奈良県宇陀市室生(うだしむろう)にあるにある室生龍穴神社(むろうりゅうけつじんじゃ)は水・雨を司る高龗神(たかおがみのかみ)や雨乞いの神として知られる善女龍王(ぜんにょりゅうおう)を祀る古社です。
奥宮には霊験あらたかな聖地「吉祥龍穴(きっしょうりゅうけつ)」があり、龍神様が御鎮座している龍穴を実際に見ることができます。
この記事では、室生龍穴神社のご利益や室生龍穴神社ならではの魅力、おすすめの順路と参拝方法などをまとめました。
平安京に恵の雨を降らし、人々に幸福をもたらした龍神様と繋がることができるので、強運をつかみたい方はぜひ訪れてみてください。
室生龍穴神社のご利益
- 諸願成就
- 運気上昇
- 縁結び
- 無病息災
- 夫婦和合
- 家庭円満
水を司る高龗神は浄化や厄払いのご利益があり、善女龍王は善龍とも呼ばれる幸福をもたらす龍神です。また、龍は再生を象徴するので繁栄の道へと導いてくれます。
室生龍穴神社ならではの魅力
室生龍穴神社ならではの魅力は5つあります。
①吉祥龍穴(奥宮)
室生龍穴神社の奥宮でもある吉祥龍穴(きっしょうりゅうけつ)は龍神が棲む所・神の鎮座する場所です。
正式名称は妙吉祥龍穴(みょうきっしょうりゅうけつ)と言い、貴船神社奥宮(京都府)、岡山備前(岡山県)の龍穴と共に日本3大龍穴の1つに数えられています。
日本3大龍穴の中で実際に目で拝むことができるのは吉祥龍穴だけなので大変貴重な龍穴です。
龍穴とは
生命エネルギーに溢れた土地のこと。風水ではこの土地に住むと繁栄すると言われている。
吉祥龍穴には「鎌倉時代初期に記された古事談の説」と「榛原赤埴の白岩神社の社記」の2つの説話が伝承されています。
鎌倉時代初期に記された古事談の説
鎌倉時代初期に記された古事談(こじだん)によると、その昔、興福寺(奈良市)近く猿沢の池に棲んでいた龍王が清浄地を求め室生の地へと移ってきたと伝わる。
龍王のことを聞いた室生の高僧は龍王を拝みに龍穴に訪れると、中には法華経(ほけきょう/仏教の代表的な経典)一巻と人の姿をした龍王がいた。その時出会った龍王を像に刻み、室生龍穴神社で祀るようにした。
榛原赤埴の白岩神社の社記
榛原赤埴(はいばらあかばね) の白岩神社(しらいわじんじゃ)の社記によると、吉祥龍穴は須佐之男命(すさのおのみこと)の娘である須勢理比咩命(すせりびめのみこと)が籠もった旧跡であると伝わる。
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須勢理比咩命は大国主命(おおくにぬしのみこと)の妻。
須勢理比咩命が室生の岩窟(龍穴)に入り、巨岩で口を塞ぎ赤植土を塗って鎮座していた。この時、中国の龍神信仰が日本にも伝わり、龍の住む所を龍穴と呼んだことで龍穴信仰の対象となった。
須勢理比売命を奉祀していたのは大和国(現奈良県)宇陀郡の氏族である赤植氏。
赤植氏は室生室生龍穴神社の神を氏神とし、産土神を赤植大明神 須勢理比咩命として奉斎(ほうさい)していたが、須勢理比咩命は790年(延暦9年)に榛原赤埴の白岩神社の元で祀られるようになった。(大和志料下巻 赤植家系図を参考)
奉斎(ほうさい)とは
神仏を慎んで祀ること。
②九穴八海伝説
室生地一帯は約1500万年前の室生火山群によって生まれた「九穴八海(きゅうけつはっかい)」という龍神にまつわる聖地が存在します。
九穴とは「三龍穴+六岩屋」のことで八海は「五渕(ごぶち)+三池」です。これらの計17か所が室生に伝わる伝説の聖地になります。
古い書物には九穴八海の正確な位置が伝わるそうですが、現在把握できる位置はごく一部で、明確に伝承されてきたのが吉祥龍穴や天の岩戸です。
三龍穴とは
三龍穴は室生の地にある次の3つの洞窟のことです。そこには龍神が棲んでいると考えられ「龍穴」と呼ばれるようになりました。
- 室生龍穴神社奥宮…「吉祥龍穴」
- 仙人橋付近…「沙羅吉祥龍穴」
- 室生寺金堂奥…「持宝吉祥龍穴」
「秋の稲妻がこの三龍穴より発し霧が立ち上がると龍神が慈雨を降らせていた」という伝説があり、五穀豊穣のご利益があったと言われています。
六岩屋とは
六岩屋は次の6か所です。
- 室生龍穴神社の奥宮付近…「天の岩戸」
- 空海が護摩を焚いた室生寺御影堂…「護摩の岩屋」
