神社でご祈祷を受ける時、神様をお招きして祈りを捧げる前に必ず神職からお祓いを受けます。
神様は不浄を嫌うので、私たち参列者やお供物の禍事(まがごと/災い)・罪・穢れを祓い清めるためですが、実は現在のお祓いと古来のお祓いには違いがあります。
この記事では、現在のお祓いと古来のお祓いの本質、お祓いの起源、お祓いと深く関係する禊(みそぎ)などを詳しくまとめました。
お祓いとは|現在の意味合い
お祓いは心身や物の不浄を取り除く神道の儀式です。お祓いのことを修祓(しゅばつ)ともいいます。
①お祓いの具体例
神社のお祓いと聞くと、
- 厄除け
- 八方除
- 災難除け
- 交通安全
- 建築安全
などのご祈祷を思い浮かべる方も多いと思いますが、細かく言うとお祓いとご祈祷は異なります。
お祓いは心身や物の不浄を取り除く儀式で、ご祈祷は神様のご加護を頂けるように祈りを捧げる儀式です。
神社で受けるご祈祷にはこの2つが両方含まれています。
お祓い | 心身や物の不浄を取り除く儀式 |
ご祈祷 | 神様のご加護を頂けるように祈りを捧げる儀式 |
わかりやすい例を挙げると、神社でご祈祷を受ける際、神職が祓詞(はらえことば)を奏上し、その後に紙で作られた大麻(おおぬさ)という道具で受ける儀式がお祓いです。
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祓詞は心身のお祓いをする祝詞。お祓いを司る神々の御神力により禍事罪穢れを祓い清めて頂くことができる。
大麻(おおぬさ)は両手で持ち、お祓いをする人や物に向かって左・右・左と振ってお祓いをする。こうすることで禍事(まがごと/災い)・罪・穢れが大麻に移る。大麻は現在、紙垂(しで)で作られたものが一般的だが、古来は麻や木綿(ゆう)の布で作られていた。
大麻以外は塩湯(えんとう)が一般的。塩を溶かした湯の容器に榊(さかき)の小枝を浸し、お祓いをする対象に振りかける。黄泉の国から戻った伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が海で禊祓いを行ったことから、塩水には禍事罪穢れを祓う力があるとされる。
そしてお祓いの後、神職が参列者と神様の仲を取り持ち、神職が参列者の代わりに神様に願い事を伝えてくれる儀式がご祈祷になります。
そのため、例えば「厄除け」や「八方除」など邪気を祓うように聞こえるご祈祷でも、お祓いだけをしているわけではなく、お祓いをした上で災難がないように神様に祈りを伝えて頂いています。
わかりやすいようにいくつかご祈祷の例を挙げておきます。
ご祈祷 | 詳細 |
厄除け | 前厄・本厄・後厄の年に災難がなく、平穏無事に過ごせるように神様に祈りを捧げる |
八方除 | 地相、家相、方位、日柄などからくるすべての禍事や災難を取り除き、大難は小難に、小難は無難に、吉事は最大になるように祈りを捧げる(寒川神社) |
災難除け | あらゆる災難がなく、平穏無事に過ごせるように祈りを捧げる |
交通安全 | 自動車やバイク、自転車や重機などの運転で事故や災難がなく、安全であるように祈りを捧げる |
建築安全 | 新築や建て替えなどの建築工事が災難なく、無事に完成するように祈りを捧げる |
開運招福 | 開運して幸福になるように祈りを捧げる |
心願成就 | 願い事が成就するように祈りを捧げる |
家内安全 | 家族全員の健康と安全、家庭円満であるように祈りを捧げる |
縁結び | 人間関係や仕事など良縁に恵まれるように祈りを捧げる |
病気平癒 | 病気や怪我が治るように祈りを捧げる |
身体健康 | 病気ではないけど最近体の調子が悪いので、健康になるように祈りを捧げる |
商売繁盛 | 商売がもっと繁盛するように祈りを捧げる |
②お祓いをする理由
神道は世界に類を見ない清浄(しょうじょう)を尊ぶ宗教です。
神様は不浄を嫌うので、ご祈祷の際、神様をお招きする前に参列者や神饌(しんせん/お供物)、玉串など神前にお供えする物から禍事罪穢れを祓い清めるために必ずお祓いをします。
