは「大勢の兄弟たちは八上比売を手に入れることはできません。袋を背負っていて遅く登場したとしても、あなた様が手に入れるでしょう。」と予言をする。大国主命が兄弟たちよりずい分遅れて因幡の国に着いた時、兄弟たちは八上比売に求婚していたが、八上比売が選んだのは白うさぎを助けた大国主命だった。
また、大国主命は地上世界の国造りをして天照大神に国を譲った神様でもあります。
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求婚に失敗した兄弟たちは怒って大国主大神を殺してしまう。深く悲しんだ母神「刺国若比売(さしくにわかひめ)」は神産巣日神(かみむすびのかみ)に頼み、天上界から蚶貝比売命(きさがいひめのみこと)と蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)の二柱を遣わせて大国主大神を生き返らせた。蘇ったことを知った兄弟たちは大国主大神を再び殺すが、今度は刺国若比売の神力で生き返らせた。兄弟たちはもう一度もくろみを考えていたが、大国主大神はそれを逃れるために根の国にいる素戔嗚尊の元へ行った。
そこで素戔嗚尊の娘「須勢理比売命(すせりひめのみこと)」と出会い夫婦となるが、素戔嗚尊は大国主大神に対し様々な試練を与え続けた。次々と試練が与えられた大国主大神は素戔嗚尊が寝ている間に須勢理比売命を背負い、素戔嗚尊の生太刀と生弓矢(武力を象徴するもの)、天の沼琴(お告げをする時に使うお琴)を持って地上界へと逃げ出した。それに気が付いた素戔嗚尊は追いかけるが、一歩及ばずこう呼びかけた。
「その生太刀と生弓矢で兄弟たちを山裾と川瀬に追い払い、お前は大国主神、また宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)となって国を造り、須勢理比売命を妻として出雲の山に地底の石を土台に太い柱を立て、天空に千木を高く上げて壮大な神殿で住め。」これが大国主神の御神名となった由来。
言われた通り国造りをした大国主大神は出雲の御大の岬(みほのみさき/現松江市美保関町)にいた時、天之羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って来た少名毘古那神(すくなひこなのかみ)と出会う。
大国主大神と少名毘古那神の二神は協力し合い、さらに国を築き上げていくが、突然少名毘古那神は常世の国(とこよのくに/海の彼方にあるとされる異世界)に行ってしまう。これに悲しんだ大国主大神は「これから一人でうまく国を作れるのだろうか。どの神が一緒に国を作ってくれるのだろうか。」と嘆いていたが、荒波の彼方から光る神が近づき「私はあなたの幸魂奇魂(さきみたま くしみたま)です。私を祀り祈るならば共に国造りをし、必ず成し遂げることができるでしょう」と告げた。(諸説あるが光る神は「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」で現奈良県三輪山に祀ったと伝わる)(幸魂奇魂(さきみたま くしみたま)とは、神話に出てくる神語。人が生きることの根元には神様から頂く霊魂の働きがあることを表現したもの。)
この時初めて大国主大神は、我の中には光る神から賜った幸魂奇魂があり、国造りができたのはその御神力によるものだと悟る。こうして築かれた国々は「豊葦原の瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」と呼ばれ、あらゆるものが豊かに育ち力強い国となった。
国造りが完成し、大いに繁栄する地上界を見た天照大御神は「豊葦原の瑞穂国は我が子が治めるべき」と言い、国譲りのために御子神である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を派遣するが、ひどく騒がしく荒れている国だと言って高天原に戻ってきた。
天照大御神は幾度なく神々を派遣するがことごとく失敗し、最後に建御雷神(たけみかずちのかみ)と天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を遣わせた。
この二柱は稲佐の浜に降り立ち、大国主大神に国譲りを認めさせようとするが、大国主大神は御子神である事代主神(ことしろぬしのかみ)に一任しているので事代主神に意見を求めるように伝えた。事代主神に国譲りを迫ると、事代主神は国譲りに承諾した。
事代主神が承諾したことを建御雷神が大国主神に伝えると、大国主神はもう一人の御子神である建御名方神(たけみなかたのかみ)にも話して欲しいと伝えた。建御名方神は力比べをして国譲りに抵抗したが、建御雷神の力が圧倒し、建御名方神は降参した。