- 空海が修行中に三鈷杵(さんこしょ)を奉納した地…「軍荼利の岩屋」
- 仙人橋付近で仙人が住んでいた地…「仙人窟」
- 鬼が住んでいたとされる字鬼ヶ城の大師の道中峠付近…「鬼の岩屋」
- 巨大な岩が続く聞掛嶽の南東の壁面…「世度の岩屋」
五渕とは
五渕は次の5か所です。
- 室生龍穴神社から室生川(約300m下)で龍王が爪を出し空海に力をかした渕…「爪出渕」
- 空海が毒蛇魔から救った川…「毒魔渕」
- 善女龍王が密法を守り如意山を霊地にした地…「穴の渕」
- 空海が独鈷杵(とっこしょ/どっこしょ)で龍王を教化し善女になった地…「悪龍の渕」
- 渕の龍王が外に出たいと願い、空海が袈裟を与えて世に出させた地…「袈裟の渕」
三池とは
三池は次の3か所です。
- 善女龍王が飛来し空海と誓いを交わした池…「龍王の池」
- 安養嶽の池の水面に善女龍王の御影がうつると伝わる池…「鏡の池」
- 三胎嶽(阿浮山)のそばで役行者(えんのぎょうじゃ)が衣を洗ったと伝わる池…「衣の池」
③天の岩戸(天岩戸)
吉祥龍穴(奥宮)へと向かう途中には、日本神話の舞台で有名な天の岩戸(あまのいわと/天岩戸)があります。
天の岩戸(天岩戸)は宮崎県高千穂町・三重県伊勢市・滋賀県高島市など各地にありますが、室生の天の岩戸はその中でも残っている1つとして有名で、九穴八海伝説「六岩屋」の1つとされています。
天岩戸伝説とは
神代の昔、須佐之男命(すさのおのみこと)は伊邪那岐神(いざなぎのかみ)に海原を治めるように命じられたが、従わずに泣いてばかりいて山・海・川が枯れてしまい、地上世界が荒れた国になってしまった。「なぜ泣いてばかりいるのか」と伊邪那岐神が問いただすと「母である伊邪那岐神(いざなみのかみ)がいる根之堅洲國(ねのかたすくに)に行きたい」と懇願した。これに怒った伊邪那岐神は須佐之男命を地上世界から追放する。
地上世界を追われた須佐之男命は姉の天照大御神(あまてらすおおみかみ)がいる高天原(たかあまはら)を訪れたが、天照大御神は須佐之男命が高天原を奪いに来たと誤解し、武装して問い詰めた。須佐之男命は邪心がないことを告げ、誤解を解くために誓約(うけい)をして潔白を宣言した。(誓約とは古代日本で行われた神聖な占いのこと)
誓約によって潔白を証明した須佐之男命は高天原に居座ると、神聖な田の破壊、神殿に糞を撒き散らす、機を織る建物に皮を剥いだ馬を投げ込み天衣織女(あめのみそおりめ)を死にいたらしめるなど狼藉を繰り返した。その荒々しい粗暴が原因で太陽神である天照大御神は恐れをなし、天岩戸に身を隠してしまう。太陽神が隠れると世の中は真っ暗になり、食べ物は育たず、あらゆるものが病気にかかるなど次々と禍(わざわい)が起こった。
思金神(おもいかねのかみ)が策を練り、天照大御神の気を引くために天児屋根命(あめのこやねのみこと)が祝福の祝詞を奏上し、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が舞踊を踊り、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が天岩戸から顔を出した天照大御神の手を取って引き出すなど、高天原の神々が協力したことで天照大御神が再び姿を現し、太陽の光が戻って平和な世界に戻る。騒動の原因を作った須佐之男命は高天原を追放されるが、地上世界の出雲へ向かい、後に英雄となる。
大きな岩が2つに割れていることから「破石さん(われいしさん)」と呼ばれることもあります。
天の岩戸の奥にはお社もあります。
御祭神は不明ですが、天の岩戸神話に関する天照大御神を祀っているという説があります。
④御神木「而二不二の神木」
室生龍穴神社入口左側(道路面)には樹齢1000年を超える御神木「而二不二(ににふに)の神木」があります。(室生龍穴神社から徒歩約1分)
御神木の高さは約30メートル以上あり、途中で2つに分かれていることから而二不二の神木と呼ばれています。
大杉の根元には「而二不二 神木」と書かれた石碑もあります。「而二(にに)」は1つのものを2つの面から見る必要がある、「不二(ふに)」は2つの面があっても本質は「1」であるという意味です。
韋駄天尊(いだてんそん)が祀られているお社や室生龍穴神社付近の交差点が目安です。
