羽衣伝説は日本各地に数多く残されていますが、和銅6年(713年)に編纂(へんさん)が命じられた丹後国風土記(たんごのくにふどき)に記されているものが「文字として残された日本最古の羽衣伝説」と言われています。
しかし、実は丹後には2つの羽衣伝説が存在します。
1つは丹後国風土記に記されている「天女が奈具社や伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)の神様となった」説、もう1つは「天女と夫婦になった猟師 三右衛門(さんねも)の子孫である安達家」に伝わる伝承です。
また、羽衣伝説に出てくる天女が舞い降りた池は磯砂山(いさなごさん)の女池(めいけ)という説と、男池(おいけ)という説があり、羽衣伝説に登場する池にも2つの伝承があります。
この記事では丹後に伝わる2つの羽衣伝説や、天女が舞い降りた女池(めいけ)と男池(おいけ)についてまとめました。
丹後の羽衣伝説に興味がある方はぜひチェックしてみてください。
丹後に伝わる2つの羽衣伝説
丹後国風土記の羽衣伝説と安達家に伝わる羽衣伝説、どちらも
- 8人の天女が池に舞い降りて水浴びをした
- 羽衣を隠す
- 天女は酒造りが上手
といった点は同じですが、主に次のような違いがあります。
丹後国風土記 | 安達家の伝承 |
・老夫婦が子供として天女を迎える ・天女に娘はいない ・最終的に老夫婦が天女を追い出す ・天女は天に帰れず奈具の村に鎮まる |
・若い猟師が天女を嫁に迎える ・天女に美しい3人の娘が生まれる ・天女は天に帰ってしまう ・七夕の発祥と言われる話がある |
それぞれ詳しく見ていきましょう。
①丹後国風土記の羽衣伝説
丹後国比治の山(磯砂山)の山頂、真奈井の池に8人の天女が舞い降りて水浴びをしていました。それを見た比治の里に住む和奈佐(わなさ)というおじいさんが、天女を帰すまいと1人の天女の羽衣を隠してしまいます。
羽衣を無くした天女だけ天に舞い上がることができなくなり、水中に身を隠していると「私には子供がいない。あなたが私の子になってください。」とおじいさんは言いました。
天女はその言葉に従い、羽衣を返してもらって老夫婦と一緒に暮らすようになります。
天女はお酒を作るのが上手で、そのお酒を一杯飲むと万病がたちまち治ったことから、老夫婦の家は瞬く間に大金持ちになり、里も豊かになりました。
10年ほど経つと老夫婦は「お前は私たちの子ではない。しばらく住んでもらっただけだ。さっさと出て行ってくれ。」と天女を追い出してしまいます。
天女は泣きながら出て行き、空を仰いで「天の原 ふりさけ見れば霞みたち 家路まどいて 行くえしらずも」と歌を詠みました。
さまよった天女は荒鹽の村(峰山町久次とされる)に辿り着き、その後丹波の里の哭木(なきき)の村(峰山町内記)から竹野の郡船木の里(弥栄町船木の里とされる)の奈具の村に行き、その村に鎮まりました。
この天女が竹野郡の奈具社(なぐ社)の御祭神「豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)」です。豊宇賀能売命は穀豊穣・衣食住守護・諸業繁栄の神様で、伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神のことです。
こちらの写真が奈具神社です。
奈具神社には「丹後国風土記と奈具神社」についての看板もあります。
現在の奈具神社は船木にありますが旧鎮座地は不明です。奈具の村は1443年(嘉吉3年)の大洪水で壊滅的な被害を受け、廃村になったと伝わっています。
洪水被害により御祭神は溝谷神社の相殿に合祀されていましたが、1873年(明治6年)に現在地に遷宮されました。
■奈具神社
【主祭神】豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)
【境内摂社】秋葉神社 可遇土神(かぐつちのかみ)…火の神
若宮神社 素盞鳴命(すさのおのみこと)…海神
【住所】京都府京丹後市弥栄町船木273
【駐車場】鳥居付近に3台ほど駐車できるスペースあり
