神社仏閣

がま池伝説ゆかりの十番稲荷神社!稲荷神とかえるさんの加護で財運招福

2020年2月12日

十番稲荷神社

麻布十番にある十番稲荷神社は「がま池伝説」ゆかりの稲荷神社です。

商売繁盛の神(稲荷神)の御利益を頂けるだけでなく、火伏せの守り神であるかえるさんがあなたをあらゆる厄災から守ってくれます。

この記事では、十番稲荷神社のご利益や必ず手にしたい授与品、十番稲荷神社ならではの魅力、おすすめの順路と参拝方法などをまとめました。

十番稲荷神社には港七福神「宝船」の巡拝所もあるので、ご利益を求める経営者や芸能関係者など多くの方が参拝に訪れます。ぜひ一度足を運んでみてください。

*授与品の金額はお受けした当時の金額です。

十番稲荷神社のご利益

十番稲荷神社のご利益はこちらです。

  • 商売繁盛
  • 財運招福
  • 家内安全
  • 旅行安全
  • 防火・火傷除け
  • 諸災難除け
  • 武運長久
  • 難局打開

十番稲荷神社の御祭神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)は衣食住・商売繁盛の神様(稲荷神)です。麻布十番辺りで商売する方を中心に多くの関東の経営者が参拝しに訪れています。

相殿の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと/宗像三神)は七福神の弁財天と習合した神様で、財運のご利益があります。

相殿とは

同じ社殿に二柱以上の神様を祀ること

十番稲荷神社で必ず手にしたい授与品

十番稲荷神社で必ず手にしたい授与品は2つあります。

①純金の御守

十番稲荷神社の純金の御守

十番稲荷神社の純金の御守

純金の御守は幸福をもたらす七福神が描かれている純金箔のカード型お守りで、「金運上昇・開運招福」のご利益があります。

初穂料は一体5,000円と少し高いですが、純金箔が金運と同調して現金を集めてくれるのでおすすめです。お財布に入れて持ち歩きましょう。

【純金の御守について】
伝統工芸の職人が純金箔を使用して作り上げました。金運上昇・開運招福に、この上ない御利益をいただける御守です。
【所持・祀り方】
カード状になっておりますので、財布・カード入れ・名刺入れ等に収まります。また、貯金が増えるよう預金通帳などと一緒に入れたり、家全体が裕福となるよう神棚にお祀りいただいても結構です。
【お焚き上げについて】
通常の御守と違い、お焚き上げする期限はございません。破損したり、著しく汚れた場合に神社へお納めください。(十番稲荷神社)

②獲得の御守

十番稲荷神社の獲得の御守

十番稲荷神社の獲得の御守

獲得の御守は最も欲しい「物(もの)・事(こと)」を手に入れるための御守りです。(初穂料一体2,000円)

獲得の御守には付属の短冊が入っています。短冊に欲しいものを記入し、日頃からバックやカバンなどに入れて持ち歩きます。

十番稲荷神社の獲得の御守

十番稲荷神社の獲得の御守

ただし、獲得の御守は頂ける日が決まっています。(日にち限定)

  • 午の日
  • 酉の市(毎年11月の酉の日)
  • 正月の期間(元旦〜成人の日まで)

のみ頂ける特別なお守りです。

酉の市やお正月に行くのはなかなか難しい場合もあると思いますが、午の日なら毎月2〜3回訪れるので午の日を狙って頂くのがおすすめです。

十番稲荷神社ならではの魅力

十番稲荷神社ならではの魅力は3つあります。

①「がま池伝説」かえるの石像

十番稲荷神社 かえるの石像

十番稲荷神社 かえるの石像

十番稲荷神社の鳥居右側に「がま池伝説」のかえるの石像があります。昭和50年(1975年)に奉納された大蛙と小蛙の石像です。

がま池伝説のかえるは「火伏せ・防火・火傷」の守り神として信仰を集め、地元の方からは「かえるさん」と親しまれています。(平成28年/2016年の土地区画整理前までは水鉢と柄杓が配置され水掛けができた)

かえるの語音から

  • 財かえる…お金が戻ってくる
  • 無事かえる…出先(旅行先)から帰ってくる/遺失物が戻ってくる
  • 元気でかえる…若がえる/入院先などから帰ってくる

と言われ、財運招福・旅行安全・諸災難除けなどのご利益があります。

このかえるのご加護は「がま池伝説」として今まで伝承されてきました。(麻布七不思議の1つになっている)

