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【保存版】即身成仏とは|空海が果たした即身成仏をわかりやすく詳細解説

2021年5月1日

大日如来坐像 重要文化財 東寺|東寺ポストカード

仏の悟りを開き、仏陀(ぶっだ)となった釈迦は、長い時間をかけて幾度となく輪廻転生を繰り返し、厳しい修行と善行を積み重ねた結果、最終的に成仏することができました。

成仏とは

煩悩を断ち、悟りを開いて仏陀に成ること。

そのため、仏教では釈迦と同じように輪廻転生を繰り返し、「無限ともいえるような長い時間をかけて修行した末にやっと成仏できる」と考えられていました。

これを三劫成仏(さんごうじょうぶつ)と言います。

劫(こう)とは

極めて長い時間の単位。劫はサンスクリットのカルパ(kalpa)の音写。

しかし、真言密教を確立した空海は「父母より授かったこの身このままで(生きている間に)、ただちに仏となれる」という即身成仏(そくしんじょうぶつ)を明らかにしました。

この即身成仏について詳しく説かれているのが、空海の著書「即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)」になります。

即身成仏義は主に次の3つの内容で構成され、

  1. 二経一論八箇の証文(にきょういちろんはっかのしょうもん)
  2. 即身成仏の偈頌(そくしんじょうぶつのげじゅ)
  3. 即身成仏の偈頌の解説

即身成仏できる8つの根拠や理論、実践方法などが解説されています。

この記事では、空海の著書「即身成仏義」を元に即身成仏についてお伝えしていきます。

即身成仏の四文字にはあらゆる仏教の教えが含まれる」と空海は言います。ぜひ参考にしてみてください。

二経一論八箇の証文

即身成仏義の「二経一論八箇の証文」では、即身成仏の教義が成立する8つの根拠が、証拠となる文書と共に解説されています。

「二経一論八箇の証文」の二経は大日経(だいにちきょう)と金剛頂経(こんごうちょうぎょう)、一論は菩提心論(ぼだいしんろん)のことです。

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大日経と金剛頂経は真言密教の二大経典。即身成仏義にある金剛頂経は初会(しょえ)金剛頂経だけでなく、関連儀軌(ぎき)を含めた広義の金剛頂経を指す。

菩提心論は龍猛造、不空訳と伝わる論書。詳しくは金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論(こんごうちょうゆがちゅうほつあのくたらさんみゃくさんぼだいしんろん)といい、発菩提心論(ほつぼだいしん)ともいう。

これらの経典から八箇所を引用し、即身成仏について解説しているのが「二経一論八箇の証文」になります。

それぞれ見ていきましょう。

参考 空海コレクション2

空海コレクション

空海コレクション

第一の証文 金剛頂経より

金剛頂経に説かく、「この三昧(さんまい)を修(しゅ)する者は、現(げん)に仏(ぶつ)の菩提を証す」<この三昧とは、謂(いわ)く大日尊一字頂輪王(だいにちそんいちじちょうりんのう)の三摩地(さんまじ)なり>と

金剛頂経に「この瞑想の境地を修行する者は、現実に仏の悟りを開くことができる」<この瞑想の境地は一字の真言ボロン(bhrūṃ)に象徴される大日如来の瞑想の境地である>と説かれている。

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不空訳の金剛頂経一字頂輪王瑜伽一切時処念誦成仏儀軌(こんごうちょうぎょういちじちょうりんのうゆがいっさいじしょねんじゅじょうぶつぎき)に説かれる。

ボロンは全ての仏、菩薩の功徳が集まる一字の真言。

第二の証文 金剛頂経より

また云(いわ)く「もし衆生有って、この教に遇って、昼夜四時に精進して修すれば、現世に歓喜地(かんぎち)を証得し、後の十六生(じゅうろくしょう)に正覚(しょうがく)を成ず」と。

謂く、この教とは、法仏(ほうぶつ)自内証(じないしょう)の三摩地大教王(さんまじだいきょうおう)を指す。

歓喜地とは、顕教(けんぎょう)に言う所の初地(しょじ)に非ず。是れ則ち、自家仏乗(じけぶつじょう)の初地なり。具(つぶさ)に説かんこと、地位品(ちいぼん)の中の如し。

十六生とは、十六大菩薩生(じゅうろくだいぼさつしょう)を指す。具には、地位品に説くが如し。

金剛頂経に「人々がこの真言密教の教えに出会い、1日4回(朝・昼・晩・夜半)精進して修行すれば、現世で大日如来の境地を体得し、その後、十六大菩薩の境地を得て正しい悟りを成就する」とある。

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金剛智訳の金剛頂瑜伽修習毘盧遮那三摩地法(こんごうちょうゆがしゅじゅうびるしゃなさんまじほう)に説かれる。

この教えは真理の当体(本体)である大日如来が自ら悟った偉大な教えである。

歓喜地は真言密教以外の教えが説く菩薩の修行過程の十地の第一地(初地)ではない。真言密教独特の最初の段階になる。詳しくは大日経の住心品(じゅうしんぼん)に説かれる通りである。

十六生は金剛界曼荼羅の十六大菩薩の功徳をその身に具えることである。詳しくは分別聖位経(ふんべつしょういきょう)に説かれる通りである。

十六大菩薩とは

金剛界曼荼羅の

・阿閦如来(あしゅくにょらい)
・宝生如来(ほうしょうにょらい)
・阿弥陀如来(あみだにょらい)
・不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)

の四仏には、それぞれ四体の菩薩が配置される。

<阿閦如来>
・金剛薩埵(こんごうさった)
・金剛王菩薩(こんごうおうぼさつ)
・金剛愛菩薩(こんごうあいぼさつ)
・金剛喜菩薩(こんごうきぼさつ)

<宝生如来>
・金剛宝菩薩(こんごうほうぼさつ)
・金剛光菩薩(こんごうこうぼさつ)
・金剛幢菩薩(こんごうどうぼさつ)
・金剛笑菩薩(こんごうしょうぼさつ)

<阿弥陀如来>
・金剛法菩薩(こんごうほうぼさつ)
・金剛利菩薩(こんごうりぼさつ)
・金剛因菩薩(こんごういんぼさつ)
・金剛語菩薩(こんごうごぼさつ)

<不空成就如来>
・金剛業菩薩(こんごうごうぼさつ)
・金剛護菩薩(こんごうごぼさつ)
・金剛牙菩薩(こんごうげぼさつ)
・金剛拳菩薩(こんごうけんぼさつ)

これが十六大菩薩。参考 曼荼羅図典

曼荼羅図典

曼荼羅図典

第三の証文 金剛頂経より

また云く、「もし能(よ)くこの勝義(しょうぎ)に依って修すれば、現世に無上覚(むじょうかく)を成ずることを得(う)」と。

金剛頂経に「最も優れたこの真言密教の教えによって修行すれば、現世で最高の悟りを成就する」とある。

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不空訳の成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌(じょうじゅみょうほうれんげきょうおうゆがかんちぎき)に説かれる。

無上覚は無上の正覚のこと。これ以上ない最高の悟りを意味する。

第四の証文 金剛頂経より

また云く、「当(まさ)に知るべし、自身、即ち金剛界と為(な)る。自身、金剛と為りぬれば、堅実にして傾壊(きょうえ)無し。我、金剛の身(しん)と為る」と。

金剛頂経に「まさに知るべし、自身が金剛界大日如来となる。自身が金剛になれば、堅実であり、傾いて壊れることはない。自身が最勝の仏身となる。」とある。

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金剛智訳の金剛頂瑜伽修習毘盧遮那三摩地法に説かれる。

第五の証文 大日経より

大日経に云く、「この身を捨てずして、神境通(じんきょうずう)を逮得(たいとく)し、大空位(だいくうい)に遊歩(ゆぶ)して、而(しか)も身秘密(しんひみつ)を成ず」と。

大日経に「父母より授かったこの身このままで、思いのままにどこでも行ける能力を得て、妨げるものがない境地で自由自在に行動し、しかも聖なる仏の身体を成就する」とある。

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大日経の悉地出現品(しつじしゅつげんぼん)に説かれる。

第六の証文 大日経より

また云く、「この生(しょう)に於いて悉地(しつじ)に入らんと欲(ねが)わば、その所応(しょおう)に随(したが)って之(これ)を思念(しねん)せよ。親(まのあた)りに尊の所(みもと)に於いて明法(みょうほう)を受け、観察(かんざつ)し、相応すれば、成就を作(な)す」と。

