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天照大御神は日本の最高神|ご利益・役割をわかりやすく解説

天照大御神

天照大御神(あまてらすおほみかみ)は高天原(たかあまはら)を治める太陽神で、皇室の祖神、日本国民の総氏神として崇拝されている神様です。

この記事では、天照大御神のご利益や役割などについてまとめました。ぜひ参考にしてみてください。

天照大御神のご利益

八百萬(やおよろず)の神々の最高位である天照大御神は、あらゆる願い事を叶えてくれる存在です。

主なご利益はこちらです。

  • 国土安泰
  • 開運招福
  • 五穀豊穣
  • 子孫繁栄
  • 健康祈願
  • 所願成就

神名の由来

天照大御神の御神名は、その文字の通り「天に照り輝く光(太陽)の神」を意味しています。

古事記では「天照大御神」の御神名で統一されていますが、日本書紀では「大日孁貴(おおひるめのむち)」「天照大日孁貴尊(あまてらすおおひるめのみこと)」など、 様々な御神名で表記されています。

古事記天照大御神(あまてらすおほみかみ)
日本書紀大日孁貴(おほひるめのむち)
天照大神(あまてらすおおかみ/あまてらすおほみかみ)
天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)
その他大日靈貴神(おほひるめのむちのかみ)
大日女尊(おほひるめのみこと)
大日靈(おほひるめ)
大日女(おほひめ)
伊勢神宮天照皇大御神(あまてらすすめおほみかみ)
神前天照坐皇大御神(あまてらしますすめおほみかみ)
仏教界天照大神(てんしょうだいじん)

天照大御神の誕生

天照大御神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻ってきた時に、筑紫(ちくし/つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)で禊をした際、左目を洗い流した時に生まれました。

日本書紀では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の協力によって天照大神が誕生する。

〈第五段本文〉
伊弉諾尊と伊弉冉尊は「山川草木を生んだが、どうして天下の主者(天下を治めるもの)が生まれないのか」と話し合い、日神を生んだ。名は大日孁貴(おほひるめのむち)という。

他にも次のような記述がある。

〈第五段一書(一)〉
伊弉諾尊が天下を治める子を産もうと左手に白銅の鏡を持った際に大日孁尊が生まれた。

〈第五段一書(六)〉
伊弉諾尊が左目を洗うと天照大神が生まれた。

天照大御神が左目から生まれた後、右目を洗い流した時に月読命(つくよみのみこと)が、鼻を洗い流した時に須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれます。

  • 天照大御神
  • 月読命
  • 須佐之男命

この三柱は伊邪那岐命が「自ら生んだ諸神の中で最も貴い」としたことから、三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ばれています。

三貴子の誕生を大いに喜んだ伊邪那岐命は、首にかけていた玉飾りを天照大御神に授け、高天原(天上界)を治めるよう命じた。そして月読命には夜之食国(よるのおすくに/夜の世界)を、須佐之男命には海原(地上界)を治めるよう命じた。

この時に伊邪那岐命が天照大御神に授けた首飾りは「御倉板挙之神(みくらたなのかみ)」という。その名称から、天照大御神は譲り受けた首飾りを御倉の棚に安置したと考えられている。神聖なものを棚上に安置するという形式から「神棚」の起源ともされている。

三貴子(みはしらのうずのみこ)の「うず」は日神のことを示しています。

そこから考えると、三貴子(みはしらのうずのみこ)は「三柱の日神の御子(みはしらのうずのみこ)」となり、「天照大御神・月読命・須佐之男命は日神である伊邪那岐命の御子である」と捉えることもできます。

天孫人種六千年史の研究
天孫人種六千年史の研究

伊邪那岐命は日神(太陽神)の性質を持っている。

太陽神話には冥府下りの要素があり、例えば北欧神話の光明の神バルドル、メソポタミア神話の太陽神ネルガルは冥府に下っている。インド神話の死者の王ヤマは元々太陽の宮殿に住む天国の主であり、太陽神ヴィヴァスヴァットの子である。