建御名方神も承諾したことを建御雷神が大国主神に伝えると、大国主神は国譲りの条件として「天照大御神が住む宮殿のような御殿を建ててもらえるならそこで静かに鎮まります。」と承諾し、国譲りは達成した。天照大御神は大国主神のために「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を築き、第二子の天穂日命(あめのほひのみこと)を仕えさせた。
中世以降は神仏集合により仏教の守護神である大黒天と習合され、「大黒さま」として多くの地域で祀られています。打ち出の小槌を持ち、大きな袋を担ぎ、米俵に乗った姿が特徴的です。
出雲大社の歴史
実際の出雲大社の創建は不明ですが、天照大御神に国をお譲りになったことを称えて「壮大な神殿が築かれたのが出雲大社である」と記紀によって伝わります。
しかし、国譲り以前には須佐之男命(素盞嗚尊)から「須勢理比売神(すせりびめのかみ)と一緒に壮大な住まいを建て仲良く暮らしなさい」という命があり、立派な建物を建てていたとも伝わります。これが出雲大社の創建の起源という説もあります。
また、出雲国風土記(出雲国の神話や歴史書)には御祖神の八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が国形を造られた後、国造りをした大国主大神を「天の下造らしし大神(あめのしたつくらししおおかみ)」として称えて、多くの神様によって杵築大社を築かれたとされています。
太古から高々と建つ出雲大社は「天下無双の大廈(たいか)/二つと同じものが無い壮大な神殿」と称えられていて、太古では出雲大社本殿の高さは約96m(現在の4倍)、平安時代では約48m(現在の2倍)もあったと伝わっています。
平安時代の口遊(くちづさみ/子供の教科書)には、当時の建物の高さを比較する「雲太(うんた)・和二(わに)・京三(きょうさん)」の言葉もあります。
雲太は出雲大社の神殿のことで一番目、和二は奈良の東大寺大仏殿で二番目、京三は京都の平安京大極寺で三番目を指し、当時はこの3つの建物が壮大であったことを表しています。
国内一を誇る出雲大社の神殿は高大すぎるがゆえ、幾度となく倒れては造営が繰り返されてきました。
治暦3年(1067年)に遷宮(せんぐう)造営された出雲大社の本殿は天仁元年(1108年)に倒れ、大国主大神は仮殿に御鎮座しますが、永久3年(1115年)に本殿の遷宮造営が行われ無事に本殿へとお移りになられました。
遷宮(せんぐう)とは
社殿の造営や修理に伴い、仮殿で祀る神様を新社殿にお移しすること。
この遷宮造営のことを「寄木(よりき)の造営」と言い、この時不思議な出来事が起きたのが造営するきっかけでした。
もっと詳しく
天仁3年(1110年)7月4日、稲佐の浜辺に長さ約30m余の巨木約100本と、因幡の国(鳥取県東部)の海岸にも長さ約45m、太さ4.5mの巨木1本が漂着した。地元民が巨木を切ろうとすると大蛇が巻き付いていて驚き、逃げ帰ったが、それでも巨木を切ろうとした人々は病にかかってしまう惨事が起きた。
そこで様々な御祈祷を行うと上宮の神様が現れ、「出雲大社の造営は諸国の神様が受け持たれて行われてきた。今度は自分の番であり、すでに用材は納めた。(稲佐の浜辺に漂着した寄木)この巨木1本(因幡の国の海岸の寄木)は自分の分け前で、これで自分が鎮まる上宮の造営をなすべき。」というお告げがあり、稲佐の浜辺に漂着した寄木によって出雲大社本殿の造営が行われた。この伝承は「国日記云」として古代の文献で記録されている。
寄木は諸国の氏神をお祀りする人々が出雲大社の造営にお祈りをして用材などを納めていたと伝わっています。
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武家時代、鎌倉幕府の法律書「貞永式目(じょうえいしきもく)」の第一条には「神社を修理して御祭りを大切にすること」と規定され、これによって巨大本殿を建設する力がなくなった。中世期には規模が縮小された本殿の遷宮造営で、これを「仮殿式」と称すようになる。この武家法は室町幕府法、戦国大名分国法、江戸幕府法に至るまで受け継がれた。
しかし、一般の神社に比べても出雲大社は壮大さを誇り、鎌倉時代の正中2年(1325年)には「社檀を高く広くして神躰を奉安いたし置きまつる故、あるいは大社と号し、矢倉宮と称す」と言われた。その姿から本殿は「やぐら」と例えられ、依然として高大性を表していた。
慶長14年(1609年)の遷宮造営時は、これまでの掘立柱建物の様式から礎石建物の様式に変更され、本殿の高さは約17.5mだった。これ以降は礎石建物の様式が受け継がれている。
神仏習合の盛んな時代には出雲大社境内に大日堂、三重塔、鐘楼なども建立されていました。(現在三重塔は国重要文化財として兵庫県名草神社に現存、鐘楼は国宝として福岡県西光寺に現存)