この経に説く所の悉地とは、持明(じみょう)悉地及び法仏(ほうぶつ)の悉地を明かす。

大空位とは、法身は大虚(たいきょ)に同じて無礙(むげ)なり。衆象(しゅうぞう)を含んで常恒(じょうごう)なるが故に大空(だいくう)と曰(い)う。諸法(しょほう)の依住(えじゅう)する所なるが故に、位(い)と号す。

身秘密とは、法仏の三密なり。等覚(とうがく)も見難(みがた)く、十地(じゅうじ)も何(いかん)が窺(うかが)わん。故に身秘密と名づく。

大日経に「この生において悟りの境地に入りたいと願うならば、自らの望みに応じてこれを思念しなさい。阿闍梨のもとで真言の法の教えを受け、観察し、相応すれば成就できる」とある。

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大日経の真言行学処品(しんごんぎょうがくしょぼん)に説かれる。

この大日経に説かれる悉地(悟りの成就)とは、真言を唱えることで得られる境地と、法身仏(大日如来)の境地(即身成仏)の成就を明らかにしている。

大空位とは、悟りの本体である大日如来は大虚空と同じで妨げるものがなく、あらゆる現象を含んで永久不変であるが故に大空という。あらゆる存在が拠り所として住するが故に位と名づける。

身秘密は大日如来の三密である。等覚や十地など高い位の菩薩ですら見たり聞いたり、悟り知ることができない。故に身秘密といわれる。

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三密は「身密(しんみつ)・口密(くみつ)・意密(いみつ)」のこと。大日如来の活動(働き)には「身(身体)・口(言葉)・意(心)」の三種類の活動があり、それぞれ身密・口密・意密と表現される。

等覚は間もなく仏になる菩薩のこと。菩薩修行の五十二ある段階(階位)のうち、最高の段階(第五十二位)である「妙覚(みょうかく)」のひとつ前の段階(第五十一位)にあたる菩薩が等覚。

十地は菩薩五十二位のうち、第四十一位から第五十位までの位にあたる菩薩のこと。

三密についてはこちら↓で詳しくお伝えしています。

五大菩薩
真言密教の教え|六大・四曼・三密をわかりやすく解説

空海は「六大(ろくだい)・四曼(しまん)・三密(さんみつ)」の教理をもって即身成仏を説いています。 真言密教の根本理論は ...

第七の証文 菩提心論より

また龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)の菩提心論に説かく、「真言法の中にのみ即身成仏するが故に、是(ここ)に三摩地の法を説く。諸教の中に於いて闕(けっ)して書(しょ)せず」と。

「是説(ぜせつ)三摩地」とは、法身自証(ほっしんじしょう)の三摩地なり。諸教とは、他受用身(たじゅゆうしん)所説の顕教なり。

龍猛菩薩の菩提心論に「即身成仏できるのは真言密教だけであるが故に、ここに瞑想の境地を得る方法が説かれている。諸教の中にはこの方法が欠けていて記されていない。」とある。

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龍猛菩薩は金剛薩埵から密教を授かり、人間界に密教を伝えた最初の祖師。龍樹(りゅうじゅ)とも呼ばれる。龍樹はサンスクリットのナーガールジュナ(Nāgārjuna)の漢訳。真言宗の「付法の八祖」の第三祖、「伝持の八祖」の第一祖。

<付法の八祖>
密教の教えを師から弟子へと伝えた相承(そうじょう)の系譜。金剛頂経系の流れ。第三祖の龍猛菩薩以下は歴史上の人物。空海は恵果の弟子、恵果は不空の弟子。なお、相承は次々に受け継ぐこと。

第一祖 大日如来
第二祖 金剛薩埵
第三祖 龍猛菩薩
第四祖 龍智菩薩
第五祖 金剛智三蔵
第六祖 不空三蔵
第七祖 恵果
第八祖 弘法大師

<伝持の八祖>
密教の教えを人間界で伝えてきた人たちの系譜。大日経系の流れ。全て歴史上の人物。

第一祖 龍猛菩薩
第二祖 龍智菩薩
第三祖 金剛智三蔵
第四祖 不空三蔵
第五祖 善無畏三蔵
第六祖 一行禅師
第七祖 恵果
第八祖 弘法大師

「是に三摩地の法を説く」とは、真理の当体(本体)である大日如来が自ら悟った瞑想の境地である。諸教とは、真言密教以外の教えのことである。

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顕教は釈迦や阿弥陀如来、薬師如来など、大日如来以外が説く教えのこと。人間それぞれの思想に応じて、一人一人が最もふさわしい教えを選べるようになっている。簡単に言えば、真言密教以外の教えが顕教。

真言密教は宇宙の根源仏である大日如来から直接秘密を学ぶ真実の教え。

真言密教の宇宙観では大日如来以外の如来、菩薩、明王、天などの諸尊は大日如来が生み出したものになる。諸尊から学んだ教えも間接的に言えば大日如来から学んだことになるが、大日如来から直接学んだわけではない。大日如来と直接繋がる宗派は密教だけ。

第八の証文 菩提心論より

また云く、「もし人、仏慧(ぶつえ/ぶつて)を求めて菩提心に通達(つうだつ)すれば、父母所生(ぶもしょしょう)の身(しん)に、速やかに大覚(だいかく)の位を証す」と。

菩提心論に「もし人が仏の智慧を求めて悟りの心に深く通じるならば、父母より授かったこの身このままで、速やかに悟りを開くことができる」とある。

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大覚は悟りを開き、仏陀となること。

即身成仏の偈頌

即身成仏義の「即身成仏の偈頌(げじゅ)」では、「真言密教では父母より授かったこの身このままで、ただちに仏となれる」と、詩文で次のように説いています。

六大無礙にして常に瑜伽なり
(ろくだいむげにしてつねにゆがなり)

四種曼荼各離れず
(ししゅまんだおのおのはなれず)

三密加持して速疾に顕わる
(さんみつかじしてそくしつにあらわる)

重重帝網なるを即身と名づく
(じゅうじゅうたいもうなるをそくしんとなづく)

法然に薩般若を具足して
(ほうねんにさはんにゃをぐそくして)

心数・心王、刹塵に過ぎたり
(しんじゅ・しんのう、せつじんにすぎたり)

各五智・無際智を具す
(おのおのごち・むさいちをぐす)

円鏡力の故に実覚智なり
(えんきょうりきのゆえにじっかくちなり)

このうち、前半の四句は即身成仏の「即身」を表し、後半の四句は即身成仏の「成仏」を表しています。

六大無礙にして常に瑜伽なり
四種曼荼各離れず
三密加持して速疾に顕わる
重重帝網なるを即身と名づく
即身について表す
法然に薩般若を具足して
心数・心王、刹塵に過ぎたり
各五智・無際智を具す
円鏡力の故に実覚智なり
成仏について表す

釈して曰く、此の二頌八句(にじゅはっく)以って即身成仏の四字を歎(たん)ず。即ち、是の四字に無辺の義を含(がん)ぜり。一切の仏法は、此の一句を出でず。故(かるがゆえ)に、略して両頌(りょうじゅ)を樹(た)てて無辺の徳を顕す。

頌の文を二つに分かつ。初めの一頌は、即身の二字を歎じ、次の一頌は、成仏の両字を歎ず。

さらに細かく分けると、それぞれの句は次の内容を表しています。

六大無礙にして常に瑜伽なり 体(本質)について表す
四種曼荼各離れず 相(姿)について表す
三密加持して速疾に顕わる 用(ゆう/活動)について表す
重重帝網なるを即身と名づく 無礙(むげ)について表す
法然に薩般若を具足して 真理の当体の仏について表す
心数・心王、刹塵に過ぎたり 無数の人々について表す
各五智・無際智を具す 全ての存在が具えている智慧について表す
円鏡力の故に実覚智なり 成仏の理由について表す

初めの中に、また四有り。初めの一句は体、二には相、三には用(ゆう)、四には無礙なり。

後の頌の中に四有り。初めには法仏の成仏を挙げ、次には無数(むしゅ)を表わし、三には輪円を顕し、後には所由(しょゆ)を出だす。

即身成仏の偈頌の解説

「即身成仏の偈頌」で説かれている内容を順番に見ていきましょう。

六大無礙にして常に瑜伽なり

「六大無礙(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり」は即身成仏の「即身」、そして「体(本質)」について表した部分です。