イエスもニコデモの福音書によると、十字架上の死を経た後、冥府へと下り、金色に光り輝きつつ冥府から天に昇る。

伊邪那岐命は黄泉の国に去ってしまった伊邪那美命(いざなみのみこと)を追って黄泉の国に会いに行き、戻ってくる。このように伊邪那岐命も日神の性質を持っていることがわかる。参考 日本神話の新研究

日本神話の新研究
日本神話の新研究

日本書紀では、天照大神(大日孁貴)の次に月夜見尊、次に蛭子(ひるこ)、次に素戔嗚尊の四柱の神が生まれます。

蛭子は三歳になっても足が立たなかったため、天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)に乗せて流されてしまいました。そのため、蛭子以外の三神を三貴子と呼びます。

日本書紀では、天照大神は古事記と同じく天上を治めるよう天に送られるが、月夜見尊も天照大神と共に天を治めるよう天上に送られる。素戔嗚尊は伊弉諾尊と伊弉冉尊によって根の国に追放される。

日本書紀〈第五段本文〉
大日孁貴は体が光り輝いて天地を照らしていた。伊弉諾尊と伊弉冉尊は喜び、「子を沢山作ったが、これほどに霊力の強い子はいない。長くこの国に留めず、早く天に送ろう。」と天照大神を天に上げた。次に月夜見尊が生まれ、月の神は日の神の次に明るかったので、日に添えて天を治めるよう天上に送った。次に蛭子が生まれたが、三歳になっても足が立たなかったので天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)に乗せて風のままに流して捨てた。次に素戔嗚尊が生まれた。素戔嗚尊はとても勇敢ではあったがいつも泣き喚き、そのせいで国民が死に、青い山々は枯れ果ててしまった。そこで伊弉諾尊と伊弉冉尊は、素戔嗚尊を根の国へ追放した。

天照大御神の役割

天照大御神の主な役割は5つです。

①高天原の主宰神

天照大御神は高天原に住み、八百萬神(やおよろずのかみ)を統治しています。

高天原は天津神(あまつかみ)が住んでいる場所のこと。一般的に天上界とされている。

②太陽神

天照大御神は太陽神の神格を持っています。

天岩戸隠れの神話には「天照大御神が再び姿を現すと世界に光が戻った」と、太陽神の神格を持つことが推測できる内容があります。

須佐之男命(すさのおのみこと)が横暴を働いたことにより、天岩戸に天照大御神が隠れてしまう。すると世界が闇に包まれ、様々な禍(わざわい)が発生した。八百萬の神々の手によって天照大御神が再び姿を現すと世界に光が戻る。

日本書紀には「日神」「大日孁貴(おおひるめのむち)」など、太陽神そのものである名称でも表記されています。

大日孁貴の「大」は尊称、「日孁」は日の女神、「貴」は貴い者を表す。日孁の「孁」は「巫」と同義であるため、かつては太陽神に使える巫女だったのではないかという説もある。

天照大御神と共に地上世界に天孫を下ろした造化三神の一柱である高御産巣日神(たかみむすびのかみ)が太陽神であると考える説もある。

山城国風土記(やましろこくふどき)には、水度神社(みとじんじゃ)の祭神として「天照高弥牟須比命(あまてらすたかみむすびのみこと)」の名がある。天照大御神と高御産巣日神は同神だった可能性もある。参考 失われたモーセの大預言「蘇民将来」の謎

失われたモーセの大預言「蘇民将来」の謎
失われたモーセの大預言「蘇民将来」の謎

③農耕神(農業神)

天照大御神は日本の農耕の起源に深く関わっている神様です。

日本書紀には「月夜見尊(つくよみのみこと)に殺されてしまった保食神(うけもちのかみ)の髪や身体から生まれた粟(あわ)や稗(ひえ)、麦、豆、稲を、天照大神が田畑の種として用いて農作を始めた」と記されています。