⑤連理の杉(夫婦杉)
龍穴神社の鳥居右手には連理(れんり)の杉があります。2本に分かれていますが根元は1つの巨木で、その形状から夫婦杉とも呼ばれています。
夫婦和合・家庭円満・家運隆昌の守り神が鎮まっていると信仰を集めています。
室生龍穴神社とは
室生龍穴神社(むろうりゅうけつじんじゃ)のむろうは「神様が鎮まる聖域」を表します。このことから社名や地名は室生となりました。
室生龍穴神社は古くから朝廷に崇敬されていた古社で、雨乞いの祈願を行うにつれて神様の神階が上がり、961年(應和元年)には正四位下が与えられました。
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神階とは朝廷から神社の御祭神に授けた位階(等級)のこと。位階(いかい)は正六位から正一位までの15階、勲等(くんとう)は勲十二等から勲一等までの12等、品位(ほんい)は神様に授けられた例はあまりない。
正四位下(しょうしいげ)とは、日本の神階(位階)における位の1つ。7世紀後期~10世紀頃まで実施された等級化制度では上位から8番目の位。当時の神階は上位から正一位>従一位>正二位>従二位>正三位>従三位>正四位上>正四位下>従四位上>従四位下…と計30位階に分けられていた。
室生龍穴神社は延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)では大和国宇陀郡十七座に選ばれています。
延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)とは
延喜式神名帳は延喜式の巻9と巻10のこと。朝廷が重要視した全国の神社(官社/かんしゃ)の一覧。2861社の神社とそこに鎮座する3132座の神が記載されている。延喜式は全50巻、約3300条からなる平安時代の律令の施行細則を集成した法典。905年(延喜5年)醍醐天皇(だいごてんのう/第60代天皇)の命により藤原時平(ふじわらのときひら)らが編纂(へんさん)を開始し、927年(延長5年)に完成した。施行されたのは967年(康保4年)から。
室生龍穴神社の御祭神
龍穴神社の御祭神は高龗神(たかおがみのかみ)です。1908年(明治41年)には次の五柱が合祀(ごうし)されています。
- 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
- 大山祗命(おおやまづみのみこと)
- 水波能賣命(みずはのめのみこと)
- 須佐之男命(すさのおのみこと)
- 埴山姫命(はにやまひめのみこと)
合祀とは
二柱以上の神様を同じお社で祀ること。
龍穴神社の善女龍王社には善女龍王(ぜんにょりゅうおう)が祀られています。
高龗神(たかおがみのかみ)とは
高龗神(たかおがみのかみ)は水を司る神様です。特に新しいことをスタートする際、物事が上手くいくようにお力添えをしてくれます。
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日本書紀のみに出てくる神様で、伊弉諾神(いざなぎのかみ)が火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を斬って生じた三柱の神のうちの一柱。生じた三柱は雷神と大山祇神、そして高龗神。
高龗神の龗(おかみ)は龍を意味する古語です。一般的に「おかみ」の名を持つ神様は、竜蛇の姿で水・雨・雪を司る神様であると考えられています。
高龗神は京都の貴船神社の御祭神として有名です。
天児屋根命(あめのこやねのみこと)とは
天児屋根命(あめのこやねのみこと)は祝詞(のりと)や祭祀(さいし)を司る神様です。開運厄除や所願成就などのご利益があります。
祝詞(のりと)・祭祀(さいし)とは
祝詞は神道の儀式の時に神前で唱える言葉。祭祀は神々や祖先などをまつること。
祭祀を担当していた中臣(のちの藤原)氏の祖神で、藤原氏の氏神を祀る奈良県の春日大社の御祭神として知られています。藤原氏は頂点を極めた権力者であることから出世の神としても人気があります。