ちなみに、豊受大神は丹後地方に初めて稲作を指導した神様で、京丹後市には「月の輪田(わでん)」と呼ばれる三日月型をした水田があります。
こちらの写真↑はすでに稲刈りが終わってしまっている時期だったので三日月型をしているかどうかわかりませんが、二箇区「月の輪田」保存会のパンフレットに昭和3年に撮影した写真が載っています。(こちら↓の右の写真)
月の輪田 碑文
月の輪田は三日月田とも云い、大昔豊受大神が苗代の清水戸に浸した籾をここに蒔き、とれた稲種を天照大神に奉ったという遺跡である。代々の領主は除地としてこれを保護し、二箇村の義右衛門は毎年身を清めて稲を作り、白米一斗三升を初穂として伊勢神宮に奉納し、藁は全部この田に入れて翌年の肥料に当てたという。昭和四十二年農業構造改革事業にともない、耕地整理のため、北接十米の二本松稲荷前に移し、柿の木地蔵も併せて合祀し、これを保存すると共に農業発祥の地の由来を記し、後世に伝えようとするものである。昭和四十二年十月建立 二箇区寄贈
こちらの写真↑の案内には「保食神(うけもちのかみ)が稲種を天照大神に奉った田」とありますが、豊受大神のまたの御名を保食大神(うけもちのおおかみ)と言います。
月の輪田
その昔保食神(うけもちのかみ)が稲種を天照大神に奉った田といわれています。苗代にある「清水戸」と共に外宮故地比治麻奈為の里にふさわしく意味深いものです。平成五年三月 京丹後市教育委員会
月の輪田の案内に出てくる清水戸(せいすいど)は月の輪田のすぐ近くにあります。約500m、徒歩で約6分のところです。
清水戸
この村を苗代といいます。大昔豊受大神がはじめてこの地で豊作を試み、籾を浸した所といわれています。古歌に いざなぎや種をひたする清水戸 五穀初まる これぞ苗代 昭和五十五年十月 京丹後市教育委員会
清水戸の水は少し白濁としています。干ばつの時でも枯れることがないそうです。
②三右衛門の子孫の安達家に伝わる羽衣伝説
峰山の比治の里に住む三右衛門(さんねも)という若い狩人が、狩りのために比治の山(磯砂山)の山頂近くに行くと、8人の天女が舞い降りて池で水浴びをしていました。
近くの木の枝には天女の羽衣がかけてあり、あまりの美しさに1人の天女の羽衣を家に持ち帰り、大黒柱に穴をあけてその中に隠しました。
天女は天に帰ることができず、三右衛門を訪ね「羽衣を返してください。」と頼みましたが、「家宝にするんだ。」と言って返してくれません。天女はあきらめて三右衛門の嫁になり、美しい3人の娘が生まれます。
天女は美しいばかりでなく、蚕飼いや機織り、米づくり、酒造りが上手で、比治の里の人々は天女から色々と教えてもらい、里も豊かになって人々は幸せに暮らしました。
しかし、天女は天が恋しくてたまらず、三右衛門が狩りに出ている時に「父さんは毎日どこを拝んでいるの?」と娘たちに聞き、大黒柱に隠してあった羽衣を見つけると、娘たちにこれまでの理由を話し、天へと帰って行ってしまいます。
戻ってきた三右衛門に天女は「7日7日(7日ごと)に会いましょう。」と言いましたが、様子を見ていた天邪鬼(あまのじゃく)が「7月7日(一年ごと)に会いましょう。」と三右衛門に伝えました。
三右衛門は天女が恋しくてたまらず、天女からもらったゆうごう(夕顔)の種をまいてみると、つるが天に向かって伸びて行ったので、三右衛門はつるを登って天にたどり着きます。
そこは美しい天井の世界で、妻の天女が寄ってきて「せっかく来てくださったのだから橋をかけてください。でも橋をかけ終わるまで私のことを思い出してはいけません。そうすれば一緒に暮らすことができます。」と言いました。
三右衛門は一生懸命に橋を作りましたが、橋が出来上がる約束の7月7日が来た時、嬉しさのあまり「もうすぐ天女と暮らせる」と天女の姿を頭に思い浮かべてしまいます。すると天の川が溢れ出して大洪水となり、三右衛門は下界に押し流されてしまいました。
里に帰った三右衛門は天女のことを想い、比治の山(磯砂山)の山頂からいつも天を眺めていました。洪水がおさまった天の川は夜空を横切るような光の帯となり、まるで天女が三右衛門の姿を見ているようでした。