徳川幕府が支配する時代には大きな社寺の遷宮造営時に幕府の許可が必要になり、当時の出雲大社社家の人々は仮殿式の造営から巨大本殿の造営を行うために、出雲大社の伝統や神学、教学を積極的に幕府や藩に説いて交渉を重ねました。
その結果、無事に幕府から高額な造営費を寄付され、高さ約24m(かつての神殿(約48m)の半分)、平面規模はほぼ同じ本殿を復活することができました。これが寛文7年(1667年)に行われた寛文の造営です。
もっと詳しく
寛文造営は4代将軍徳川家綱公の治世下で行われた。寛文の造営以前(1640年)、3代将軍徳川家光公にはなかなか世継ぎの誕生がなく、家光公の乳母である春日局(かすがのつぼね)は代わりに参拝することを松江藩に命じ、大国主大神に世継誕生の御祈願をした。すると翌年(1641年)後の4代将軍となる徳川家綱公が誕生する。家綱公は「大国主大神の申し子」とも言われ、のちの寛文の造営時に力を注ぐことになった。
延享元年(1744年)に行われた延享の造営時も幕府に許可を求めたが、財政難に陥った幕府から財政的援助の良い返事はなかった。そこで出雲大社社家の人々は全国各地で大国主大神の御神徳を説き、御祈祷を奉仕し、御神札を授与しつつ全国の奉賛者による浄財の活動をして巡った。(当時はこれを日本勧化(にほんかんげ)と言った)寛文の造営費には及ばないが、やがて幕府も浄財を寄付したことで延享元年(1744年)に正殿式の遷宮造営が行うことができた。現在の本殿がこの時の建物。
以来、文化6年(1809年)、明治14年(1881年)、昭和28年(1953年)と3度の遷宮造営(屋根の葺き替え(ふきかえ)などを主とする修理)をして現在に至っています。1952年には国宝に指定されています。
出雲大社のおすすめの順路と参拝方法
神迎神事当日の出雲大社のおすすめの順路と参拝方法をご紹介します。
一般の神社では二礼・二拍手・一礼が参拝の作法ですが、出雲大社の参拝は全て「二礼・四拍手・一礼」が正式な作法です。
出雲大社は非常に広い神社なので、出雲大社境内図も合わせてご確認ください。
ちなみに、神迎神事当日は遅くても18時頃に出雲大社を出て稲佐の浜に向かいます。いろいろ見て回りたい場合は12時くらいには出雲大社に着くように行きましょう。
神迎神事を近くで見たい場合は稲佐の浜に17時くらいに着くように行くと、近くで見ることができます。(当日の混み具合にもよります)
*神社の鳥居は一般社会と御神域を区切る結界であり、くぐることで穢れを祓う(修祓 / しゅばつ)意味合いがあります。鳥居をくぐらずに神様にお目見えするのは失礼にあたるので、鳥居を通してお社の正面を撮ることができないお社の写真は掲載していません。
①一の鳥居をくぐる
宇迦橋を渡った所にある高さ23mの大鳥居をくぐります。出雲大社に向かう神門通りに建てられた鳥居です。
神門通りには崇敬者から寄贈された大黒さんの像が至る所に建っています。
②二の鳥居(大鳥居)をくぐる
正門にあたる広場「勢溜(せいだまり)」に建っている二の鳥居(大鳥居)をくぐります。この広場に大勢の人が溜まることから勢溜の鳥居とも呼ばれています。
二の鳥居をくぐった右側には第80代出雲国造・出雲大社大宮司の千家尊福公(せんげたかとみこう)の銅像が建っています。
千家尊福公は全国から信徒を結集させて出雲大社教の礎を築かれた方です。その後は元老院議官、貴族院議員、埼玉県知事、静岡県知事、東京府知事、司法大臣なども就任された方でもあります。
ちなみに国内の神社の参道は上り道か平坦な道ですが、出雲大社の参道は珍しい下り参道になっています。
③祓社で身心を祓い清める
参道を進むとすぐ右側に祓社(はらえのやしろ)があるので身心を祓い清めます。祓社の御祭神は、
- 瀬織津比咩神(せおりつひめのかみ)
- 速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)
- 気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
- 速佐須良比咩神(はやさすらひめのかみ)
です。この四柱を総称して「祓戸四柱の神(はらえどよはしらのかみ)」と言います。
罪穢れを祓ってくれる神々で、大祓詞(おおはらえのことば)の祝詞(のりと)に出てくる神々でもあります。
祓社の近くには人の心を浄めると伝わる浄の池があります。
浄の池左側には野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)があり、
相撲の祖と称えられる野見宿禰(のみのすくね)が祀られています。
野見宿禰は第13代出雲國造・出雲大社宮司である襲髄命(かねすねのみこと)の別称で、垂仁天皇の時代に天下一の力人と相撲を取って勝ち、朝廷へ仕えた方です。
④三の鳥居をくぐる
参道を進むと松並木があります。その中の三の鳥居(中ノ鳥居)をくぐります。