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神饌はお供物、玉串は紙垂(しで)や木綿(ゆう)の布をつけた榊の枝。玉串は神様へ感謝の気持ちを表す神様への捧げ物。
出雲大社の教えでは祓いによって「不浄を清浄に、不完全を完全に、不良を善良にすること。更には災いを除き幸福と平和を齎す(もたらす)。」と、理想の状態にすることができるとされている。
神社神道のご祈祷は禍事罪穢れなどの邪気を祓ってもらい、その上で神様に祈りを届けてもらうので、人間が幸福になることができる、非常に理にかなったシステムと言えます。
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悪いもの(マイナスエネルギー)を取り除き、良いもの(プラスエネルギー)を取り入れたら人間は幸福になる。ご祈祷ではお祓いで邪気(マイナスエネルギー)を取り除き、神様に祈りを届けることでお力添え(プラスエネルギー)を頂く形になる。
③古来のお祓いとの違い
現在ではお祓いによって禍事罪穢れを祓い清めるとされていますが、古来お祓いは穢れを取り除く儀式ではありませんでした。
お祓いは罪や災いを除去するもので、穢れは禊(みそぎ)によって清めるものでした。
祓い | 罪や災いを除去する。 |
禊 | 体の穢れを洗い流して清める。 |
本来、神道の「祓い」と「禊」は異なる儀式でしたが、不浄を清浄にするという性質が似ていることから、古事記と日本書紀が成立した奈良時代にはすでに禊と祓を合わせた禊祓(みそぎはらえ)という複合語が使用されるようになり、お祓いと言った時にも禊の意味合いが含まれるようになっていったのではないかと考えられます。
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罪と穢れという言葉も現在では「罪穢れ」という複合語が一般的に使われている。
古来のお祓いの本質
古来、祓いは罪や災い(災厄)を除去する儀式でした。穢れを取り除くものではなく、罪を償わせるための儀式でした。
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人間が人として守るべき道に背いて罪を犯すと、その人の心が腐敗していき、不浄の心と身になり、吐く息や吸う息も不浄となり、その人の周囲は不浄不潔の空気になり、気流となるので、あらゆる災いを起こすとされる。
①お祓いが除去する天津罪と国津罪
祓いが取り除いてくれる罪は延喜式巻第八(えんぎしきまきのはち)「祝詞(のりと)」の六月晦大祓(みなづきつごもりのおおはらえ)に出てくる
- 天津罪(天つ罪/あまつつみ)
- 国津罪(国つ罪/くにつつみ)
のことで、簡単に言えば神の掟を破る行為です。
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延喜式(えんぎしき)は905年(延喜5年)に第60代醍醐天皇(だいごてんのう)の命により藤原時平(ふじわらのときひら)らが集成した古代法典。全50巻、約3300条からなる法典の第8巻に祝詞が掲載。延喜式は弘仁式(こうにんしき)や貞観式(じょうがんしき)を含めた三代格式の1つで927年(延長5年)に完成。三代格式の内、ほぼ完全な形で残っているのは延喜式だけ。
延喜式8巻の27編の祝詞は延喜式祝詞と呼ばれるが、現代の延喜式祝詞は明治維新(1868年頃)から終戦時(~1945年)にかけて宮内庁や内務省が制定した祝詞例文や戦後に神社本庁が提示した祝詞例文を基に現代的表現を取り入れて作成されたものに変わっている。
六月晦大祓(みなづきつごもりのおおはらえ)は現在使用されている大祓詞(おおはらえことば)の原型。
大祓詞は宇宙全ての罪咎穢れ(つみとがけがれ)を祓う祝詞。古来より願望が実現すると信じられ、神前で1,000回読み上げて罪を祓い清める千度祓や、10,000回読み上げる万度祓が盛んに行われてきた。「宇宙の全て(万物)を祓う祝詞」なので、現在でも毎日大祓詞を奏上する神社が多くある。
今日使用されている大祓詞では
天津罪、国津罪、許許太久の罪出でむ
と天津罪と国津罪の部分が簡略化されていますが、六月晦大祓では8種の天津罪と13種の国津罪、計22種の罪が詳細に述べられています。