その後、比治の里の人々が天女の長女を祀ったのが乙女神社です。お参りすると美女が授かると伝わっています。
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次女は多久神社、三女は奈具神社に祀られたと伝わる
こちらの写真は乙女神社です。
天に帰ってしまった天女は毎年7月7日の夜、星となって三右衛門と3人の娘に会いにやってくるそうで、この話は七夕の発祥とされています。
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天女と夫婦になった三右衛門(さんねも)の子孫である安達家の家紋は丸に七夕。屋号もたなばた。安達家では今も七夕の前日である8月6日(旧暦7月6日)に七夕祭りをしている。
■乙女神社
【主祭神】豊宇賀能賣神(とようかのめのかみ)
【境内社】八柱神社 豊受大神(とようけのおおかみ)…五穀豊穣の神・倭伴神(おともがみ)…主神におともする神
吉野神社 大山祇神(おおやまつみのかみ)…山の神・火産霊命(ほむすびのみこと)…火の神
【住所】京都府京丹後市峰山町鱒留
【駐車場】目の前にある天女の里に無料で駐車可
天女が舞い降りた池|女池(めいけ)と男池(おいけ)2つの伝承
丹後の羽衣伝説に出てくる天女が舞い降りた池は磯砂山(いさなごさん)の南側に位置する「女池(めいけ)」が一般的な説で、女池は磯砂山の観光スポットになっています。
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磯砂山(いさなごさん)は射狭那子嶽や伊佐那子嶽とも書く。この地に天降りをした伊射奈岐大神(いざなぎのおおかみ)・伊射奈美大神(いざなみのおおかみ)にちなんだ山名とも伝わる。
こちらが女池です。現在は池というよりも大きな水たまりといったイメージですが神秘的な場所です。
しかし、羽衣伝説に出てくる池は女池ではなく男池(おいけ)だという説もあります。
松本寅太郎さんの「磯砂山の昔ばなし」によると、天女と夫婦になった猟師 三右衛門(さんねも)の子孫である安達家では、「代々羽衣を取ったのは女池ではなく男池」と伝わっているそうです。
- 男池を知る人は地元でもごくわずか
- 男池周辺は終戦時まで官有地(かんゆうち)に指定され、官憲(かんけん)に監視されていた(官有地は国家の所有地、官憲は官庁や役所、その任務に携わる官吏や役人などのこと)
- 男池周辺は熊野三山の管轄だった時期があり、明治になって国の管轄になった
- 地元では男池の他言を禁じられていた
- 男池は丹後風土記や中世の神道書「元元集(げんげんしゅう)」などの文献で眞井(まない)と呼ばれている
- 神武天皇のご先祖の神様が堀り、皇族が祀られていた
- 古文書では「御池」の名で多く登場し、中には隠池もある
- 男池に最も近い民家があった長舟という谷では、先祖代々男池周辺は女人禁制、男の人も安易に近づいてはいけない神の山、男池を他人に語ることも禁止
など、この本には「羽衣伝説に出てくる池は男池」といった話が数多く出てきますが、特に注目したいのは「安達家は丹後国風土記の羽衣伝説に出てくる和奈佐(わなさ)の家系」だということです。
「和奈佐は後に神様として祀られたので、神様の名前を名乗るのは畏れおおいから安達家は三右衛門を名乗った」とのことですが、このことを踏まえると丹後国風土記に出てくる羽衣伝説も三右衛門の羽衣伝説も両方安達家から生まれたことになります。
この理由についても「磯砂山の昔ばなし」に書かれていて、「三丹古事記によると度重なる戦火対策として、村には大切なものを2つ設けたという記録がある。外敵から攻められた時のために偽物を作っておき、真贋の区別を紛らわしくして本物を守った。」とのことです。
8人の天女が舞い降りた池は果たして女池か男池か。確認する術はありませんが、「磯砂山の昔ばなし」には羽衣伝説について非常に興味深い内容が書かれているので、関心がある方はぜひチェックしてみてください。