参道は松並木で3つに区切られていますが、真ん中は神様の通り道なので左右どちらかを通るようにしましょう。
この松並木の整備(植え替えや補植)は江戸時代初期から続いていて、古い木の中には樹齢350年〜400年の木もあるそうです。
松並木の左側(西神苑)には因幡の白うさぎ神話で大国主大神が助けた白うさぎの像が配置されています。
白うさぎの像は出雲大社の本殿裏・神苑・神楽殿周辺・祖霊社などにもあります。
松並木の参道東側(東神苑)には杵那築(きなつき)の森があり、出雲大社を造営した際に使用した杵が納められているとされる聖地があります。
社殿はないですが鳥居があって参拝もできます。
その昔「この森自体が神社になっていて神々が集まる聖地であった」と出雲国風土記(出雲国の歴史書・神話書)の「杵築の郷」条で伝わっています。
⑤手水舎で身体を浄める
参道を進むと左手に手水舎があるので身を浄めます。
手水舎の裏には出雲大社の社務所や、
上皇后陛下の御歌の歌碑があります。
大国主大神が皇室の御先祖(天照大御神)に国譲りしたことを讃え、皇后陛下が2003年に御参拝した時に詠まれたものです。「国譲り 祀られましし 大神の 奇しき御業を 偲びて止まず」と書かれています。
歌碑の近くには御慈愛の御神像があります。
背負っている袋には人々の苦難や悩みが入っていて、私達の身代わりに大国主大神が背負っていると出雲大社に伝わります。
手水舎の真向かいには「ムスビの御神像」もあります。
日本海の荒波の向こうから現れた光「幸魂奇魂(さきみたま くしみたま)」を大国主大神が授かったことで結びの神になったという神話の一場面を再現した神像です。
⑥四の鳥居(銅鳥居)をくぐる
四の鳥居(銅製の鳥居としては国内最古)をくぐります。鳥居の左奥に見えるのが拝殿です。
四の鳥居の左側には神様の使いとされる神牛と神馬の像があります。
神馬を撫でれば子宝・安産に恵まれるとされていて、
神牛は学力向上が期待できると言われています。
⑦拝殿で参拝
四の鳥居をくぐったら拝殿で参拝します。
通常は参拝者の御祈祷が行われる御殿です。古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)などのお祭りや奉納行事も拝殿で執り行われています。
なお、神迎神事当日や神在祭の期間中に御祈祷を受けると、拝殿での御祈祷後に八足門から中へ入り本殿前で参拝することができます。(本殿内は聖域なので普段は入れない)
⑧本殿で参拝
拝殿の裏手にある本殿で参拝します。
本殿で参拝する前に、まずは石階段の右側にあるこちらの手水でもう一度身を清めましょう。
この手水舎のお水が八雲山の八雲の瀧の水です。
ペットボトルを持参してお水を頂いていく方が最近増えています。こちらの御神水もぜひ頂くことをおすすめします。
本殿の御祭神は大国主大神です。
二礼四拍手一礼をした後、大国主大神に仕えた天穂日命(あめのほひのみこと)より出雲国造家に伝承された神語「幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまい さきはえたまえ)」を三回唱えます。内言でも大丈夫です。
本殿の中を拝見することはできませんが、本殿は9本の柱が田の字型に配置されていて、中心には心御柱の太柱が建っています。
出典 出雲大社
心御柱とその右の側柱との間は板壁により仕切られていて、その壁の奥(北東側)に大国主大神を祀る御神座(本殿の内殿)がありますが、大国主大神は西向きで祀られています。(後ほど西側から参拝します)
御神座の前には御客座があり、別天津神(ことあまつかみ)5柱の神が祀られています。
- 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)…宇宙の根源神
- 高御産巣日神(たかみむすびのかみ)…天上界を創造した神
- 神産巣日神(かみむすびのかみ)…地上界を創造した神
- 宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)…生命力を象徴する神
- 天之常立神(あめのとこたちのかみ)…天上界の守り神
中心にある心御柱の近くには、大国主大神の御子神の和加布都努志命(わかふつぬしのみこと)が祀られています。
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本殿東側の御向社の大神大后神社(おおかみおおきさきのかみのやしろ)には須勢理比売命(すせりひめのみこと)が祀られ、大神大后神社の隣に建つ天前社の神魂伊能知比売神社(かみむすびいのちひめのかみのやしろ)には蚶貝比売命(きさがいひめのみこと)・蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)が祀られている。蚶貝比売命と蛤貝比売命は神産巣日神の遣いにより若き大国主大神を蘇らせた女神で、大火傷の治療と看護に尽くされた神様。女神たちの看護によって大国主大神が健やかな姿に戻ったことから看護の神として崇められている。