天津罪と、畔放・溝埋・樋放・頻播・串刺・生剥・逆剥・屎戸・許許太久の罪を天津罪と法り別けて、国津罪とは、生膚断・死膚断・白人・胡久美・己が母犯せる罪・己が子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜犯せる罪・昆虫の災・高津神の災・高津鳥の災・畜仆し、蠱物為る罪、許許太久の罪出でむ。
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人間や場所など宇宙の全て(万物)を祓うため、六月晦大祓では天津罪と国津罪が詳細に述べられている。
現在は天津罪と国津罪に時代背景が合わない罪があるため省略されている。私たちが大祓詞を唱える時も「天津罪、国津罪、許許太久の罪出でむ」と簡略化されている大祓詞を唱えた方が良い。
天津罪と国津罪がそれぞれどのような罪か見ていきましょう。
後にご紹介する明治時代の古神道家 川面凡兒(かわつらぼんじ)の著書「大日本最古の神道」を元にお伝えします。
天津罪とは
天津罪は須佐之男命(すさのおのみこと)が高天原(たかあまはら)で犯した次の8種の罪です。
私たち日本民族がこれらを犯す時は等しく天津罪として罰するとされています。
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須佐之男命が高天原で天津罪を犯した後、人々が無意識にこれらの罪を犯してしまった場合は深くとがめられることはないが、意識的に犯してしまった場合は許されることはない。
天津罪を簡単に言えば主に農耕を妨害する行為です。
人間関係や行動など社会の秩序を乱すことが天津罪となっています。
天津罪 | 詳細 |
畔放(あはなち) | 田の畦(あぜ)を壊し、水が溜まらないようにして、作物が枯れるようにすること。畦は水が外に漏れないように、水田と水田の間に土を盛り上げて作るしきり。 |
溝埋(みぞうめ) | 田に水を引くための溝(水路)を埋め、田に水が流れないようにして、作物が枯れるようにすること。 |
樋放(ひはなち) | 田に水が必要ない時に、田に水を引くための樋(とい)を壊して田に水を流し、必要な時のための水の蓄えを失くしてしまうこと。また、田に水がすでにある状態で樋を壊し、田に水を流して稲などを流してしまうこと。樋は水を通す管。
田に水が必要な時のために、板を使って池や溝の水をせき止め、常に水を蓄えてあった。そうすることで田に水が必要な時に、いつでも水を流せるようになっていた。それを壊して妨害する罪が樋放(ひはなち)。 |
頻播(しきまき) | 他の人が種を蒔いたところに重ねて種を蒔き、作物の生長を妨げること。重ねて種を蒔くことにより苗がよく育たなくなる。わざとそのように妨害する罪が頻播(しきまき)。 |
串刺(くしさし) | 他の人の田畑にわからないように串を刺し、人が踏み立つことができないようにすること。田畑の中にわからないように串が刺してあるので、田畑に入る時に手足を傷つけ、耕作することができないようになる。そのように妨害する罪が串刺(くしさし)。 |
生剥(いきはぎ) | 獣の皮を生きたまま剥ぐこと。 |
逆剥(さかはぎ) | 獣の皮を尻の方から頭の方に剥ぐこと。 |
屎戸(くそへ) | 厠(かわや)以外の場所で尿や糞、屁をして汚すこと。戸(へ)は仮の字で、屎戸は「屎放り」の「り」を略した言葉。屎(くそ)だけではなく、屎と尿と屁を意味する。 |
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天津罪は日本に対する祓いが主となっている。
国津罪とは
天津罪以外の罪を全て国津罪といいます。
大祓詞には病気や災害も含む次の13種が出てきますが、道徳や倫理、子孫を残すために遵守すべきことが主となっています。
国津罪 | 詳細 |
生膚断 (いきはだたち) |
生きている人の肌に傷をつけること。傷害。 |
死膚断 (しにはだたち) |
死んだ人の肌に傷をつけること。死体損壊。 |
白人 (しろひと) |