がま池伝説とは

文政4年(1821年)麻布古川辺りから発生した大火災で麻布地区一帯は焼失したが、山崎主税助(やまさきちからのすけ)の屋敷のみが無事だった。屋敷内にあったがま池の大蛙が水を吹きかけ、猛火を退けて事が治ったのが理由。

*がま池は山崎家の敷地内にあった池で、深い樹林に囲まれ、いかなる日照りでも枯れることがなく、当時は約500坪(約1650平方メートル/バレーボールコートの約4倍)もあった。

それ以降、山崎家には御札を求める人々が続々と集まり、がま池伝説のかえる信仰が深まった。そこで山崎家は「上(じょう)」の一字を書いた御札を授けるようになり、防火・火傷の御守りとして授与していた。(この御札を「上の字様(じょうのじさま)」という)その後、御札は山崎家の家人清水家が授与していたが、後に末広神社の授与品として取り扱われた。戦後は奉製されなかったが、御札を求める声が多かったので昭和50年(1975年)より「かえるのお守り」として復活し、大蛙と小蛙の石像も奉納された。

平成20年(2008年)からは末広神社に伝わる史料を基に、約200年前の姿「上の字様」の御守りも授与できるようになった。この御守りは現存するがま池の水を使用して奉製された唯一の御守。(初穂料一体1,000円)

がま池は一部を残して今も存在しますが、マンションの敷地内となっているので立入ること(見学)はできません。(住民のご迷惑になるので一般には公開されていない)

かえるの由来

かえるの由来

かえるの由来
昔ある年、古川辺から燃え出した火事に此辺りすべて烏有(うゆう/何も存在しないこと)に帰してしまった時、「がま池」のほとり山崎主税助の屋敷のみ類焼を免れたのは、池中にいた大蛙が口から水をふいて、さしもの猛火を吹き消したとの故事により、山崎家から万人に「上の字」様のお守りが授けられました。その後末広様(当社の前の御社名)を経てわけられていました。その故事に因んだ「かえる」お守りは火防・やけどのお守・無事かえる・若がえる・何でもかえるお守として貴ばれております。

②金運・幸運を呼び込む「酉の市祭」

十番稲荷神社では毎年11月の酉の日に金運・幸運を呼び込む「酉の市祭(とりのいちさい)」が執り行われます。(酉の祭(とりのまち)と呼ばれていた時代もあった)

毎年11月の酉の日は必ず2回訪れ、1回目は初酉(一の酉)、2回目を二の酉と言い、年によっては3回目の三の酉が訪れる日もお祭は行われます。(年により酉の市祭の日は異なる)

酉の市祭は御祭神の御神恩に感謝し、翌年の「商売繁昌・開運招福・社運隆昌・家内安全」をお祈りする祭事です。縁起物の熊手守や福財布が授与できます。(9時〜23時頃まで開催)

また、酉の市祭では、

  • 金の満ちる御守、願掛け御札(初穂料一体500円)
  • 金満ち御札(初穂料一体2,000円)
  • 満願金貨(初穂料一体500円)
  • 大繁盛大判(初穂料一体7,000円)

の限定授与品を頂くこともできます。(正月期間、納涼まつりの日も頂ける)

十番稲荷神社では大正13年(1924年)11月の初酉(一の酉)より、港区内では唯一の酉の市祭が開催されました。今では麻布十番商店街の酉の市バザールも加わり、福徳を願う人々で賑わっています。

11月の酉の日にタイミングが合う方はぜひ十番稲荷神社の酉の市祭にも足を運んでみてください。

酉の市の由来

酉の市の由来は、関東を中心とした日本武尊(やまとたけるのみこと)を御祭神とする神社や酉(鳥)に関する社寺で、毎年11月の酉の日を縁日として祭事を行ったのが始まり。

大鷲神社(おおわしじんじゃ)の伝承では、日本武尊が東征の帰路、足立区花畑の地に本陣をおき、夷賊(いぞく/関東・東北地方で勢力があった民族)に苦しんでいた人々を救済し、これに感謝した人々が日本武尊の命日とされる11月の酉の日に神恩感謝のお祈りとして酉の市祭を執り行うようになったと伝わる。

浅草鷲神社(おおとりじんじゃ)の伝承では、日本武尊が東征の際に鷲神社で戦勝祈願をして、無事平定したことの祝勝とお礼参りに訪れた日が11月の酉の日だったので、この日を例祭日と定めて酉の市祭を執り行ったのが始まりと伝わる。