本殿西側には筑紫社の神魂御子神社(かみむすびみこのかみのやしろ)が建ち、大国主大神と夫婦になった多紀理比売命(たぎりひめのみこと)が祀られている。多紀理比売命は天照大御神と素戔鳴尊が高天原で誓約(うけい)によって誕生した海(水)の女神。(誓約とは古代日本で行われた神聖な占いのこと)この時、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)と湍津姫神(たぎつひめのかみ)も生まれ、この三柱を三女神(宗像三女神)と言う。多紀理比売命を主祭神とする有名な神社には宗像大社(沖津宮)がある。別称は田心姫神(たごりひめのかみ)、奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)、田心姫(たごりひめ)。
八足門の左右には門神社(みかどのかみのやしろ)があり、東の門神社には宇治神(うぢのかみ)、西の門神社には久多美神(くたみのかみ)が祀られている。この二柱は大国主大神のお鎮まりになる聖地「おにわ」の門衛役として門を守護する神様。
八足門前には古代神殿の柱の発掘跡(3つのピンク色の印とそれを囲う円形)があります。
平安時代のものとされる御柱「三本一組の巨木(宇豆柱)」が2000年(平成12年)に八足門前より発掘され、古代神殿の柱がここに建っていたことを示しています。
八足門の左横に授与所があるので本殿の参拝後に授与品を頂きましょう。
御朱印を頂く場合は授与所の真向かい(拝殿)で頂けます。
⑨西十九社で参拝
本殿参拝後は西側にある十九社(じゅうくしゃ)で参拝します。御祭神は八百萬神(やおよろずのかみ)です。
十九社は神迎神事を終えた後に神々が宿泊するお社で、神々が滞在する期間中だけ全ての扉が開かれます。神迎神事前や通常時は次のように扉が閉まっていて、通常時は全国各地の神々の拝礼所になっています。
神迎神事の翌日に行くと全ての扉が開かれているので、神迎神事の日に加え、神迎神事の翌日もぜひ出雲大社を訪れてみてください。
ちなみに、十九社は19のお社があるという意味ではなく、19間の長さがあるお社という意味です。
⑩御神座正面遥拝所で参拝
西十九社を正面にした時の後ろ側に、大国主大神に正面から参拝できる御神座正面遥拝所があるので、ここで大国主大神にご挨拶します。
⑪素鵞社へ向かう
本殿の裏手にある素鵞社(そがのやしろ)へ向かいます。
途中、西十九社の隣には氏社(うじのやしろ)があり、左側氏社には天穂日命の御子神の宮向宿禰(みやむきのすくね)、
右側氏社には天穂日命(あめのほひのみこと)が祀られています。
自由なメモ
宮向宿禰は出雲国造家(出雲大社宮司家)第17代目。大国主大神を祭祀することにお仕えし、また出雲国を統治する役割があった。天穂日命は天照大御神の第二子神で出雲国造家の始祖。天照大御神の命により大国主大神の祭主としてお仕えした神様。
氏社の隣には出雲大社の宝物を収蔵する宝庫もあります。1667年に創建された建物で2004年に重要文化財に指定されています。
現在、出雲大社の宝物は宝物殿(神祜殿)や彰古館などで管理しているので宝庫には収蔵されていないですが、神事に用いる神具などが収蔵されているそうです。
宝庫の北側に向かうと、御祭神の大黒さまや素戔鳴尊の御神像などが安置されている彰古館(しょうこかん)があります。(拝観料200円)
⑫素鵞社で参拝
本殿裏手にある素鵞社の御祭神は大国主大神の御親神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。天照大御神の御弟神でもあります。
素戔嗚尊は出雲国に天降りされ、肥河上(現島根県斐伊川上流)で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して人々を救った神様です。
社殿裏では無料で御神砂を頂くこともできます。
素鵞社の御祭神である素戔鳴尊(すさのおのみこと)のご加護を頂く信仰が古くからあり、「御守にして持ち歩く、土地に撒く、田畑に撒く」などをして厄払いの御利益を授かっています。
お砂取りをしたい方は出雲大社が伝える次の手順でお砂取りをしましょう。
- 稲佐の浜の砂を取りに行く
- 素鵞社で参拝する
- 社殿後方に向かう
- 社殿の床縁下に取ってきた稲佐の浜の砂を供える
- 御神砂を頂く
近年雑誌やTVでも紹介され、ご利益があると人気になったので神在祭など神事の期間は大行列になっています。
社殿裏では禁足地である八雲山の岩肌に唯一直接触れることができます。こちらにも祈りを捧げ、霊験あらたかな八雲山の岩肌にも触れることをおすすめします。