白色人種のこと。白色人種が悪いということではない。大祓詞は宇宙の全て(万物)を祓う祝詞になるため、日本だけでなく世界も祓う対象に含まれている。白色人種の人々が犯した罪を祓うためにある。 |
胡久美 (こくみ) |
黒色人種のこと。黒色人種が悪いということではない。大祓詞は宇宙の全て(万物)を祓う祝詞になるため、日本だけでなく世界も祓う対象に含まれている。黒色人種の人々が犯した罪を祓うためにある。 |
己が母犯せる罪 (おのがははおかせるつみ) |
実母との相姦(そうかん)。相姦は肉体関係をもつこと。 |
己が子犯せる罪 (おのがこおかせるつみ) |
実子との相姦。 |
母と子と犯せる罪 (ははとことおかせるつみ) |
ある女と相姦し、その後その娘とも相姦すること。娘が義理の父と相姦することも母と子と犯せる罪にあたる。 |
子と母と犯せる罪 (ことははとおかせるつみ) |
ある女と相姦し、その後その母親とも相姦すること。母親が自分の娘の夫と相姦することも子と母と犯せる罪にあたる。 |
畜犯せる罪 (けものおかせるつみ) |
人家で飼う牛や馬、鶏、犬などと獣姦(じゅうかん)。獣姦は獣と性行為を行うこと。畜犯せる罪の「畜」は人家で飼う動物を意味する。 |
昆虫の災 (はうむしのわざわい) |
蝙蝠(こうもり)などの毒に刺されること。古代の民家は天井や板敷、床もなく、茅葺(かやぶき)の土間か石を積み重ねた土室、あるいは土を掘った穴蔵だったので、様々な昆虫による災いがあった。 |
高津神の災 (たかつかみのわざわい) |
落雷や天狗に悩まされる災いのこと。天狗等は空を飛び歩く魔物であることから高津神という。 |
高津鳥の災 (たかつとりのわざわい) |
蝙蝠や鳥などによって起こる被害や災害、災難のこと。古代は人家に来て子供を攫ったり、大人でも食い殺されるほど大きな蝙蝠がいた。蝙蝠だけでなく、鵝鳥(がちょう)や鷲など鳥類にも大きなものが存在した。 |
畜仆し、蠱物為る罪 (けものたおし まじものせるつみ) |
「畜仆し」は人に腹を立て、その人が飼う牛や馬、鶏、犬を復讐のために殺すこと。「蠱物為る罪」は悪獣、悪禽(あくきん)、悪蟲などを使い、あるいはその骨や羽、血などを使って人を呪い殺すこと。 |
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国津罪は世界に対する祓いが主となっている。
ちなみに川面凡兒(かわつらぼんじ)によると「己が母犯せる罪・己が子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜犯せる罪・昆虫の災・高津神の災・高津鳥の災・畜仆し、蠱物為る罪、許許太久の罪出でむ。」というのは、「白色人種や黒色人種の人々が誤って犯す罪」とされ、日本以外の世界でそのような罪が出た時に祓うためにあるとされている。
なお、一般的に国津罪にある白人(しろひと)と胡久美(こくみ)は次のような治療できない病気になることだと解釈されていますが、これは誤りで「白人は白色人種、胡久美は黒色人種」のことであると川面凡兒(かわつらぼんじ)は指摘しています。
白人 (しろひと) |
肌の色が白くなるなど、治療できない病気になること。肌が白くなる病気の白斑やアルビノ(先天性白皮症)など。 |
胡久美 (こくみ) |
瘤(こぶ)ができるなど、治療できない病気になること。 |
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前世の罪の報いによって表れる病もあれば、今世の罪の報いによって表れる病もあるため、それを罪として罰することはできない。遺伝病者を罪として罰することができないように、伝染病者も罪として罰することはできない。病は本人ではどうしようもできないものになるため、それを罪として罰するのは残忍である。感染症に感染した病人を罰すべきものではないし、遺伝病者は罰せられるべきではない。病を罰して祓うべきものとするのであれば、全ての病を罰し、祓う必要がある。白人や胡久美は病名ではなく、白色人種、黒色人種であることを知ることが重要。もちろん大祓の行事では病も祓うが、病は道徳上、法律上罰すべき罪と咎(とが)には含まれない。
②お祓いの起源