現代語訳にすると「六大は妨げがなく、常に一体である」となりますが、次のようなことを表しています。

大日如来の身体は地水火風空識の六大で構成されている。私たち人間の身体も地水火風空識の六大で構成されている。つまり、大日如来の身体と私たち人間の身体は一体である。

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無礙は妨げのないこと、瑜伽は1つになる(結合して相応する)こと。参考 空海コレクション2

  • 大日如来の身体
  • 人間の身体
  • 大日如来と人間は一体

という点について細かく見ていきます。

大日如来の身体

大日如来の身体は地水火風空識の六大で構成されています。

六大は「地水火風空」の五大(ごだい)に識(心)を加えた「宇宙の森羅万象を構成する6つの要素」のことです。

謂(いわ)く、六大とは、五大と及び識となり。

六大本質働き
認識
無礙(むげ)
*妨げのないこと
障(さわ)りがない
*妨げがない
動き成長させる
煖(あたた)かさ成熟させる
湿気摂(おさ)める
堅さ保持する

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六大が悟りの本質(体)。六大体大(ろくだいたいだい)という。

大日経には「私は、万物が本来生起も滅亡もなく、悟りの境地は言語を超越し、塵垢(じんこう/汚れ)がなく清浄であり、因縁から離れ、空の教えは虚空と等しいと知る。」とあり、大日如来が六大で成り立っていることが象徴的に表現されています。

大日経に謂う所の、「我、本不生(ほんぷしょう)を覚(さと)り、語言(ごごん)の道を出過(しゅっか)し、諸過(しょか)解脱(げだつ)することを得、因縁を遠離せり、空は虚空に等しと知る。」是れその義なり。

六大 象徴される部分 真言
「我覚(がかく)」が識大を象徴。仏の智慧の成就のこと。大日如来が主体なので我覚る(われさとる)が識大(心)。 吽(うん)
「空の教えは虚空(kha)と等しい」が空大を象徴。等虚空(とうこくう)。 佉(きゃ)
「悟りの境地は因(hetu)などの働きから離れている」が風大を象徴。全てを吹き払う風の力に例えられる。因業不可得(いんごうふかとく)。 訶(か)
「悟りの境地は塵垢(rajas)がなく清浄である」が火大を象徴。塵垢を焼き払う火の浄化力に例えられる。清浄無垢塵(しょうじょうむくじん)。 囉(ら)
「悟りの境地は言語(vāc)を超越する」が水大を象徴。水の清めの力に例えられる。離言説(りごんぜつ)。 嚩(ば)
「万物は本来生起も滅亡もない(ādyanutpanna)」が地大を象徴。大地の堅固さに例えられる。本不生。 阿(あ)

為(いわ)く、阿字諸法本不生(あじしょほうほんぶしょう)の義とは、即ち是れ、地大なり。嚩字離言説(ばじりごんぜつ)とは、之を水大と謂う。清浄無垢塵(しょうじょうむくじん)とは、是れ則ち、囉字火大(らじかだい)なり。因業不可得(いんごうふかとく)とは、訶字門風大(かじもんふうだい)なり。等虚空(とうこくう)とは、欠字(けんじ)なり。字相(じそう)、即ち空大なり。我覚(がかく)とは、識大なり。

大日如来が六大で構成されている点で特に重要なのは「大日如来も人格(心)を有した実在する生命体である」という点です。

識大が心であることからわかるように、大日如来も私たち人間と同じように人格(心)を持っています。

大日如来は仏の悟りを開いた仏陀(ぶっだ)なので、人間と比べたら限りなく高い人格(心)を具えた存在にはなりますが、私たち人間と同じように人格を持った生命体になります。

空海は即身成仏義の中で、大日如来を象徴する真言の「あ・び・ら・うん・けん」に

言語真言
日本語あ(地)・び(水)・ら(火)・うん(風)・けん(空)
サンスクリットア・ヴィ・ラ・フゥーン・カァーン
a vi ra hūṃ khaṃ

識大を表す「うん(吽)」の一字を加えて「あ・び・ら・うん・けん・うん」と、

言語真言
日本語あ(地)・び(水)・ら(火)・うん(風)・けん(空)・うん(識)
サンスクリットア・ヴィ・ラ・フゥーン・カァーン・フゥーン
a vi ra hūṃ khaṃ hūṃ

大日如来が人格を有していることを明確化しています。

かの種字真言(しゅじしんごん)に曰く、あびらうんけんうん

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「あ・び・ら・うん・けん」はそれぞれ五大を表す。あ(地)・び(水)・ら(火)・うん(風)・けん(空)。その真言に識大を表す「うん」が加えられることにより、大日如来の体が六大で構成されることになる。

「あ・び・ら・うん・けん」は大日経などに説かれる大勤勇三摩地(だいごんゆうさんまじ)の真言に由来。五大を表す。

「あ・び・ら・うん・けん・うん」の最後のうん(吽)は金剛界五仏の阿閦如来(あしゅくにょらい)を象徴。五蘊(ごうん/色受想行識)の識を表す。

人間の身体

真言密教の宇宙観では「大日如来の六大が宇宙に存在する全てのものを生み出し、あらゆるものの当体(本体/原動力)である」と考えられています。

言い方を変えると「大日如来は一切を生み出す根源仏であり、宇宙の存在も大日如来と同じく六大で成り立っている」ということです。

私たち人間も大日如来と同じく六大で成り立っています。

是の如くの六大、能(よ)く一切の仏、及び一切衆生・器界(きかい)等の四種法身(ししゅほっしん)・三種世間を造(ぞう)す。故(かるがゆえ)に、大日尊、如来発生(ほっしょう)の偈(げ)を説いて曰(のたまわ)く、

能く随類形(ずいるいぎょう)の、諸法と法相(ほっそう)と、諸仏と声聞(しょうもん)と、救世(ぐぜ)の因縁覚(いんねんがく)と、勤勇(ごんゆう)の菩薩衆とを生ず。及び人尊(にんそん)もまた然(しか)なり。衆生と器世界(きせかい)と、次第(しだい)に成立(じょうりゅう)す。生住等の諸法、常恒(じょうごう)に是の如く生ずと。

もっと詳しく

この宇宙の中に六大以外で成り立っているものは存在しない。如来、菩薩、明王、天、世界、物、人間も六大で成り立っている。

大日経巻五 秘密曼荼羅品第十一(大正蔵十八、三十一上)の中の如来発生の偈(げ)に全ての仏は大日如来が生み出したとあり、この世で仏法を説いた釈迦(しゃか)も大日如来が生み出したとある。

「私(大日如来)は様々な形の諸法(識大)と法相(五大)と諸仏と声聞(仏弟子)と、この世を救済する聖者と懸命に努力する菩薩たちを生み出す。人尊としての釈尊もまた同様に私が生み出した。一切の人々も彼らの住む世界も順に私が生み出した。そして彼らの生住異滅(万物が生じ、とどまり、変わり、消滅する4つの姿)という変換してゆく姿、様相などの諸法もすべてを自然のままに生み出した。」

参考 空海「即身成仏義」「声字実相義」「吽字義」ビギナーズ日本の思想 Kindle版

空海「即身成仏義」「声字実相義」「吽字義」ビギナーズ日本の思想

空海「即身成仏義」「声字実相義」「吽字義」ビギナーズ日本の思想

大日如来と人間は一体

この宇宙は大日如来の身体を構成する地水火風空識の六大から生み出されたものであり、大日如来と同じく六大で構成されているということは、宇宙は大日如来の身体であることを意味します。

もっと詳しく

六大は宇宙の実体。諸尊、人間、人間世界など、万物は大日如来の現れになる。

人間も六大で成り立っていて、それを生み出した大日如来がその本体ということは、人間も大日如来の身体であることを意味しています。

つまり「大日如来と私たち人間は一体である」ということです。

言い方を変えると「人間ひとりひとりには大日如来の種が宿っていて、本質的に大日如来と同じである」ということになります。

もっと詳しく

衆生は無知であるが故に、本来持っている仏心(大日如来の種)を自分の手でしまいこんでしまっている。これを衆生秘密という。

故(かるがゆえ)に頌(じゅ)に、「六大無礙にして常に瑜伽なり」と曰(い)う。無礙とは、渉入自在(しょうにゅうじざい)の義なり。常とは、不動不壊(ふどうふえ)等の義なり。瑜伽とは、翻(ほん)じて相応と云う。相応渉入は、即ち是れ「即」の義なり。