ちなみに素鵞社の右手付近には1914年に移築された文庫があります。
元々は彰古館付近に建っていて、貞享二年(1685年)には水戸徳川家2代目藩主徳川光圀(とくがわみつくに/水戸黄門)が「大日本史」の編集のため、助さん(佐々木助三郎)を出雲大社に派遣し、当時の文庫を訪れたそうです。
⑬釜社で参拝
本殿の右手にある釜社で参拝します。御祭神は宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)です。
素戔嗚尊の御子神である宇迦之魂神は食物、五穀豊穣を司る神様で、多くの稲荷社の御祭神です。保食神(うけもちのかみ)とも呼ばれています。
⑭東十九社で参拝
東十九社は西十九社と同様、神迎神事を終えた後に神々が宿泊するお社です。御祭神は八百萬神(やおよろずのかみ)で、通常時は全国各地の神々への拝礼所となっています。
こちらも神迎神事の翌日に行くと全ての扉が開かれているので、神迎神事の日に加え、神迎神事の翌日もぜひ出雲大社を訪れてみてください。
⑮神楽殿で参拝
本殿から西に真っ直ぐ進むと神楽殿(かぐらでん)があります。神迎神事が終わると神楽殿で奉迎の神迎祭が行われます。
通常は出雲大社・出雲大社教の神楽殿として御祈祷や結婚式などの祭事で使用されますが、本来は千家國造家の大広間として使用されていて、風調館(ふうちょうかん)と呼ばれていました。
神楽殿で有名なのが長さ13.6m、重さ5.2トンの大しめ縄です。日本最大とも言われています。
この大しめ縄は一般的な神社のしめ縄と綯い(ない)合わせ方が異なります。
一般的に神社のしめ縄は神様に向かって右が上位で綯い始め、左が下位で綯い終りとする張り方としますが、出雲大社では神様に向かって右が下位から綯い始め、左が上位で綯い終りになっています。この技法を大黒締めと呼びます。
出雲大社は古来より真逆にする習わしを伝承しているので、御神域を結界する神聖な大しめ縄にも用いられています。その習わしを示す事例が出雲大社には2つあります。
1つは本殿内の神様を祀る位置です。御客座五神として
- 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
- 高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
- 神産巣日神(かみむすびのかみ)
- 宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)
- 天之常立神(あめのとこたちのかみ)
の五柱を祀っています。一般的に神社では位の高い神様を一番右に祀りますが、出雲大社では位の高いとされる天之御中主神が一番左に祀られています。
2つ目は神饌(しんせん)をお供えする順番です。
江戸時代の出雲大社の祭事記録では上位の神様へのお供え物を左側、下位の神様へのお供え物を右側にする作法で進められていたので、現在でも左側の御神座から供進されています。
なお、以前は願掛けで大しめ縄に硬貨を投げる方もいましたが、神様に対して失礼にあたります。大しめ縄も傷むのでやめましょう。硬貨が落ちなければ願いが叶うというのは俗説だと出雲大社でも伝えています。
神楽殿前には大きな日の丸国旗もあり、国旗の大きさは13.6 m×9m(畳75畳分)で、こちらも国内最大の国旗とされています。
掲揚塔の高さは47mもあり、平安時代の神殿(約48m)の高さに近い大きさを誇っています。
国旗塔の右手には祓社(はらえのやしろ)と金刀比羅宮(ことひらぐう)があります。祓社には罪穢れを祓ってくれる祓戸四柱の神(はらえどよはしらのかみ)が、
金刀比羅宮には大物主神(おおものぬしのかみ)が祀られています。
大物主神の大(おお)は偉大や大きい、物主(ものぬし)は万物の根源・霊魂を司ることを意味します。殖産・医療・技術などの隆昌の御神徳があるとされています。
⑯國造家鎮守社で参拝
神楽殿の御守所右側の通路を進むと
神楽殿の裏手に国造家鎮守社があるので参拝します。
門をくぐった正面には3つのお社があります。中央に建っているのが天夷鳥命社(あめのひなとりのみことしゃ)と荒神社(こうじんじゃ)の相殿です。
相殿(あいどの)とは
二柱以上の神様を同じお社で祀ること
天夷鳥命社の御祭神は天夷鳥命(あめのひなとりのみこと)、荒神社の御祭神は沖津彦命(おきつひこのみこと)、沖津姫命(おきつひめのみこと)、五十猛神(いそたけるのかみ)です。
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天夷鳥命は天穂日命の御子神(出雲国造家第2代目の神祖)にあたる神様で、天穂日命の役割を継ぎ大国主大神の祭主として仕えた。