各神社の神事では御神前に「八つ頭の芋」と「熊手」を奉り、御祭神の御神恩に感謝と翌年の諸祈願をお祈りする慣わしがある。八つ頭は日本武尊が東征の時に八族を討伐した功績を称えて具象化したもの。まるで人の上に立つ日本武尊のように「出世できる」という縁起を結び付けた。熊手は日本武尊が焼津で焼き討ちに遭った際、火が燃え上らないようになぎ倒した草を熊手(当時の武器)でかき集めさせ、その火を防ぎ、向火を放ち討伐することができた。それ以降熊手は「火伏せ」や「家内に宝を掃き込む」縁起物として信仰されている。

浅草酉の長國寺では文永2年(1265年)日蓮宗の開祖である日蓮大聖人が上総国鷲巣(現千葉県茂原市)の小早川家(現大本山鷲山寺)に滞在していた時、国家平穏を願い祈っていたところ、11月の酉の日に「明星(金星)が動き出し不思議な力をもった鷲妙見大菩薩(わしみょうけんだいぼさつ)が現れ出た」と伝わる。それ以降、11月の酉の日をご開帳日・酉の市の例祭日と定め、開運招福の守り本尊として崇められている。(鷲大明神(わしだいみょうじん)、おとりさまとも呼ばれる)

「三の酉の年は火事が多い」という説があるが、当時の江戸は火事が大敵だったこと。そして三の酉の日付近は空気の乾燥する時期だったので、火に注意させるために伝えられていた。また、酉の市を利用して吉原へ出かけようとする男達を足止めするために女房達が「三の酉の年には火事が多い、だから夜遊びはほどほどにしな」と広めた説もある。

③港七福神宝船の巡拝所

十番稲荷神社 港七福神宝船の巡拝所

十番稲荷神社 港七福神宝船の巡拝所

十番稲荷神社の鳥居左側には港七福神宝船の巡拝所があります。七福神全員が揃って宝船に乗っている石像は大変珍しく、精巧かつ表情豊かな七福神宝船は十番稲荷神社の見所の一つです。

十番稲荷神社に「宝船のおやしろ」として建っているのには次の理由があります。

  • 十番稲荷神社の前身である竹長稲荷神社が「麻布稲荷七福神めぐり宝船の巡拝所」だった
  • もう一つの前身である末広神社が「弁財天の巡拝所」だった

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古くより竹長稲荷神社には安藤広重筆の七福神宝船画が伝来していた。(戦災により焼失)麻布稲荷七福神めぐり(現港七福神めぐり)の頃は竹長稲荷神社にお参りをして、伝来した宝船の木彫像を求めてから、各社寺で七福神の木彫像を集めて巡る形だった。(現在は宝船の木彫像は授与されていない)これに伴い、平成9年(1997年)に行われた社殿の新築に合わせて七福神宝船像も奉納された。実際には巡拝所に七福神は祀られていないが、今でも竹長稲荷神社の弁財天は相殿で祀られている。

平成30年(2018年)までは「宝」の文字が金ではありませんでしたが、御利益を授かった方から金箔の施しがあったほど、幸福招来のご利益は絶大だと言えます。

なお、毎年正月(元旦〜成人の日まで)の期間に開催される港七福神めぐりは、七福神を祀る7か所の社寺と、宝船の巡拝所である十番稲荷神社を加えた次の合計8か所をお参りするのが一般的です。

  • 氷川神社(毘沙門天)…元麻布1-4-23
  • 宝珠院(弁才天)…芝公園4-8-55
  • 大法寺(大黒天)…元麻布1-1-10
  • 熊野神社(恵比寿)…麻布台2-2-14
  • 久國神社(布袋)…六本木2-1-16
  • 櫻田神社(壽老神)…西麻布3-2-17
  • 天祖神社(福禄寿)…六本木7-7-7
  • 十番稲荷神社(宝船)…麻布十番1-4-6

現在の宝船の印影は当時の竹長稲荷神社で授与されていた御朱印のデザインが元になっています。港七福神めぐりの期間中のみ、伝承された七福神の特別御朱印を頂くことができます。(初穂料は一体300円)

港七福神めぐりをする方や御朱印を集めている方はこの期間を狙うのがおすすめです。

十番稲荷神社とは

十番稲荷神社

十番稲荷神社

十番稲荷神社は東京都港区麻布十番に位置する稲荷神社です。がま池伝説ゆかりの神社、港七福神宝船の巡拝所として親しまれています。

十番稲荷神社の御祭神

十番稲荷神社の御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)です。相殿には次の神様が祀られています。