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太陽神である天照大御神が天岩戸(あめのいわと)に身を隠した時、天照大御神の気を引こうと祝詞を奏上したのが天児屋根命。天宇受売尊(あめのうずめのみこと)の踊りなど、神々が協力したことで天照大御神が再び世に現れ、世界に太陽の光が戻った。
大山祗命(おおやまづみのみこと)とは
大山祗命(おおやまづみのみこと)は伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那岐神(いざなみのかみ)が神産みをした時に生まれた神様です。
御神名の大山祗命には「偉大なる山の神」の意味がありますが、山(鉱山)・田(稲作)・海(渡航)・酒造の守護神と多くの御神威をお持ちです。
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<山の神としての信仰>
大山祗命は山の神の総元締で山周辺に暮らす人々から祖霊神と崇められている。
<田の神としての信仰>
山から里に降りれば穀物の実りを司る田の神として広く信仰されている。
<海の守護神としての信仰>
古事記では大山津見神、日本書紀では大山祇神や大山積神と表記されるが、別称で和多志大神(わたしのおおかみ)とあり、和多は海を意味することから海の守護神として祀られることもある。
<酒造の守護神としての信仰>
大山祗命は御子神 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)との子を得た時に大喜びし、狭奈田の茂穂(よく実った稲穂)で天甜酒(あまのたむさけ)を造り、神々に振る舞ったことで、酒造りの守護神 酒解神(さけとけのかみ)としても崇められている。
大山祗命を御祭神とする有名な神社には愛媛県の大山祇神社があります。ここを本拠地として各地に大山祗命の御分霊が祀られることが増えましたが、戦国時代には瀬戸内の水軍の守護神、武の神として崇められていました。
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伊予国風土記(いよのくにふどき)の逸文によると「乎知の郡。御嶋。坐す神の御名は大山積神、またの名は和多志大神なり。此神、百済国より度り来まして、津国の御嶋に坐しき。」とある。「この神は百済の国(古代朝鮮半島)から渡来され、摂津国の御嶋(現大阪府高槻付近)に鎮座されたのち、伊予の国の三嶋(現愛媛県今治市大三島)に御鎮座した。」と伝わる。伊予国風土記とは日本の令制国(現愛媛県一帯)の歴史書。
水波能賣命(みずはのめのみこと)とは
水波能賣命(みずはのめのみこと)は水を守護する神様です。
御神名の「みずは」は「水が走る・水を這う(はう)」という意味があり、田んぼなどに水を引くための水路、泉、井戸の水の精霊を神格化した水神です。肥料の神様でもあります。
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伊邪那岐神(いざなみのかみ)が火の神「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」を生み、陰部を焼かれて苦しんでいる時に漏らした尿(ゆまり)から生まれた神様。古事記では弥都波能売神(みずはのめのかみ)、日本書紀では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記される。中国文献「准南子(えなんじ)」などでは罔象女神の「罔象」は「龍や子供の姿をした水の精霊」となっている。
また、水波能賣命は和紙の神・紙祖神としての一面もあり、産業発展のご利益もあるとされています。
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福井県今立町の大滝神社の摂社岡田神社の社伝に、乙女の姿の神様が現れて紙漉の方法を教えたとある。その神様の名前が水波能賣命だった。この技術で作るようになった和紙が後に越前和紙として知られるようになった。
須佐之男命(すさのおのみこと)とは
須佐之男命(すさのおのみこと)は大海原・風雨を司る神様です。古より朝廷などから厚く崇敬されてきました。
神仏集合により牛頭天王(ごずてんのう)と習合したことで疫除けの神様としても崇められています。