沖津彦命と沖津姫命は火に宿る神霊で食べ物を煮炊く竃(かまど)を司る神様。昔から朝廷でも台所の守護神として崇敬されていた神々。五十猛神は高天原の樹種を地上界へ持ってきた神様で、大国主大神が造った国に樹木を植えて回り、縁豊な国土を形成した神様。
天夷鳥命社と荒神社の右側には天穂日命社(あめのほひのみことのやしろ)があり、天穂日命(あめのほひのみこと)が祀られています。
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天穂日命は天照大御神の第二の御子神。天照大御神の命により大国主大神の祭主となった神様で、出雲大社を守る出雲国造家始めの神祖。
天夷鳥命社と荒神社の左側には稲荷社(いなりのやしろ)があり、は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と秋葉神(あきはのかみ)が祀られています。
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倉稲魂命は五穀豊穣を司る神様で、商売繁盛、産業の生成発展などの御神徳がある。出雲大社や日本書紀では伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこと)の御子神であると伝わる。秋葉神は火を司る、火難除け・火伏せの神様。
この三社の右側には火守社(ほもりのやしろ)と姥神社(うばかみのやしろ)があります。
火守社には猿田彦命(さるたひこのみこと)と75代千家俊勝公の神霊が、姥神社には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊奘冉尊(いざなみのみこと)、代々出雲国造公の神霊、千家家親族の神霊が祀られています。
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猿田彦命は最善の道に導いてくれる道開きの神様。75代千家俊勝公は代々出雲大社の宮司として仕える千家家の子孫で、1744年の延享の遷宮で大いなる働きをした方。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊奘冉尊(いざなみのみこと)は初めて夫婦神となり国土生成の国を生み、のちに天照大御神、月読尊、素戔嗚尊などの神々を生んだ神様。出雲大社では夫婦和合や子孫繁栄のご利益があるとされている。代々出雲国造公の神霊と千家家親族の神霊は出雲大社に仕えてきた出雲国造家の先祖の御神霊。
火守社と姥神社の正面には天満宮があり、天穂日命の御子孫である天満神(菅原道真公)が祀られています。
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幼少期から学問の才能を発揮し、宇多天皇・醍醐天皇の信頼を得て右大臣まで昇りつめた有力者。全国各地の神社で菅原道真公を祀ってからは学問・至誠・厄除けの神様として崇められ、天神さんの愛称で親しまれている。
⑰命主社(神魂伊能知奴志神社)で参拝
出雲大社の東側にある命主社(いのちぬしのやしろ)で参拝します。(正式名称は神魂伊能知奴志神社/かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)
命主社の御祭神は神産巣日大神(かみむすひのおおかみ)で、生成・生産・創造を司る神様です。(造化三神の一柱)
大国主大神が兄弟たちから迫害を受けた時に御霊力で蘇らせ、大国主大神の国造りを支えてお護りになった神様でもあります。
社殿前には樹齢1,000年以上のムクの巨木(高さ約17m、根元周り約12m)があり、島根県の名樹にも指定されています。
社殿裏には寛文の造営(1665年)の際に勾玉や銅戈、銅剣が出土した真名井遺跡もあります。太古の時代はここに社殿があり、勾玉、銅戈、銅剣自体が御神体であるという説もあります。
命主社へ行くには真名井社家通りを東に向かうと、
命主社専用駐車場の看板があるのですぐわかります。
出雲大社から徒歩3分ほどのところです。
⑱真名井の清水で参拝
命主社からさらに東へ徒歩5分ほど進むと真名井の清水があります。
真名井の清水の御祭神は弥都波能売神(みづはのめのかみ)です。ご挨拶してから御神水を頂きましょう。
⑲稲佐の浜へ向かう
神迎神事に参列するために稲佐の浜へ向かいます。出雲大社から稲佐の浜は徒歩で約12分ほどです。
神迎神事を近くで見たい場合は稲佐の浜に17時くらいに着くように、遠くから見る形で良い場合は18時頃に出雲大社を出て向かえば十分間に合います。
ちなみに稲佐の浜には弁天社があります。弁天島と呼ばれる大きな岩の上にあり、地元では「べんてんさん」と呼ばれて親しまれています。
夜に行くと暗くて見えませんが明るいうちに行くとキレイです。