四種曼荼各離れず

「四種(ししゅ)曼荼(まんだ)各(おのおの)離れず」は即身成仏の「即身」、そして「相(姿)」について表した部分です。

現代語訳にすると「四種の曼荼羅は真実の相を表し、互いに関連し合っていて離れることはない」となりますが、次のようなことを表しています。

四種の曼荼羅は真実の相(姿)を表す。大日如来が曼荼羅の中央に座し、私たち人間も曼荼羅上に収まっている。人間も含め、曼荼羅上の全ての存在は大日如来と一体であり、離れた存在ではない。
  • 真実の相(姿)を表す四種曼荼羅(ししゅまんだら)
  • 曼荼羅の中央に座すのは大日如来
  • 全ての存在は大日如来と一体

という点について細かく見ていきます。

真実の相(姿)を表す四種曼荼羅

四種曼荼羅は密教で説く四種類の曼荼羅のことです。

曼荼羅とは

真理は深く神秘的であるが故に言葉や文字で伝えることは難しい。図画を用いて真理を視覚化して伝えようとした。その典型が曼荼羅。

曼荼羅はサンスクリットのマンダラ(maṇḍala)の音写で円や円輪を意味する。漢訳には壇や円輪具足(えんりんぐそく)などがある。

古代インドでは行事の際、土で円形の壇を築き、そこに神々の姿を描いて祈願などを行っていた。それが曼荼羅の起源。参考 よくわかる真言宗

よくわかる真言宗

よくわかる真言宗

全ての如来には「字(種子/梵字)」「印(印相)」「形(尊形)」の三種類の秘密身があり、それらを姿(相/そう)で表すのが次の四種曼荼羅です。

四種曼荼羅 詳細
大曼荼羅(だいまんだら) 姿形を具(そな)えている身体で表す尊形曼荼羅
三昧耶曼荼羅(さんまやまんだら) 印(印相)など象徴物で表す曼荼羅
法曼荼羅(ほうまんだら) 字(種子/梵字)で表す曼荼羅
羯磨曼荼羅(かつままんだら) 字・印・形の三種の身体に具わる活動や働きを表す曼荼羅

「四種曼荼各離れず」とは、大日経に説かく、「一切如来に三種の秘密身有り、謂く字・印・形なり」と。

字とは法曼荼羅なり。印とは、謂く、種種の幖幟(ひょうじ)、即ち三昧耶曼荼羅なり。形とは相好具足(そうごうぐそく)の身(しん)、即ち大曼荼羅なり。この三種の身に、各威儀事業(いぎじごう)を具す、是れを羯磨曼荼羅と名づく。是れ四種曼荼羅なり。

大曼荼羅は諸尊の姿形を色彩つきで表す曼荼羅です。六大で成り立つ宇宙を具体像で表しています。

大曼荼羅 金剛界

大曼荼羅 金剛界

大曼荼羅 胎蔵界

大曼荼羅 胎蔵界

出典 Wikipedia

大曼荼羅の「大」は大きいという意味ではなく、六大の曼荼羅という意味です。

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真言密教の修行者が初会金剛頂経(しょえこんごうちょうぎょう)に説かれる五相成身観(ごそうじょうじんかん)という五段階の観法(かんぽう)をもって、金剛界大日如来をその身に体現する場合も大曼荼羅という。大いなる仏の智慧を表すことから大智印(だいちいん)ともいう。

五相成身観とは通達菩提心(つうだつぼだいしん)・修菩提心(しゅぼだいしん)・成金剛心(じょうこんごうしん)・証金剛身(しょうこんごうしん)・仏心円満(ぶっしんえんまん)から成る成仏観想法のこと。

もし金剛頂経の説に依らば、四種曼荼羅とは、一には、大曼荼羅、謂く、一一(いちいち)の仏菩薩の相好(そうごう)の身(しん)なり。またその形像(ぎょうぞう)を彩画(さいが)するを大曼荼羅と名づく。また五相(ごそう)を以て本尊の瑜伽を成ずるなり。また大智印と名づく。

三昧耶曼荼羅は諸尊の誓願(せいがん)を象徴する持ち物や印(印相)で表す曼荼羅です。

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誓願は諸尊が衆生を救済するために立てた誓い。諸尊が手に持っている塔、刀剣、輪宝、金剛杵、蓮華、薬壺、水瓶などの仏具や、手の指で形を作って表している印は個々の神仏の誓願の象徴。

三昧耶曼荼羅

三昧耶曼荼羅

出典 沖縄県那覇市の密教護摩祈祷、祈願寺

三昧耶曼荼羅の三昧耶はサンスクリットのサマヤ(samaya)の音写で本誓(ほんぜい)という意味になります。

本誓は生きている全ての存在を救い、悟りを得させる衆生済度(しゅじょうさいど)の誓願です。

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真言密教の修行者が両手の五指を交互に組んで金剛縛(こんごうばく)の印を結び、そこから様々な印を作るのも三昧耶曼荼羅という。象徴物で仏の智慧を表すことから三昧耶智印ともいう。

金剛縛は右手の親指が上になるように、そして指が手の甲側に出るように両手の五指を交互に組む印のこと。

二には、三昧耶曼荼羅、即ち所持の幖幟の刀剣、輪宝、金剛、蓮華等の類是れなり。もしその像を画するも、また是れなり。また二手を以て和合し、金剛縛を発生(ほっしょう)して、印を成ずる、是れなり。また三昧耶智印と名づく。

法曼荼羅は諸尊の悟りの境地を字(種子/梵字)で表す曼荼羅です。

法曼荼羅 金剛界

法曼荼羅 金剛界

法曼荼羅 胎蔵界

法曼荼羅 胎蔵界

出典 沖縄県那覇市の密教護摩祈祷、祈願寺

法曼荼羅は種子曼荼羅(しゅじまんだら)ともいいます。

種子は諸尊を一文字で表したもので、例えば金剛界大日如来の種子はवं(ヴァン/vaṃ)、胎蔵界大日如来の種子はअ(ア/a)、不動明王の種子はहां(ハーン/hāṃ)です。

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種子はサンスクリットのビージャ(bija)の訳。植物の種子を意味し、種子には含蔵と出生の2つの意味がある。

<含蔵>真言密教の一字の中には全ての教えが含まれている。三蔵(経・律・論)のあらゆる教えを含むほど深くて広い。植物の種子がこれから伸びる根や茎、枝、葉、花などを含み持つように、一字の梵字には仏の無量の功徳が含まれている。

<出生>種子から芽が出て根や茎、枝、葉、花が育つように、一字の梵字から仏の無量の功徳が出生される。

参考 空海「般若心経秘鍵」ビギナーズ日本の思想

空海は種字だけでなく真言や陀羅尼も法曼荼羅であるとしています。

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大日如来の悟りの境地、その内容を解き明かした経典や文章表現もすべて法曼荼羅という。仏の教え(法)の智慧を表すことから法智印ともいう。

三には法曼荼羅、本尊の種子真言なり。もしその種子の字を各本位に書く、是れなり。また法身の三摩地、及び一切契経(かいきょう)の文義(もんぎ)等、皆是れなり。また法智印と名づく。