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父神である伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が黄泉の国から帰り、日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った時に鼻から生まれた神様で天照大御神の弟神にあたる。
母神の伊邪那岐神(いざなみのかみ)が黄泉の国へ去ってしまったことに悲しみ、腹いせに地上界の樹木を枯らし、川や海を干上がらせて災いを招いた。高天原でも粗暴をふるまい、天照大御神が天の岩戸に隠れてしまう事件を起こし、高天原からも追放されてしまう。その後、出雲国に天降りして改心し、肥河上(現島根県斐伊川上流)で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して人々を救い、三種の神器の1つ草那芸之大刀(くさなぎのたち)を手に入れた神様として知られている。
埴山姫命(はにやまひめのみこと)とは
埴山姫命(はにやまひめのみこと)は土を司る神様です。
陶磁器の祖神として厚く崇敬されていますが、田・畑土壌の神としても崇められ、川の氾濫などの水害から作物を守る御神威があると言われています。
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伊邪那岐神(いざなみのかみ)が火の神「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」を生み、陰部を焼かれて苦しんでいる時に漏らした糞から生まれた神様。埴山姫命の「埴(はに)」は土や赤土の粘土を意味し、その土で作る祭具を担当する。祭具は神様に捧げる御饌(みけ)やお水、お酒などを盛る聖なる器で、五穀豊穰や地鎮祭などの祭事で重要視されている。なお、埴安彦神(はにやすひこのかみ)と共に生まれたので、多くの神社で埴安彦神と埴山姫命を総称した埴安神(はにやすのかみ)の御神名で祀られることもある。
善女龍王(ぜんにょりゅうおう)とは
善女龍王(ぜんにょりゅうおう)は仏教における八大龍王の一尊 沙伽羅龍王(しゃからりゅうおう)の第三王女にあたります。
真言宗の開祖 空海が神泉苑(京都府中央区)で請雨経法(しょううきょうほう)を行った際に現れた龍王(龍神)です。
請雨経法(しょううきょうほう)とは
雨乞いや洪水時の止雨など、天変地異を防ぐための護国修法のこと。
平安京に恵みの雨をもたらした以降、朝廷より雨乞いの神として崇敬され、真言宗の寺院である神泉苑、金剛峯寺などの守護神としても祀られるようになりました。
また、室生龍穴神社にゆかりある室生寺の守護神でもあります。
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奈良時代の末期、山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒の祈願のため、5人の僧が室生山で祈祷を行うと優れた効果を発揮した。(国家のために建立されたのが室生寺)
雨乞いの御神威があり幸福をもたらす善龍であることから善女龍王と呼ばれますが、京都の醍醐寺(だいごじ)の鎮守神として祀られる清瀧権現(せいりゅうごんげん)と同一視されることもあります。
室生龍穴神社の歴史
室生龍穴神社の創建は不明ですが、「奈良時代(710年~)の頃から室生龍穴神社で雨乞いの祈願をした」記録が日本後紀(にほんこうき)にあります。
日本後紀(にほんこうき)とは
平安時代初期に編纂された歴史書。桓武天皇(792年/延暦11年)から淳和天皇(833年/天長10年)に至る42年間の史実が記されている。840年(承和7年)に完成。
日本紀略(にほんきりゃく)の818年(弘仁9年)7月14日の条には「遣使山城国貴布禰神社、大和国室生龍穴等処祈雨也」とあり、京都の貴船神社(貴布禰神社)と共に祈雨の神として朝廷から崇敬されていたことが記されています。
日本紀略(にほんきりゃく)とは
平安時代に編纂された歴史書。神代~後一条天皇(1036年/長元9年)に至る史実が漢文で記されている全34巻の書物。
室生龍穴神社のおすすめの順路と参拝方法