なお、「磯砂山の昔ばなし」には男池がある場所について書かれています。
ただ、男池周辺の山は私有地ですし、男池周辺の山や谷は大変危険です。聖地を守るためにも安易に近づくのは止め、誰でも男池を目にできるようになった時に訪れるようにしましょう。
池に舞い降りた8人の天女と北斗七星
羽衣伝説で池に舞い降りた8人の天女は北斗七星との説があります。
北斗七星には第六星(ミザール/Mizar)の横に輔星(アルコル/Alcor)と呼ばれる小さな星があり、この輔星(ほせい/そえぼし)を加えると北斗七星は8つの星から構成されています。(輔星の読み方はほせい、もしくはそえぼし)
陰陽道では輔星を重要視していて、金輪星といって信仰の対象です。
こちらの写真のMizarの横にあるAlcorが輔星です。
出典 Wikipedia
民俗学者の吉野裕子さんの著書「隠された神々」によると、この「輔星が天に帰れなかった天女の豊受大神で、天に帰った7人の天女が柄杓の形をした北斗七星」とのお話です。
磯砂山にある女池の行き方
女池(めいけ)は観光スポットです。男池と違って気軽に見に行くことができます。磯砂山(いさなごさん)にある女池の行き方をご紹介します。
①羽衣茶屋に車を停めて登山口へ
女池に行く時は羽衣茶屋の近くにある磯砂山の登山口から登るコースが簡単です。まずは登山口に行くために車で羽衣茶屋に向かいます。
こちらが羽衣茶屋です。無人なので駐車場代などの利用料はかかりません。左が東屋で右側はトイレになっています。
トイレはここが最後です。女池にだけ行く場合はここから1~1.5時間、山頂にも行く場合は2~2.5時間くらいトイレに行くことができないので必ず行っておきましょう。
登山口へは羽衣茶屋のすぐ近くから行くことができます。登山口までは310mです。
ちなみに、この日↑のように車が通れないよう進入禁止になっていなければ登山口のすぐ近くまで車で行くことができます。
ただ、登山口付近は2~3台ほどしか駐車できませんし、道もかなり狭いので、運転に自信のない方は羽衣茶屋に車を停めるのが安心です。
②女池に向かう
登山口に着いたら女池に向かいます。
頂上まではここから1,000段です。整備された道が続きますが、割と急な階段が多いのでハイキング気分で登ると大変な目に遭います。登山靴を履いていくのがおすすめです。
女池までの道は分かれ道が一箇所あるだけなので迷うことはないですが、登山口から約15分くらいの場所にあるこの案内板↓が見える場所が分かれ道の目印です。
案内板がある左の道は頂上に向かう道なのでそちらには行かず、この場所を右に行きます。
右を向くと何やら別の看板↓が見えますが、こちらが女池への道です。
ちなみにこの看板には磯砂女池の羽衣伝説が書かれています。
看板から5分程度歩くと女池が見えてきます。
こちらが8人の天女が舞い降りて水浴びをしたとされる女池です。
ただの水たまりのように見えますが、池だった時はどのような池だったのでしょうか。
③山頂に向かう
分岐点に戻って今度は山頂に向かいます。分岐点の案内板の先にある階段が山頂への道です。女池だけが目的の方は登山口の方に戻りましょう。
山頂への道はなかなかハードです。急な階段が続きます。
頂上まで500段の場所です。後ろを振り向くと結構急なところを登って来たのにあと半分もあります。
やっと頂上まで250段のところに来ました。
さらに登っていくと南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)と書かれた石碑があります。ここまで来たらあと少しです。
分岐点から約40分、やっと頂上に到着しました。山頂はキレイに整備されているのでゆっくり休憩することができます。
山頂には「日本最古の羽衣伝説 発祥の地」と書かれた石碑や、
うすくなってしまった案内図、
三角測量を行う時、経度・緯度・標高の基準になる三角点、
ベンチもあるので座って休憩もできます。
ゆっくり休んで体力が戻ってきたら安全に下山しましょう。
まとめ
羽衣伝説に興味がある方は奈具神社や乙女神社、女池もぜひ訪れてみてください。