羯磨曼荼羅は諸尊の活動や働きを表す曼荼羅です。衆生利益のための行為を示しています。

鋳造や塑像を並べた立体曼荼羅も羯磨曼荼羅です。

羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)|東寺ポストカード

羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)|東寺ポストカード

羯磨曼荼羅の羯磨はサンスクリットのカルマ(karma)の音写で業や行為という意味になります。

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活動や働きの仏の智慧を表すことから羯磨智印ともいう。

四には羯磨曼荼羅、即ち諸仏菩薩等の種種の威儀事業(いぎじごう)、もしは鋳(ちゅう)、もしは捏(ねつ)等もまた是れなり。また羯磨智印と名づく。

曼荼羅の中央に座すのは大日如来

四種の曼荼羅、四種類の仏の智慧のしるしで示される諸尊の数は量り知れないほど多く、ひとつひとつの大きさは虚空と同じです。

曼荼羅上には人間も含め、宇宙に存在する全てのものが収まっていて、その中央に大日如来が座します。

是の如くの四種曼荼・四種智印、その数無量なり。一一の量、虚空に同じ。

全ての存在は大日如来と一体

空間と光が妨げあうことなく、逆らいあうこともなく、お互いに関連しあって離れることがないように、各(おのおの)の曼荼羅は離れることがありません。

別の言い方をすれば、大日如来と人間は繋がっているということです。

そのため、人間も含め、曼荼羅上の全ての存在は大日如来と一体であり、離れた存在ではありません。

彼(か)れは此(こ)れを離れず、此れは彼れを離れず。猶(なお)し空光(くうこう)の無礙にして逆えざるが如し。故(かるがゆえ)に「四種曼荼各離れず」と云う。不離は、即ち是れ即の義なり。

三密加持して速疾に顕わる

「三密加持(さんみつかじ)して速疾(そくしつ)に顕(あら)わる」は即身成仏の「即身」、そして「用(ゆう/活動)」について表した部分です。

現代語訳にすると「三密加持することにより、すみやかに悟りの世界が現れる」となりますが、次のようなことを表しています。

大日如来の三種類の活動(三密)はあらゆる次元、世界、存在に対して平等に行き届いている。私たち人間も三種類の活動(三業/さんごう)を同じように持っている。三密加持して大日如来と私たち人間の三種類の活動が不思議な働きによって感応する時、すみやかに悟りの世界が現れる(大日如来と一体になる)。
  • 大日如来の三密
  • 人間の三業
  • 大日如来と一体になる

という点について細かく見ていきます。

大日如来の三密

三密は「身密(しんみつ)・口密(くみつ)・意密(いみつ)」のことです。

大日如来の活動(働き)には

  1. 身(身体)
  2. 口(言葉)
  3. 意(心)

の三種類の活動があり、それぞれ身密・口密・意密と表現されます。

三密 詳細
身密 大日如来の身体的活動(身体の働き)。生と死、動き、熱など宇宙を形成する物質的側面を表す。修行者は手を動かして印を結び、熱を発することで身密を体現する。四種曼荼羅のうち、身密に対応しているのは羯磨曼荼羅。大曼荼羅とする説もある。
口密 大日如来の言語的活動(言葉の働き)。言葉、音声、言葉の意味など宇宙を形成する波動的側面を表す。修行者は真言を唱えることで口密を体現する。四種曼荼羅のうち、口密に対応しているのは法曼荼羅。
意密 意密は大日如来の精神的活動(心の働き)。感情やイメージなど宇宙を形成する精神的側面を表す。修行者は瞑想をして精神を統一することで意密を体現する。四種曼荼羅のうち、意密に対応しているのは三昧耶曼荼羅。

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大日如来の三種類の活動(用/ゆう)が三密。三密用大(さんみつゆうだい)という。

大日如来の三密はあらゆる次元、あらゆる世界、あらゆる存在に対して平等に行き届いているので、この宇宙に大日如来の三密が不足している所は一切ありません

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真理を本質とする大日如来の三密(三種類の活動作用)は深く、細やかであるため、高い位の菩薩ですら見たり聞いたり、悟り知ることができない。そのため「密」という。

三密とは、一には身密、二には語密、三には心密なり。法仏の三密は、甚深微細(じんじんみさい)にして、等覚・十地も見聞(けんもん)すること能わず、故(かるがゆえ)に密と号う。

人間の三業

三種類の活動を持っているのは大日如来だけではありません。曼荼羅に登場する諸尊もそれぞれ三種類の活動を持っていて、お互い支え合う関係にあります。

私たち人間も同様です。私たち人間も「身(身体)・口(言葉)・意(心)」の三種類の活動を同じように持っています。

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大日如来は仏陀なので三種類の活動を三密というが、私たち衆生の三種類の活動は三業(さんごう)という。三業は「身業(しんごう)・口業(くごう)・意業(いごう)」の三種の活動。

一一の尊、等しく刹塵(せつじん)の三密を具して、互相(たがい)に加入し、彼此摂持(ひししょうじ)せり。衆生の三密もまた是の如し。故(かるがゆえ)に三密加持と名づく。

大日如来と一体になる

三密加持の三密は身密・口密・意密のことです。加持は大日如来の大悲心と衆生の信仰心を感応させることを表しています。

「加」は大日如来の光が衆生の心を照らし、そこに現れること、「持」は修行者の心が大日如来の光を感じ取ることを意味します。

大日如来の光が衆生の心を照らし、そこに現れる
修行者の心が大日如来の光を感じ取る

加持とは、如来の大悲(だいひ)と衆生の新人とを表わす。仏日(ぶつじつ)の影、衆生の心水(しんすい)に現ずるを加と曰い、行者の心水、よく仏日を感ずるを持と名づく。

修行者がこの真理を深く理解し、手で印を結び、口で真言を唱え、瞑想をして精神を統一すると、大日如来の三密と修行者の三業が互いに感応するので、この身このままで本来具え持っている大日如来の仏身を顕現し、真理を体得することができるとされています。

万物は大日如来の現れです。大日如来の三密で成り立っています。

人間側の努力(三業)と大日如来の救済の力(三密)が一致した時、大日如来と一体になるというのが三密加持です。

参考 阿・吽(12)

阿・吽(12)

阿・吽(12)

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真言宗が重んじる秘蔵記には次のようにある。

「加」とは諸仏の護念、「持」とは我が自行のこと。加持は父の精をもって母の隠に入る時、母の胎蔵が種子を生長させるように、諸仏が悲願力をもって光を放ち、衆生を加護する。これを諸仏護念という。衆生の内心と諸仏の加護の因縁の故に、衆生は菩提心を起こして修行する。これを自行という。

なお、秘蔵記は密教用語の解説や事相の口伝など密教の要義が記されている約百章の解説書。著者は不明。「恵果口説、弘法大師記」、「不空三蔵口説、恵果記」など諸説ある。

もし真言行人有って、この義を観察して、手に印契を作し、口に真言を誦(じゅ)し、心、三摩地に住すれば、三密相応して加持するが故に、早く大悉地(だいしつじ)を得。

行者、もし能くこの理趣を観念すれば、三密相応するが故に、現身に速疾に本有(ほんぬ)の三身を顕現し証得す。故に速疾顕と名づく。常の即時即日の如く、即身の義もまた是の如し。

ちなみに、氣(エネルギー)の側面から考えると、三密加持はこの世に影響する「肉体・エーテル体・アストラル体・メンタル体」を同時に立ち上げることを意味しています。

三密 実践内容 エネルギー体 エネルギー体詳細
身密 印を結ぶ 肉体 物質として存在する体
熱を発する エーテル体 熱を発して蒸気のように流れる氣の体
口密 真言を唱える メンタル体 言葉や思考で形成される魂の体
意密 瞑想する アストラル体 感情やイメージで形成される心の体

氣の大原則についてはこちら↓で詳しくお伝えしています。

富士山と女性
【保存版】強力な邪気払いのやり方と真言|部屋の浄化方法や氣の大原則も解説

氣(エネルギー)の世界には良い氣と悪い氣があり、悪い氣を邪気と言います。 良い氣(良いエネルギー) 悪い氣(悪いエネルギ ...