  • 日本武尊(やまとたけるのみこと)
  • 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
  • 田心姫命(たぎりひめのみこと)
  • 湍津姫命(たぎつひめのみこと)

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)とは

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)は稲に宿る神秘的な精霊を神格化した神様です。食物や五穀豊穣を司ります。

稲荷神として信仰されていて、五穀豊穣や商売繁昌などの御神徳があります。

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古事記では須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)の間に生まれた御子とされている。

十番稲荷神社の稲荷神は元々は竹長稲荷神社の御祭神として崇敬されていました。

日本武尊(やまとたけるのみこと)とは

日本武尊(やまとたけるのみこと)は第12代景行天皇の第二皇子で、日本を代表する伝説の英雄神です。(第14代仲哀天皇の父にあたる)武運長久・難局打開のご利益があります。

幼名を小碓命(おうすのみこと)と言い、美少女に変装できるほどの美男子でもありました。古事記では倭建命、日本書紀では日本武尊といいます。

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小碓命は幼少期より「力・直感力・知恵・武芸」に優れていたので、景行天皇に背むく兄に「小碓命よ、大碓命にねぎ教えさとせなさい。」という命を受けたが、「ねぎらう」の意味を殺害だと勘違いして兄を殺めてしまう。これに怖れた景行天皇は朝廷に従わない西国(九州)の熊襲建(くまそたける/兄弟)を征伐するように命じたが、小碓命は難なく平定する。これがきっかけで「やまとたける(日本で強い者を意味する)」の名を与えられ、以降日本武尊と呼ばれている。これが熊襲討伐(日本武尊西征)。

熊襲討伐の帰途では出雲国出雲建(いずもたける)も討って平定し、すぐに景行天皇の元へ帰還したが、休む間もなく東国討伐(東征)の命を受けて出発する。東征へ向かう途中、叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)のいる伊勢神宮に立ち寄り、景行天皇の仕打ちを嘆き泣き悲しむと、その姿に憐れんだ倭姫命は「神剣天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」と「火打具が入った小さな袋」を渡して東国へと送り出した。これが出雲討伐と東国討伐。

さらに東へ向かった日本武尊は尾張国で美しい美夜受比売(みやずひめ)と出会い恋に落ち、大和に帰ったら結婚する約束を交わした。さらに東へと向かって駿河国に到着すると歓迎された国造(くにのみやつこ)に騙されてしまい四方から火を放たれたが、神剣で草をなぎ払い、火打具で火を起こして返り討ちにした。これが駿河国討伐であり、草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになった由来。ちなみに神剣の草薙剣は美夜受比売により日本武尊の御神霊と共に愛知県熱田神宮で祀られている。

走水海(現神奈川県横須賀市)から房総(現千葉県南房総市)までの航海では、荒波に襲われて難航したため、海神の怒りを鎮めるために同行していた后の弟橘比売(おとたちばなひめ)は自ら身を投げた。これで海は静まり一行は無事に対岸に着くことができた。その7日後、弟橘比売の櫛が海辺で見つかり、悲しんだ日本武尊は御陵(お墓)を造って祀り、東征を再開した。その後、日本武尊は東国の蝦夷(えみし)を討ち破り東国を平定した。これが東国平定。

尾張国に戻ると美夜受比売と結ばれ、しばらく共に過ごしていたが、近江の伊吹山に悪い神がいると聞き討伐に旅立つ。日本武尊は度重なる勝利に過信していたので大切な草薙剣を置いたまま戦いに向かった。伊吹山を登る途中で白い大きな猪と遭遇し、「山の神の使い」だと思い相手にしなかったら、突然毒気がある激しい氷雨が降り出し、行く手をふさがれてしまう。この猪こそが山の神だと悟った日本武尊は何とか伊吹山から脱出し、故郷の大和を目指して進むが、伊勢国能褒野(のぼの)の地で力尽き倒れてしまう。この時、自らの死期を悟り、大和や妻への思いを歌った「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし」の歌が有名。「大和は国の中で最も優れた国。幾つにも重なりあった青い垣根のような山に籠っている大和は本当に美しい所であります。」という意味。