お祓いの起源は須佐之男命(すさのおのみこと)の神話です。
姉の天照大御神(あまてらすおおみかみ)との誓約(うけい)で潔白を証明した須佐之男命は高天原で狼藉(天津罪)を繰り返し、それが原因で天照大御神が天岩戸に身を隠してしまいます。
誓約とは
古代日本で行われた神聖な占いのこと。
騒動の原因を作った須佐之男命はたくさんの品物を罰として納め、髭と手足の爪を切られて高天原を追放されますが、その罪のつぐないをさせ、取り除くことを日本書紀では解除(はらえ)としています。(参考 神道行法の本)
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神代の昔、須佐之男命は伊邪那岐神(いざなぎのかみ)に海原を治めるように命じられたが、従わずに泣いてばかりいて山・海・川が枯れてしまい、地上世界が荒れた国になってしまった。「なぜ泣いてばかりいるのか」と伊邪那岐神が問いただすと「母である伊邪那岐神(いざなみのかみ)がいる根之堅洲國(ねのかたすくに)に行きたい」と懇願した。これに怒った伊邪那岐神は須佐之男命を地上世界から追放する。
地上世界を追われた須佐之男命は姉の天照大御神(あまてらすおおみかみ)がいる高天原(たかあまはら)を訪れたが、天照大御神は須佐之男命が高天原を奪いに来たと誤解し、武装して問い詰めた。須佐之男命は邪心がないことを告げ、誤解を解くために誓約(うけい)をして潔白を宣言した。
誓約によって潔白を証明した須佐之男命は高天原に居座ると、神聖な田の破壊、神殿に糞を撒き散らす、機を織る建物に皮を剥いだ馬を投げ込み天衣織女(あめのみそおりめ)を死にいたらしめるなど狼藉を繰り返した。その荒々しい粗暴が原因で太陽神である天照大御神は恐れをなし、天岩戸に身を隠してしまう。太陽神が隠れると世の中は真っ暗になり、食べ物は育たず、あらゆるものが病気にかかるなど次々と禍(わざわい)が起こった。
思金神(おもいかねのかみ)が策を練り、天照大御神の気を引くために天児屋根命(あめのこやねのみこと)が祝福の祝詞を奏上し、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が舞踊を踊り、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が天岩戸から顔を出した天照大御神の手を取って引き出すなど、高天原の神々が協力したことで天照大御神が再び姿を現し、太陽の光が戻って平和な世界に戻る。騒動の原因を作った須佐之男命は千の台を満たすほどの供物を差し出す罰を科され、髭(ひげ)と手足の爪も抜かれて高天原を追放される。
③祓いと祓えの違い
神道では本来、「祓い」は自らの力で自分を祓うことを意味し、「祓え」は
- 人形(ひとがた)
- 祓物(はらえもの)
- 祓柱(はらえつもの)
- 祓種(はらえぐさ)
などに罪や禍事(まがごと/災厄)を託し、他の者、つまり神々に祓ってもらうことを意味します。
人形(ひとがた) | 人間の代わりに罪や禍事を引き受けてくれる人の形をした白い紙。形代(かたしろ)。形代は神霊が依り憑く依り代のこと。 |
祓物(はらえもの) | 罪や禍事を祓うためにお供えする品物。 |
祓柱(はらえつもの) | 罪や禍事を託して捨て去る物。 |
祓種(はらえぐさ) | 罪や禍事を託して川に流す形代(かたしろ)。 |
本居宣長の古事記伝にも次のようにあります。
「はらい」と「はらえ」は後世は区別があいまいになったが元は違いがあった。「はらい」は自分がする。「はらえ」は「はらわせ」が縮まり「はらえ」となる。(「わせ」が「へ(え)」となる。)「はらえ」は人に祓わせることを言い、罪科のある人に負わせる祓えがこれになる。
祓詞(はらえことば)を「はらいことば」ではなく「はらえことば」、大祓詞(おおはらえことば)を「おおはらい」ではなく「おおはらえ」というのは、自分ではなく神々に祓ってもらうからになります。
ちなみに祝詞(のりと)の「のり」には、神霊が奏上する者に乗り移って申し上げるという意味があります。
そもそも祝詞にいう「ノリ」には、神霊が奏上する者にノリ移って申し上げる、という意味がある。