室生龍穴神社のおすすめの順路と参拝方法をご紹介します。
①手水舎で身を浄める
鳥居の左手にある手水舎で身を浄めます。
ちなみに鳥居の右手には連理の杉(夫婦杉)があります。
近くにムカデがいました。
②鳥居をくぐる
手水舎で身を清めたら鳥居をくぐります。
鳥居の奥に見えるのは善女龍王社です。
善女龍王社前の狛犬は右側が口を開いた阿形の狛犬で、左側が口を閉じている吽形の狛犬です。阿形の狛犬は手鞠を持っていて、吽形の狛犬には子獅子もいます。
狛犬の右側には神籬(ひもろぎ)で囲われた木があります。
その手前には社務所がありますが普段は不在です。祭事や連休の時にしか神職の方がいないので、御朱印を頂きたい方は参拝前に電話で確認することをおすすめします。
【室生龍穴神社の電話番号】0745-93-2177
③善女龍王社で参拝
善女龍王社で参拝します。善女龍王社には善女龍王(ぜんにょりゅうおう)が祀られています。神額には「善女龍王社」と書かれています。
善女龍王社が造営された時期は不明ですが、入母屋造こけら葺という建造物になります。
④本殿で参拝
善女龍王社で参拝したら後方へと回り本殿で参拝します。
御祭神は高龗神(たかおがみのかみ)で次の五柱が合祀されています。
- 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
- 大山祗命(おおやまづみのみこと)
- 水波能賣命(みずはのめのみこと)
- 須佐之男命(すさのおのみこと)
- 埴山姫命(はにやまひめのみこと)
室生龍穴神社の本殿は約350年前の1671年(寛文11年)に建造された桧皮葺春日造朱塗という伝統的建造物です。
⑤天の岩戸へ向かう
室生龍穴神社から山道を進んで天の岩戸へ向かいます。車なら約5分、徒歩なら約20分です。
室生龍穴神社を出て左に進むと吉祥龍穴の案内があります。
車の場合は天の岩戸の前の路肩に駐車できるスペースがあります。山道なので車の通りはほとんどありません。
⑥天の岩戸で参拝
鳥居をくぐるとすぐ左手に天の岩戸があります。
奥のお社で参拝します。御祭神は不明ですが、天照大御神を祀っているという説があるお社です。
⑦吉祥龍穴(奥宮)で参拝
天の岩戸からさらに車で数分ほど進むと吉祥龍穴(奥宮)の鳥居が見えてきます。車の場合は山道の路肩に駐車できるスペースがあります。
鳥居をくぐり階段を降りて行くと、
遥拝所が見えてきます。
遥拝所では靴を脱いで参拝します。(土足厳禁)
遥拝所正面のしめ縄が掛っている洞穴が龍神様の棲所です。
本来は室生龍穴神社で参拝した後、浄衣を着用し清らかな状態で吉祥龍穴へ向かって参拝する作法でしたが、今は浄衣を着なくても大丈夫になりました。
ちなみに吉祥龍穴の右側からは美しい水(「やまとの水」に指定)が巨大な岩盤を滑るように流れています。この渓流は招雨瀑(しょううばく)と呼ばれています。
これで龍穴神社の参拝は完了です。
ちなみに、境外にある韋駄天尊(いだてんそん)を祀るお社は室生龍穴神社とは無関係です。地元の方が奉納したお社となっています。
韋駄天尊(いだてんそん)とは
韋駄天尊は古代インド神話の神様(スカンダ)。日本に伝来してからは仏教の守護神となり、増長天八大将軍の一尊に数えられている。仏舎利(お釈迦様の遺骨)を奪い疾走した鬼を風のごとく追い抜き、瞬時に仏舎利を奪還した足の速い神様で、このことから足が速いことを韋駄天走りという。韋駄天尊はその足の速さを活かし、悪魔など邪悪なものから社寺を護る担当となっている。
古代インドでは子供の守り神だったので「子供の病魔を除く神」として、また古来大名の間で戦神として祀ったことから「勝負事の神」としても崇敬されている。
室生龍穴神社のアクセスマップ
■室生龍穴神社
【住所】奈良県宇陀市室生1297
【アクセス】近鉄大阪線 室生口大野駅から奈良交通バス 1番乗り場「室生寺行き」→室生寺下車で徒歩約15分
*奈良交通バスの運行本数は1時間に1本程度。昼間でも運行のない時間帯あり。
【駐車場】なし。神社前付近に路肩駐車可能。天の岩戸や吉祥龍穴も山道の路肩に駐車できるスペースあり。道路は広く交通量も少ないので安心。
まとめ
龍神は私たちを災難から守護し、願望成就へと導いてくれる存在です。騒がすに静寂な気持ちで参拝しましょう。