美夜受比売や子供たちは能褒野に駆け付け嘆き悲しんでいると、日本武尊の御霊が白鳥となって御陵から飛び立った。これが有名な白鳥伝説。白鳥が飛び立って舞い降りた地は全国各地で伝承されているが、日本武尊を御祭神とする大阪府の大鳥神社の社伝では「最初に舞い降りたのは大和の琴弾原(ことひきのはら/現琴弾原白鳥陵)、再び舞い上がり次に降り立ったのが河内国の古市(現古市白鳥陵古墳)、そしてまた飛び立ち最後に留まったのが大鳥神社の地で、そこにお社を建てて祀った。」「白鳥が舞い降りた時は一夜にして樹木が生い茂った。」と伝承されている。(約1900年前)

市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)とは

市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)は水の神・海の神で財運と学芸芸能の御神徳があります。七福神の弁財天としても有名です。

十番稲荷神社で祀られている宗像三女神(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)は元々末広神社で祀られています。

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別称は市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、狭依毘売命(さよりひめのみこと)。天照大御神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)が高天原で誓約(うけい)をした時、天照大御神が須佐之男命の十拳剣(とつかのつるぎ)を噛み砕いて吹き出した霧から生まれた神様。(誓約とは古代日本で行われた神聖な占い)この時、湍津姫命(たぎつひめのみこと)と田心姫命(たぎりひめのみこと)も生まれ、この三柱を三女神(宗像三女神)と言う。市杵島姫命を祀る神社は多いが、特に有名なのは福岡の宗像大社や広島の厳島神社。

田心姫命(たぎりひめのみこと)とは

田心姫命(たぎりひめのみこと)は市杵島姫命と同様、天照大御神と須佐之男命の誓約によって誕生した海(水)の神です。

別称は多紀理姫命(たぎりひめのみこと)、田心姫神(たごりひめのかみ)、奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)で、出雲大社の御祭神である大国主神(おおくにぬしのかみ)と夫婦になった神様です。

田心姫命を主祭神とする有名な神社には宗像大社(沖津宮)があります。

湍津姫命(たぎつひめのみこと)とは

湍津姫命(たぎつひめのみこと)も天照大御神と須佐之男命の誓約によって誕生した海(水)の神ですが、たぎつには「水が激しく流れる」という意味があり、古来から激流の女神として親しまれてきました。

漁業繁栄の神様であり、大和朝廷の大陸進出の際、対外航路の守護神として崇められた神様で、湍津姫神(たぎつひめのかみ)ともいいます。

湍津姫命を祀る有名な神社には宗像大社(中津宮)があります。

十番稲荷神社の歴史

十番稲荷神社は第二次世界大戦で被災した末広神社(旧坂下町に御鎮座)と竹長稲荷神社(旧永坂町に御鎮座)が合祀され建立した神社です。この際に十番稲荷神社と改称しました。

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合祀とは二柱以上の神様を同じお社で祀ること

両社は昭和20年(1945年)戦災により焼失したため、5年後の復興土地区画整理によって麻布十番の地に造営されました。平成9年(1997年)地下鉄の開通に伴い、コンクリート造営の新社殿に建て替えられて今に至ります。

末広神社とは

末広神社(すえひろじんじゃ)は慶長年間(1596年~1615年)創建の坂下町辺りの鎮守社でした。

元禄4年(1691年)までは坂下町の東方位に建っていましたが、元禄6年(1693年)永井伊賀守道敏(江戸時代中期の譜代大名)の寺社奉行(じしゃぶぎょう)により坂下町北西位に移建しました。

寺社奉行とは

江戸幕府の職名。社寺の職務(神主・僧侶の管理など)や、その周辺の領地の人々を管理する組織のこと。鎌倉・室町幕府の時代では社寺の祭祀、法要など一切の事務職を管理する組織だった。

古から神社の境内には多くの柳樹があったので「青柳稲荷」といいましたが、一樹の枝が繁り扇の形になったことから「末広の柳」と呼ばれ、社名も「末広稲荷」になりました。

明治6年(1873年)に社格は村社になり、明治20年(1887年)に末広神社に改称されます。

麻布稲荷七福神(現港七福神)は弁財天の巡礼所で多くの参拝者が訪れる神社でしたが、昭和20年の第二次世界大戦の戦災に遭い焼失してしまいます。5年後に竹長稲荷神社と合祀され、社名は十番稲荷神社となりました。

竹長稲荷神社とは

竹長稲荷神社の創建は不明ですが、和銅5年(712年)の創建であったという伝承と、弘仁13年(822年)慈覚大師円仁(比叡山延暦寺の住職で師最澄の元で天台宗を広めた一人)が八咫鏡を納めて倉稲魂命を勧請(かんじょう)し、社殿を造営したとも伝わっています。