重重帝網なるを即身と名づく

「重重帝網(じゅうじゅうたいもう)なるを即身と名づく」は即身成仏の「即身」、そして「無礙」について表した部分です。

現代語訳にすると「帝釈天の網の宝珠のようにあらゆる身体が関係し合って存在し、お互いに映しあうことを即身という」となりますが、次のようなことを表しています。

大日如来の三密は妨げがなく、法界(ほっかい)に満遍なく満ち溢れている。様々な身は縦横無尽に関係している。帝釈天の網の宝珠のようにあらゆる身体が関係し合って存在し、即お互いに映しあう。これを即身という。

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重重帝網の重重は幾重にも重なっていること。帝網は帝釈天(インドラ)の網のこと。インドラの網はインターネットの語源になったと言われている。

インドラはバラモン教の神。聖典リグ・ヴェーダで最も多くの賛歌がある天空の支配者、最高神。風水、モンスーンを司ることから豊穣神とされる。雷神の性格を持つ。仏教に取り込まれると帝釈天と呼ばれ、護法善神となった。

  • 大日如来の三密は満遍なく満ち溢れている
  • 様々な身は縦横無尽に関係している
  • あらゆる身体は即お互いに映しあう

という点について細かく見ていきます。

大日如来の三密は満遍なく満ち溢れている

大日如来の三密は「帝釈天(インドラ)の網」のように障りなく完全に溶け合っています

帝釈天が住む宮殿には網が張り巡らされています。その網にある無数の結び目のひとつひとつには宝珠が織り込まれていて、どれか1つの宝珠に映り込んだ情報は他の全ての宝珠にも反映されるようになっています。

帝釈天はその網を地球全体に投げかけ、世界中の全ての情報を知り、そして体験していました。

その帝釈天の網のように、大日如来の三密は法界(ほっかい)に満遍なく満ち溢れています。

法界とは

真理の世界。大宇宙の世界のこと。

「重重帝網なるを即身と名づく」とは、是れ則ち譬喩(ひゆ)を挙げて、以て諸尊の刹塵(せつじん)の三密、円融無礙(えんゆうむげ)なることを明かす。帝網とは因陀羅珠網(いんだらしゅもう)なり。

様々な身は縦横無尽に関係している

身とは我が身(我身)、仏の身体(仏身)、生きとし生けるものの身体(衆生身)のことです。

また、自性・受用(じゅゆう)・変化・等流(とうる)の四種法身(ほっしん)も身といいます。

四種法身 詳細
自性身 悟りの当体(本体)としての身体
受用身 悟りを自ら味わい楽しみ、かつ他人に施し楽しませる身体
変化身 衆生の性質や欲望に合わせて姿を変え、救済する身体
等流身 相手と同じ姿形をとって現れる身体

また、「字(種子/梵字)」「印(印相)」「形(尊形)」の三種類の秘密身も身です。

秘密身 詳細
字(種子/梵字)で表現される仏の身体
印(印相)など象徴物で表現される仏の身体
姿形を具(そな)えている身体で表現される仏の身体

謂く、身とは我身・仏身・衆生身、是れを身と名づく。また四種も身有り。言(いわ)く、自性・受用・変化・等流、是れを名づけて身と曰う。また三種有り。字・印・形、是れなり。

鏡を向かい合わせると両側の鏡がお互いに映し合い、無数の枚数の鏡が広がるように、もしくは灯明(とうみょう)を数多く並べると、お互いに照らし合って渾然一体(こんぜんいったい)となっているように、これらの様々な身は縦横無尽に関係しています。

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灯明は神仏に供える灯火(ともしび)のこと。

渾然一体はすべてが溶け合って区別がつかないさま。一つのものになるさま。

是の如く等の身は、縦横重重にして、鏡中の影像(ようぞう)と灯光の渉入(しょうにゅう)との如し。

あらゆる身体は即お互いに映しあう

大日如来の身体(仏身)は我が身(我身)、我が身は大日如来の身体です。

そして大日如来の身体は生きとし生けるものの身体(衆生身)、生きとし生けるものの身体は大日如来の身体です。

そのため、

  • 我が身(我身)
  • 大日如来の身体(仏身)
  • 生きとし生けるものの身体(衆生身)

これら3つの身は同じではないが同じであり、異なっていないが異なる関係になります。

彼の身、即ち是れ此の身、此の身、即ち彼の身、仏身、即ち是れ衆生身、衆生身、即ち是れ仏身なり。不同にして同なり、不異にして異なり。

3つのものが妨げなく平等であることを示す三等無礙(さんとうむげ)の真言にはこのようにあります。

言語真言
日本語あさんめい ちりさんめい さんまえい そわか
サンスクリットアサメー トュリサメー サマイェー スヴァーハー
asame trisame samaye svāhā

この真言はそれぞれ次のことを意味していて、

  • あさんめい…等しくない(無等)
  • ちりさんめい…三つのものが等しい(三等)
  • さんまえい…三つのものが平等である(三平等)
  • そわか…成就あれ/祝福あれ

全体では「等しきものなき三平等なる本誓を持つものよ。成就あれ。」という意味合いになります。

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「あさんめい ちりさんめい さんまえい そわか」は入仏三昧耶の真言ともいう。

故(かるがゆえ)に、三等無礙の真言に曰く、

あさんめい ちりさんめい さんまえい そわか

初めの句義をば無等と云い、次をば三等と云い、後の句をば三平等と云う。

3つのものとは例えば次のようなものがあり、

  • 仏・法(仏の教え)・僧(教えを守る人)
  • 身密・口密・意密
  • 心・仏・衆生

これらはそれぞれ平等であり、ひとつです。ひとつであり、無量です。無量であって、ひとつです。

そしてこれらは秩序なく入り乱れ、破綻するようなことはありません。

そのため、帝釈天の網の宝珠のようにあらゆる身体が関係し合って存在し、お互いに映しあうことを即身といいます。

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帝釈天の網にあるどれか1つの宝珠に映り込んだ情報が他の全ての宝珠にも反映されるように、大日如来の仏身を我が身に即座に顕現し、真理を体得することができる。

仏・法・僧、是れ三なり。身・語・意、また三なり。心・仏及び衆生、三なり。是の如くの三法は、平等平等にして一なり。一にして無量なり。無量にして一なり。而(しか)も終(つい)に雑乱せず。故(かるがゆえ)に「重重帝網なるを即身と名づく」と曰う。

法然に薩般若を具足して

「法然(ほうねん)に薩般若(さはんにゃ)を具足(ぐそく)して」は即身成仏の「成仏」、そして真理の当体の仏(大日如来)について表した部分です。

現代語訳にすると「あるがままに一切智智を具えている」となりますが、次のようなことを表しています。

大日如来は一切の根源(大元)であり、大日如来よりも上の存在はいない。説法は他に比べるものがない最上のものである。大日如来の五智は無限に広がり、末端まであまねく行き渡っている。大日如来はあるがままに真理を具えている。故に全ての仏は一切智智を具えている。
  • 大日如来は一切の根源(大元)
  • 大日如来の五智は無限に広がっている
  • 全ての仏は一切智智を具えている

という点について細かく見ていきます。

大日如来は一切の根源(大元)

大日経に「大日如来は一切の根源(大元)であり、あらゆる存在の拠り所と呼ばれる。大日如来の説法は他に比べるものがない最上のものである。本来悟りの境地にあり、上のものはいない。」とあります。

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大日如来はあらゆるものの当体(本体/原動力)である。大日如来が説く教えよりも優れているものはない。万物は大日如来の現れなので、大日如来よりも上の存在はいない。

「法然に薩般若を具足す」とは、大日経に云く、「我は一切の本初(ほんじょ)なり、号して世所依(せしょえ)と名づく。説法等、比無く、本寂(ほんじゃく)にして上有ること無し」と。謂く、我とは大日尊の自称なり。一切とは無数(むしゅ)を挙ぐ。本初とは、本来法然に是の如くの、大自在の、一切の法を証得するの本祖(ほんそ)なり。

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「我」は大日如来。「一切」は数えきれないほど多い。「本初」は長い時間をかけ、厳しい修行と善行を積み重ねて仏陀になったのではなく、はじめから仏陀として存在しているという意味。

悟りの本体である大日如来も衆生の本性も、本来寂静な悟りの真理を具えていますが、衆生は気がついていないですし、認識もしていません。

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生命のある全ての存在は生命の始源から悟りの真理を具えている。本質は仏の本質と同じである。

そのため、大日如来はその道理を説いて衆生に悟らせようとしています。

如来の法身と衆生の本性とは、同じくこの本来寂静の理を得たり。然れども衆生は、覚(かく)せず知(ち)せず。故に仏、この理趣を説いて、衆生を覚悟せしめたもう。

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大日経の悉地出現品に「何事に対しても原因があって結果があるという因果関係に固執するような愚かな者は、真言や真言の真意を知ることはできない。原因が結果を生み出すわけではないので、結果も生じることはない。原因は実体がない空(くう)であるから、結果は存在しない。真言の結果は因果関係を離れていると知るべきである。」とある。