出典 神道行法の本
禊とは
禊は体の穢れを洗い流して清める儀式です。
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土俵入りの際に行う塩撒きや、玄関などに置く盛り塩は禊に由来する。
①禊が清める穢れ
穢れは本来清浄であるべき人の身体や心、魂のエネルギー状態が血や病気、死などの穢れ、日常生活の不満や不安、嫌なこと、他者の想念などによって枯れることです。
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氣が枯れることから神道では「けがれ=氣枯れ」という。穢れは不浄、不潔など理想ではない状態のことで、簡単に言えば生命力が枯渇している状態。生命力が失われたような気が枯れている人は罪を犯しやすいとされた。
神道では血や病気、死、悪い行いなどが穢れになり、月経や出産も血を伴うので穢れとされる。月経や出産はそれ自体が不浄というわけではなく、それらによって気枯れの状態となるため不浄とされる。
穢れは「穢れに触れた人」と接するだけでも自分に移ります。
これを触穢(そくえ)といい、綺麗な水に汚水を1滴でも垂らすと濁ってしまうように、自分が穢れに直接触れていなくても穢れが移るというのが古来の考え方です。
穢れの中でも特に火と水の穢れには注意が必要とされています。
神話の中で伊邪那美神(いざなみのかみ)が穢れた火と水で煮炊きした黄泉の国の食べ物を口にした結果、現世に帰れない身となってしまったため、火と水の穢れを現世にもたらすと大きな災いや災厄を呼ぶと恐れられているからです。
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あの世の物を食べることを黄泉戸喫 (よもつへぐい)という。戸(へ)は竃(かまど)のことで、黄泉戸喫は黄泉の国の火で煮炊きした物を食べることを意味する。あの世の物を食べるとこの世に帰れなくなるとされる。
参考 神道の本
そのため、神道には火と水を清める祓言(はらえごと)があります。
火の祓言はこちらです。火を使う時に唱えます。
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火をつけた後、火に向かって唱える形でOK。料理に使う火だけでなく、ろうそくの火や線香の火、お香の火、タバコの火、葉巻の火など、火を使う時に唱えると良い。
水の祓言はこちらです。水を使う時に唱えます。
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水を使う時、水に向かって唱える形でOK。料理に使う水だけでなく、飲料水やジュースなどの飲み物を飲む時に唱えると良い。その他、お風呂の水や洗車で使う水、掃除で使う水など、基本的に水を使うタイミング全般で唱える。
②禊の起源
禊の起源は伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)の神話です。
伊邪那岐神が黄泉の国から戻ってきた時に、筑紫(ちくし/つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)で禊をしたのが起源とされています。
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伊邪那美神は夫である伊邪那岐神と共に天降って国生みを行い、様々な神を生み出すが、火の神「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」を生んだために亡くなり、黄泉の国に去ってしまう。伊邪那岐神は悲しさのあまり妻を追って黄泉の国に会いにいくが、黄泉の国の食べ物を口にした伊邪那美神はもう帰れない身となっていた。
伊邪那美神は伊邪那岐神の元に帰れるよう、黄泉の国の神にお願いしに行くことにする。戻ってくるまで自分(伊邪那美神)の姿を決して見ないようにと伊邪那岐神に伝えて立ち去ったが、伊邪那岐神はその姿を覗き見てしまう。目に映ったのは腐敗して蛆(うじ)にたかられ、八柱の雷神が湧き出す醜い姿だった。伊邪那岐神は妻の腐敗した姿(死体)を見て逃げ出し、激怒した伊邪那美神は逃げる夫に予母都志許女(よもつしこめ/黄泉の鬼女)ら追っ手を差し向けた。