現在の御祭神は海の神である豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)ですが、神仏習合の時代は福徳財宝の御利益で有名な弁財天が祀られていました。
また、かつてこの弁天島は稲佐湾のはるか沖にあり、当時は沖ノ島と呼ばれていて遠くから参拝していたそうです。
⑳神迎神事に参列する
稲佐の浜の北側入口で白い神迎御幣(かみむかえごへい)を頂いて神迎神事に参列します。
稲佐の浜は海が近いこともあって非常に寒いです。防寒対策はしっかりとしていきましょう。雨が降っていなかったとしても神迎神事の途中から雨が降ることもあるので、念のため折り畳み傘も持っていくのがおすすめです。
なお、神迎神事は撮影やフラッシュは禁止です。神様への感謝の気持ちを持って礼儀正しく参列しましょう。
稲佐の浜での神事が終わると龍蛇神が先導となり、八百萬の神々が宿った神籬(ひもろぎ)と神職たちは出雲大社に向かいます。多くの一般参列者も神々のあとに付いてお供しますが、稲佐の浜での神事が終わった時点で参拝は完了です。
神々のあとに付いてお供したい方はお供しましょう。
そのほかおすすめの摂社末社
出雲大社にはご紹介した他にも摂社末社があります。時間が許す方はぜひ回ってみてください。
①三歳社
三歳社(みとせのやしろ)の御祭神は高比売命(たかひめのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)、御年神(みとしのかみ)です。
もっと詳しく
高比売命と事代主神は大国主大神の御子神。国造りの際に力を尽し、大国主大神を助けた神々。御年神は素戔鳴尊の御孫神でその年の福徳を司る神様。歳徳神(としとくじん)とも呼ばれる。
1月3日には一年の開運をお祈りする福迎神事(ふくむかえしんじ)が執り行われ、一年間の厄を祓い幸福を招くとされる「福柴(ふくしば)」がこの日限定で頂けます。
三歳社に行くには神楽殿の右横にある素鵞川の右側の道を進みます。
徒歩10分程度で三歳社へ行く道があるので坂を下ります。
少し離れた静寂の中に三歳社が建っています。大穴持御子神社(おおなもちみこのかみのやしろ)とも呼ばれます。出雲大社からは徒歩10分ほどです。
②都稲荷社
都稲荷社の御祭神は、
- 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
- 佐田彦神(さたひこのかみ)
- 大宮能売神(おおみやのめのかみ)
- 田中神(たなかのかみ)
- 四神(しのかみ)
です。この五柱を総称して稲荷大神(いなりのおおかみ)と言います。
江戸時代末期、第76代千家俊信公が京都の伏見稲荷大社より稲荷大神の御分霊を祀ったのが起源です。この由来から稲荷社の頭に都を付けて「都稲荷社」と名付けられました。
稲荷大神は食物や五穀豊穣を司る神様で「商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達」の守護神として崇敬されています。
都稲荷社に行くには千家國造館の前の道を進みます。すると都稲荷社(みやこのいなりのやしろ)の看板があり、
すぐ近くに稲荷の幟と朱色の鳥居が見えます。
出雲大社からは徒歩2分ほどです。
③大歳社
大歳社(おおとしのやしろ)の御祭神は五穀を守護する大歳神(おおとしのかみ)です。大歳神は素戔鳴尊の御子神にあたります。
大歳社(おおとしのやしろ)は出雲大社から西方900m(徒歩10分ほど)の所にあります。
④上宮
上宮(かみのみや)の御祭神は素戔鳴尊(すさのおのみこと)、八百萬神(やおよろずのかみ)です。
上宮は神在祭の期間中(旧暦10月11日から7日間)、全国各地の神様が集まって神議(かみはかり/あらゆる縁を結ぶ会議)を行うお社です。神在祭中の参拝がおすすめです。
上宮は大歳社の右の小道を進んだ先にあります。大歳社から徒歩1分です。
⑤下宮
下宮(しものみや)の御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。天照大御神は皇室の御祖先であり、日本の総氏神として崇められている神様です。
上宮から徒歩1分ほどで着きます。
出雲大社のアクセスマップ
■出雲大社
【住所】島根県出雲市大社町杵築東195
【アクセス】・車の場合は山陰自動車道出雲ICを降りて国道431号線経由約20分
・電車の場合はJR出雲市駅から一畑バス「出雲大社・日御碕・宇竜行き」で約25分
・飛行機の場合は出雲縁結び空港から出雲大社直通バスで約35分(出雲空港到着ロビーのバス券売機で乗車券を購入)
【駐車場】
①大駐車場:約385台(無料)
②駐車場:約360台(無料)
③駐車場:約20台(無料)
出典 出雲大社
まとめ
出雲大社は年に一度全国の神様が集う古社です。出雲大社の神々、八百萬の神、そして龍蛇神とご神縁を結び、人生を豊かで幸せにしていきましょう。