結果は現在の行動で変えることができる。未来を変えるのは今の自分ということ。

例えば「明日までにやらないといけない宿題が出た」という原因があった時、今宿題をやれば「明日宿題を提出して褒められる」という結果を得ることができる。反対に今宿題をやらなければ、「明日宿題を提出しないで怒られる」という結果になってしまう。このように原因が同じだったとしても、現在の行動で結果は変わるので、原因が結果を生み出すわけではない。

真言を唱えることで得られる結果をわかりやすく言えば、原因がなんであれ、未来で得る結果を変えることができる。因果関係に固執していると、その真意を理解することはできない。

また云く、「諸(もろもろ)の因果を楽欲(ぎょうよく)する者、かの愚夫(ぐふ)の能く真言と真言の相とを知るに非ず。何を以ての故に。因は作者(さしゃ)に非ずと説けば、かの果も則ち不生なり。この因、因すら尚し空なり。云何(いかん)が果有らんや。当(まさ)に知るべし。真言の果は、悉く因果を離れたり」と。

大日如来の五智は無限に広がっている

金剛頂経に「大日如来は四仏に囲まれ、四仏はそれぞれ四菩薩に囲まれ、そしてそれらの菩薩は四尊に囲まれるといったように、大日如来の五智は無限に広がり、末端まであまねく行き渡っている」とあります。

五智は大日如来が具え持つ五つの智慧のことです。この五智で一切智智といいます。

五智 詳細
法界体性智
(ほっかいたいしょうち)
真理を本質とする絶対的な智
大円鏡智
(だいえんきょうち)
一切のものを鏡のように正確に映し出す智
平等性智
(びょうどうしょうち)
一切のものの平等性を知る智
妙観察智
(みょうかんざっち)
一切のものを正確に認識する智
成所作智
(じょうそさち)
あらゆることを成し遂げる智

これら五智は万物に滞りなく行き届いています。

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金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)に説かれる。

また金剛頂経に云く、「自性所成(じしょうしょじょう)の眷属(けんぞく)、金剛手(こんごうしゅ)等の十六大菩薩、乃至各各に五億倶胝(くてい)の微細法身(みさいほっしん)の金剛を流出(るしゅつ)す」と。是の如く等の文は、また是れこの義なり。

全ての仏は一切智智を具えている

「法然に薩般若を具足して」の法然、薩般若、具足はそれぞれ次のことを意味しています。

法然 あるがまま、自然に。
薩般若 サンスクリットのサルヴァジュニャーナ(sarvajñāna)のこと。漢訳は最高の智慧を表す「一切智智(いっさいちち)」。一切智智の智は決断して選び取るという意味。
具足 成就、不足なく十分に具わっている。

繋げると「あるがままに一切智智を具えている」という意味になります。

法然とは、諸法自然(じねん)に、是の如くなることを顕わす。具足とは成就の義、無欠少(むけつしょう)の義なり。薩般若とは梵語(ぼんご)なり、古く薩云(さつうん)と云うは訛略(けりゃく)なり。具(つぶさ)には薩羅婆枳嬢嚢(さらばきじゃのう)と云う。翻じて一切智智と云う。一切智智とは、智とは決断簡択(けつだんけんちゃく)の義なり。

また、一切の仏はそれぞれが五智、金剛界三十七尊の智慧、そして無数の智慧を具えている、とありますが、これは大日如来はあるがままに真理を具えていて、その力が無限に広がっていることを示しています。

一切の仏、各五智(おのおのごち)・三十七智(さんじゅうしちち)、乃至(ないし)刹塵(せつじん)の智を具(ぐ)せり。

金剛界三十七尊とは

金剛界三十七尊は金剛界曼荼羅を構成する次の三十七尊のこと。

<金剛界五仏>
・大日如来
・阿閦如来
・宝生如来
・阿弥陀如来
・不空成就如来

<十六大菩薩>
・金剛薩埵
・金剛王菩薩
・金剛愛菩薩
・金剛喜菩薩
・金剛宝菩薩
・金剛光菩薩
・金剛幢菩薩
・金剛笑菩薩
・金剛法菩薩
・金剛利菩薩
・金剛因菩薩
・金剛語菩薩
・金剛業菩薩
・金剛護菩薩
・金剛牙菩薩
・金剛拳菩薩

<四波羅蜜菩薩>
・金剛波羅蜜菩薩(こんごうはらみつぼさつ)
・宝波羅蜜菩薩(ほうはらみつぼさつ)
・法波羅蜜菩薩(ほうはらみつぼさつ)
・羯磨波羅蜜菩薩(かつまはらみつぼさつ)

<内四供養菩薩>
・金剛嬉菩薩(こんごうきぼさつ)
・金剛鬘菩薩(こんごうまんぼさつ)
・金剛歌菩薩(こんごうかぼさつ)
・金剛舞菩薩(こんごうぶぼさつ)

<外四供養菩薩>
・金剛焼香菩薩(こんごうしょうこうぼさつ)
・金剛華菩薩(こんごうけぼさつ)
・金剛燈菩薩(こんごうとうぼさつ)
・金剛塗香菩薩(こんごうずこうぼさつ)

<四摂菩薩(ししょうぼさつ)>
・金剛鉤菩薩(こんごうこうぼさつ)
・金剛索菩薩(こんごうさくぼさつ)
・金剛鏁菩薩(こんごうさぼさつ)
・金剛鈴菩薩(こんごうれいぼさつ)

参考 曼荼羅図典

心数・心王、刹塵に過ぎたり

「心数(しんじゅ)・心王(しんのう)、刹塵(せつじん)に過ぎたり」は即身成仏の「成仏」、そして無数の人々について表した部分です。

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「心数・心王、刹塵に過ぎたり」と次の「各五智・無際智を具す」は、「全ての仏は一切智智(最高の智慧)を具えている」ことについて説明している部分でもあり、即身成仏義では同時に解説がある。

現代語訳にすると「心と心の作用は無数である」となりますが、次の「各五智・無際智を具す」と合わせるとこのようなことを表しています。

無数に存在する全ての人々に心と心の作用が具わっている。ひとつひとつの心と心の作用には、五智と際限のない深い智慧が具わっている。仏だけでなく、人間も含めた全ての存在は一切智智(最高の智慧)を具えている。

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「心数は心の作用。心王は心そのもののこと。

この部分は短いですが見ていきましょう。

全ての人が具え持っている智慧

「智」は大日如来、「心」は衆生とした時、これら2つは異なるものではありません。「智(大日如来)」と「心(衆生)」は本質的に同じだからです。

人は数えきれないほど多く存在しますが、当然その数だけ「心」も存在します。それら「全ての人(心)が具え持っている智」ということから一切智智といいます。

「一つの智慧をもって一切を知る」ことに対して一切智智という言葉を用いる顕教の意味とは異なります。

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唯識(ゆいしき)では集起を心と漢訳。阿頼耶識(あらやしき)の名とする。集は人間の行動が阿頼耶識にたくわえられる(浸透して残る)こと。起はこの識から次の行動が起こされること。

唯識は大乗仏教の思想の1つ。法相宗の根本教義。世界はその人が心に描くイメージに過ぎない、あらゆる存在は唯(ただ)8種類の識(八識)によって成り立つ(心から現れる)とされる。八識は六識(眼・耳・鼻・舌・身・意)と末那識(まなしき)、阿頼耶識のこと。

<八識>
・眼識(げんしき)…視覚
・耳識(にしき)…聴覚
・鼻識(びしき)…嗅覚
・舌識(ぜつしき)…味覚
・身識(しんしき)…触覚
・意識…思考
・末那識…潜在意識、深層に働く自我意識
・阿頼耶識…個人の根本にある識

次の両句は、即ちこの義を表す。もし決断の徳を明かすには、則ち智を以て名を得。集起を顕わすには、則ち心を以て称(な)とす。軌持(きじ)を顕わすには、則ち法門に称を得。一一の名号、皆人を離れず。是の如くの人・数、刹塵に過ぎたり。故に、一切智智と名づく。顕家の一智を以て一切に対して、この号(な)を得るには同ぜず。

心王とは法界体性智等なり。心数とは多一識(たいっしき)なり。

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心王(心)は法界体性智等(五智・五仏)を指し、心数(心の作用)は現象界の区別等を認識する智(多一識/たいっしき)を指す。また、心王を大日如来、心数を阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の四仏をはじめる曼荼羅諸尊とすることもある。