伊邪那岐神が髪飾りを投げると山ぶどうに、櫛(くし)の歯を折って投げると筍(たけのこ)に変わり、それらに気を取られている隙に逃げたが、次に雷神が率いる軍勢が現れた。伊邪那岐神が現世とあの世の境界線にある黄泉比良坂(よもつひらさか)のふもとになっていた桃の実を3つ投げつけると、桃の霊力により追手の黄泉の軍勢は退散した。
ついに伊邪那美神が追いかけてきたが、伊邪那岐神は黄泉の国の出入口を千引(ちびき)の岩で道を塞いだ。伊邪那美神は岩の向こうから「あなたの住む国の人々を1日に1000人殺すことにする」と言い放ち、伊邪那岐神は「私は1日に1500の産屋を建てよう」と返した。これによって2人は離縁した。
その後、伊邪那岐神は黄泉の国の穢れを落とすために筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊をすると、綿津見三神(わたつみさんしん)や住吉三神、天照大御神、月読命(つくよみのみこと)、須佐之男命など様々な神が生まれた。
③神話の禊を復活させた神人
現在の神社神道の禊はすべて明治時代の古神道家「川面凡兒(かわつらぼんじ)」が復興した日本古来の行法を取り入れたものです。この禊行は失われていた禊行になるため、それ以前の神道には存在しませんでした。
川面凡兒は15歳の時から宇佐神宮の神体山 馬城峰(まきのみね)にこもり、そこで697歳の仙人 蓮池貞澄(はすいけさだすみ)と出会い、仏教伝来以前の日本最古の神道を伝える禊流の秘事を授けられました。
馬城峰とは
宇佐神宮の元宮の大元神社(おおもとじんじゃ)がある御許山(おもとさん)のこと。大元山ともいう。
川面凡兒の体得した禊行は神話で伊邪那岐神が行った禊、つまり「伊邪那岐神が黄泉の国から戻ってきた時に、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で行った禊」を再現し、実践する禊行です。
それが神道界に取り入れられ、現在も行われています。
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川面凡兒(1862年4月29日~1929年2月23日)は豊前国(大分県宇佐郡両川村小坂)生まれの古神道家。
15歳の時から宇佐神宮の神体山 馬城峰にこもり、697歳の仙人 蓮池貞澄と出会う。それから3年間、峰に登っては蓮池貞澄から指導を受けて修行を積み、仏教伝来以前の日本最古の神道を伝える禊流の秘事や各種の神伝を授けられた。
1906年(明治39年)川面凡兒が45歳の時に大日本世界教稜威会(みいづかい)を結成し、この禊行を行う。川面凡兒が伝える神道は復古神道、伯家神道、吉田神道などとは違い、奈良朝以前の神代の古神道だと正当性を宣言している。
神道界の長老格だった今泉定助(いまいずみさだすけ)が深く支持をしたこともあって広く神職の間に普及し、1923年(大正12年)には内務省で開催中の全国神職会で講演を依頼される。後に大政翼賛会が国民運動として取り入れ、戦後は神社本庁の行法として認知されて現在も行われている。
ちなみに川面凡兒の霊視によると、禊は古代日本で生まれ、形や名を変えて世界に伝わったもので、
- 密教の灌頂(かんじょう)
- ユダヤ教やキリスト教の洗礼(バプテスマ)
- イスラム教の水や砂の清め
これらも禊の一種だとされています。
凡兒の霊視によれば、禊は元来、古代日本で生まれ、形や名を変えて世界に伝わったという。密教における灌頂(かんじょう)、ユダヤ教、キリスト教における洗礼(バプテスマ)、イスラム教における水や砂の清めもみな禊の一種であり、古代日本から伝わったものだというのだ。
まとめ
祓いと禊の本質を理解した上で、祝詞の内容を見てみるとさらに理解度が深まります。祓詞や大祓詞の内容もぜひチェックしてみてください。
祓詞や大祓詞についてはこちら↓で詳しくお伝えしています。
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