勧請とは

分霊を他の神社に移すこと。分霊しても元の神霊に影響はなく、分霊も本社の神霊と同じ働きをするとされている。

古くは格式の高い神社で、延喜式神名帳(朝廷が運営する神社が載っている帳面)に記載された稗田神社(ひえたじんじゃ)だったとも伝わり、弘安2年(1279年)には鳥羽氏によって社殿を再建されたと伝わっています。

寛永元年(1624年)永坂町に移建され「竹千代稲荷」と呼ばれていましたが、徳川家光公の幼名(竹千代)を避け、「竹長(たけちょう)稲荷神社」に改めました。

竹長稲荷神社も昭和20年の第二次世界大戦の戦災に遭い焼失してしまい、5年後に末広神社と合祀され、社名は十番稲荷神社となりました。

十番稲荷神社のおすすめの順路と参拝方法

十番稲荷神社のおすすめの順路と参拝方法をご紹介します。

①鳥居をくぐる

十番稲荷神社の鳥居

十番稲荷神社の鳥居

正面の鳥居をくぐります。

平成9年(1997年)の新社殿造営前までは喜劇俳優えのけんさん(榎本健一氏)が奉納した鳥居もありましたが、老朽化のため造営と共に新しい鳥居に建て替えられました。

石段を登ると神殿を守る狛犬が建っています。右側は口が開いている阿形の狛犬で、

十番稲荷神社の狛犬(阿形)

十番稲荷神社の狛犬(阿形)

左側は口を閉じている吽形の狛犬です。

十番稲荷神社の狛犬(吽形)

十番稲荷神社の狛犬(吽形)

②手水舎で身を浄める

十番稲荷神社の手水舎

十番稲荷神社の手水舎

石段を登った右側に手水舎があるので身を浄めます。

③本殿で参拝

本殿で参拝します。鳥居をくぐって階段を登った正面にあるのが本殿です。

十番稲荷神社の本殿

十番稲荷神社の本殿

御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、相殿には次の神様が祀られています。

  • 日本武尊(やまとたけるのみこと)
  • 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
  • 田心姫命(たぎりひめのみこと)
  • 湍津姫命(たぎつひめのみこと)

本殿左側にはおみくじもあります。(初穂料100円)

十番稲荷神社のおみくじ

十番稲荷神社のおみくじ

本殿左手にある授与所で御朱印や授与品を頂けます。

【御朱印受付時間】10:00~12:00、13:00~16:30
*祭礼、繁忙期は時間を変更する事がある

御朱印を入れる十番稲荷神社特製ファイルも付いてきました。(初穂料一体300円)

十番稲荷神社の御朱印

十番稲荷神社の御朱印

正月期間・納涼まつり・酉の市の時には拝殿の横に配置される「満願成就のかえるさん」にも参拝できます。

鳥居を出た左側には「がま池伝説のかえるの石像」があります。

かえるの石像

かえるの石像

反対側には港七福神宝船の巡拝所があります。

港七福神宝船の遥拝所

港七福神宝船の遥拝所

これで十番稲荷神社の参拝は完了です。

十番稲荷神社のアクセスマップ

十番稲荷神社のアクセスマップ

出典 十番稲荷神社

■十番稲荷神社
【住所】東京都港区麻布十番1-4-6
【アクセス】・東京メトロ南北線・都営大江戸線「麻布十番駅7番出口」徒歩すぐ

麻布十番駅7番出口

麻布十番駅7番出口

・南北線「麻布十番駅」から徒歩5分
【駐車場】なし、車の場合は近隣のコインパーキングを利用

まとめ

十番稲荷神社には芸能関係者や経営者などが参拝に訪れます。商売繁盛、金運招来、開運のご利益があるのでぜひ参拝してみてください。

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  • この記事を書いた人
園 善博

園 善博

京都出身の速習法インストラクター。経営の神様と呼ばれた松下幸之助など数多くの有名企業が神仏に祈念しているのを見て「目に見えない運気を高めることが成功につながる」と考え、独立してから風水や西洋魔術、神道、真言密教、陰陽道など、多岐に渡るジャンルを先生に師事し、15年以上学ぶ。独自の「速習法」や「勉強法」を公開した書籍は10冊を超え、講師歴12年で10,000名以上の受講生を輩出している。→プロフィール詳細へ

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