多一識とは大乗起信論(だいじょうきしんろん)の注釈書である釈摩訶衍論(しゃくまかえんろん)に説かれる十識のうちの第九識。人々の心の迷いには次の十種類(十識)がある。

・第一 眼識心
・第二 耳識心
・第三 鼻識心
・第四 舌識心
・第五 身識心
・第六 意識心
・第七 末那識心…潜在意識、深層に働く自我意識
・第八 阿梨耶識心(阿頼耶識心)…宇宙万有の展開の根源となる心
・第九 多一識心…生滅門(心の現象面)にあたる
・第十 一一識心(いちいちしきしん)…平等一如の真理をさとる智、真如門(心の本体)にあたる

参考 空海コレクション1空海コレクション2

各五智・無際智を具す

「各五智(おのおのごち)・無際智(むさいち)を具(ぐ)す」は即身成仏の「成仏」、そして全ての存在が具えている智慧について表した部分です。

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「心数・心王、刹塵に過ぎたり」と同様、「全ての仏は一切智智(最高の智慧)を具えている」ことについて説明している部分でもある。

現代語訳にすると「全ての存在が五つの如来の智慧と際限のない深い智慧を具えている」となりますが、先の「心数・心王、刹塵に過ぎたり」と合わせると次のようなことを表しています。

大日如来はあるがままに真理を具えている。ひとつひとつの心と心の作用にも五智と際限のない深い智慧が具わっている。故に大日如来の真理はこの宇宙に無限に展開されている。

この部分も短いですが見ていきましょう。

無限に展開する大日如来の智慧

「各五智を具す」とは、ひとつひとつの心と心の作用に五智が具わっているということです。無際智は際限なく無数に遍在する智慧を示しています。

「各五智を具す」とは、一一の心王・心数に各各に之有ることを明かす。無際智とは高広無数(こうこうむすう)の義なり。

円鏡力の故に実覚智なり

「円鏡力(えんきょうりき)の故に、実覚智(じっかくち)なり」は即身成仏の「成仏」、そして成仏の理由について表した部分です。

現代語訳にすると「一切の現象を鏡のように正確に映し出す時、真理を悟った仏陀となる」となりますが、次のようなことを表しています。

大日如来の心の鏡は一切の現象を正確に映し出している。全てを鏡のように映し出す時、真理を悟った仏陀となる。本質的に大日如来と同じである人間も、一切の現象を心の鏡に正確に映し出す時、真理を悟った仏陀となる。

最後の部分も短いですが見ていきましょう。

真理を悟った仏陀となる

全ての仏は実覚智者と呼ばれます。「円鏡力の故に、実覚智なり」とは、仏はどのようにして覚智(悟ったもの)の名を得るのか、その理由を示している部分になります。

「円鏡力の故に、実覚智なり」とは、此れ即ち所由(しょゆ)を出だす。

高い台に置かれた曇りのない鏡が全てを映し出すように、大日如来の心の鏡は大宇宙の最も高い場所にあり、一切の現象を正確に映し出しています

この澄み切った鏡のような智慧をどの仏も具え持っています。故に、「一切の現象を鏡のように正確に映し出す時、真理を悟った仏陀となる」といいます。

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人間は本質的に大日如来と同じであり、一切智智を具えている。その智慧を持ち、一切の現象を心の鏡に正確に映し出す時、私たち人間も真理を悟った仏陀となる。

一切の諸仏、何に因ってか覚智の名を得たもうとならば、謂く、一切の色像、悉く高台の明鏡の中に現ずるが如く、如来の心鏡もまた是の如し。円明(えんみょう)の心鏡、高く法界の頂に懸かって寂(じゃく)にして、一切を照らして不倒不謬(ふとうふびゅう)なり。是の如くの円鏡、何れの仏にか有らざらん。故(かるがゆえ)に「円鏡力の故に、実覚智なり」と曰う。

即身成仏の偈頌の要点まとめ

即身成仏の偈頌の要点をわかりやすくまとめてみました。

なお、「心数・心王、刹塵に過ぎたり」と「各五智・無際智を具す」は、先ほどは別々に解説しましたが、ここではわかりやすくするためにまとめて解説しています。

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即身成仏義の中でもまとめて解説されている部分になる。

六大無礙にして常に瑜伽なり 大日如来も人間の身体も六大で構成されている。人間ひとりひとりには大日如来の種が宿っている。人間は本質的に大日如来と同じである。即身。
四種曼荼各離れず 四種の曼荼羅は真実の相(姿)を表す。曼荼羅上には人間も含め宇宙に存在する全てのものが収まっていて、その中央に大日如来が座す。四種の曼荼羅は離れることがない(一体である・繋がっている)。即身。
三密加持して速疾に顕わる 万物は大日如来の現れであり、大日如来の三種類の活動(三密)で成り立っている。私たち人間も三種類の活動(三業)を持っている。人間側の努力(三業)と大日如来の救済の力(三密)が一致した時、大日如来と一体になる。即身。
重重帝網なるを即身と名づく 帝釈天の網の結び目にある無数の宝珠は、どれか1つの宝珠に映り込んだ情報は他の全ての宝珠にも反映される。大日如来と人間の身体も同じような関係である。つまり、大日如来の仏身を我が身に即座に顕現(反映)し、真理を体得することができる。即身。
法然に薩般若を具足して 大日如来は一切の根源(大元)である。大日如来は元々から一切智智(五智)を具えている。それは万物に滞りなく行き届いている。成仏。
心数・心王、刹塵に過ぎたり 全ての人間には心と心の作用が具わっている。ひとつひとつの心と心の作用には一切智智(五智)と際限のない深い智慧が具わっている。人間も含めた全ての存在は一切智智を具えている。成仏。
各五智・無際智を具す
円鏡力の故に実覚智なり 大日如来の心の鏡は一切の現象を正確に映し出す。全てを鏡のように映し出す時、真理を悟った仏陀となる。人間もそうなった時、真理を悟った仏陀となる。成仏。

即身成仏と即身仏の違い

即身仏は苦行の末に自ら土中に埋まり、永遠の瞑想に入り(入定/にゅうじょう)、絶命した後にミイラ化して仏となった僧侶のことです。

即身仏になるための主な修行方法は「木食修行(もくじきしゅぎょう)」と「土中入定(どちゅうにゅうじょう)」の2つです。

木食修行 1,000日~5,000日かけて五穀断ち(米・麦・粟・豆・ヒエなど)をして木の実や山草だけを食べ、腐敗の原因となる脂肪分を落とし、生きている間にミイラに近い状態の肉体に整える。
土中入定 生きたまま土中に設けた石室にこもる。石室は完全に埋められるが竹筒の空気穴がある。その石室の中で断食をしながら鈴を鳴らし、絶命するまでお経を読み続ける。鈴の音が聞こえなくなり、入定したと確認されたら、空気穴である竹筒を抜いて穴をふさぎ、死後3年3ヶ月後に掘り起こして即身仏とする。

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厳密に言えば即身仏とミイラは異なる。ミイラは死体の内臓を抜き、薬剤で防腐処理を施したもの。即身仏は死体の内臓は抜かず、人間の姿形を留めたまま自然乾燥させる。

絶命した後に仏となる即身仏に対し、生きている間に仏となるのが即身成仏です。

わかりやすく言えば、あなた自身が今回の人生で生きている間に仏となるのが即身成仏になります。

空海はこの即身成仏を果たした人物です。

まとめ

空海がよく言う言葉に「悟れば仏、迷えば衆生」があります。真理を悟るものが仏、迷っているものが衆生です。

仏の智慧を求めて悟りの心を覚知したら、現世において速疾に成仏できるといいます。この記事があなたの参考になれば幸いです。

園善博

園 善博|この記事を書いた人

京都出身の速習法インストラクター。経営の神様と呼ばれた松下幸之助など数多くの有名企業が神仏に祈念しているのを見て「目に見えない運気を高めることが成功につながる」と考え、独立してから風水や西洋魔術、神道、真言密教、陰陽道など、多岐に渡るジャンルを先生に師事し、15年以上学ぶ。独自の「速習法」や「勉強法」を公開した書籍は10冊を超え、講師歴12年で10,000名以上の受講生を輩出。→プロフィール詳細へ

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