<日本書紀の五穀起源 第五段一書(十一)>
天照大神に葦原中国(あしはらのなかつくに/高天原と黄泉の国の間にある世界)にいる保食神の様子を見てくるように命じられた月夜見尊は、地上に降りて保食神のもとに出向いた。

保食神が月夜見尊をもてなそうとして首を回し、国(陸)に向くと、口から米飯を吐き出し、海に向くと魚を吐き出し、山に向くと獣を吐き出し、それらを机に並べた。

月夜見は「吐き出したものを食べさせようとはなんと汚らわしい」と怒り、保食神を剣で斬ってしまった。そのことを聞いた天照大神は「あなた(月夜見尊)は悪い神だ、顔も見たくない」と怒り、それ以降昼(太陽)と夜(月)は別々になった。

天照大神は天熊人(あめのくまひと)に地上の様子を見に行かせたが、保食神は死んでいた。死んだ保食神の髪から牛馬、頭から粟、眉から蚕、眼から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれていた。

天熊人がそれらをすべて持ち帰ると天照大神は喜び、「これらのものは地上の民を生かすための食料となる」と言い、粟・稗・麦・豆を畑の種子とし、稲を水田の種子とした。初めて天狭田(あまのさなだ)に稲の種子を植えると、その秋には穂がたくさん実って垂れ下がるほど見事だった。

また、天照大神は蚕を口に含んで糸を抽(ひ)くことができた。これによって養蚕の道が開けた。

同じく日本書紀に「天照大神は孫の天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を地上に降ろす際(天孫降臨)、高天原の齋庭の穂(ゆにわのいなほ)を授けた」とあり、それによって地上でも稲作が始まったとされています。

④機織神

天照大御神は神衣など「神聖な布を作る仕事」を担う機織(きしょく/はたおり)の神でもあります。養蚕の起源に関わっています。

日本書紀の五穀起源神話には「月夜見に殺された保食神の眉に蚕が生まれ、天照大神はそれを口に含んで糸を抽(ひ)くことができ、養蚕の道が開けた」とあります。

また、天照大御神は機織り小屋(須佐之男命が馬の皮を剥いで投げ込んだ小屋)を持っています。古事記では機織女に神衣を織らせていましたが、日本書紀では天照大神(日神)自身が機織りをしていたとされる記述があります。

日本書紀の第七段一書(一)に、稚日女尊(わかひるめ)が齋服殿(いみはたどの/機織り小屋)で神の服を織っていたとあるが、この稚日女尊は天照大神と同一神ではないかと考えられている。

古代、布はとても神聖なもので、布が珍重される日本神話がいくつもある。

⑤皇祖神

天照大御神は皇室の祖とされる神様です。初代天皇である神武天皇は天照大御神の五世孫にあたります。

皇祖神とされる天照大御神は「八百萬の神々の頂点に立つ存在」「日本の総氏神」として日本国民に崇められています。

天皇が田植えをする様子や、皇后が蚕を世話する様子などがメディアでもよく取り上げられるが、天照大御神が農耕や養蚕の起源に関わっていたことから、伝統文化の継承として昭和天皇から稲作が、昭憲皇太后から養蚕が代々引き継がれてきた。

現代でも天皇は毎年初夏に田植えを、秋には稲刈りをされ、皇后は春から初夏にかけて蚕の餌やりや繭の収穫などをされている。

しかし、記録を調べると次のような事がわかることから、天照大御神は本来の皇祖神ではなく、「元々は他の神が皇祖神であった」「高御産巣日神が本来の祖神である」といった説も多々あります。

  • 奈良時代までは天照大御神を宮廷で祀っていない。
  • 宮廷内と深い関係にある神々の祭りを扱った延喜式(えんぎしき)の祝詞にも天照大御神はほとんど出てこない。祈年祭(としごいのまつり)と月次祭(つきなみのまつり)の祝詞に、皇祖神としてではなく、「伊勢にいます神」として出てくるのみ。
  • 伊勢神宮の御神体である八咫鏡(やたのかがみ)が三種の神器の鏡と同一視され、「伊勢の御神」と尊崇されるようになった平安初めまでは特別な祭祀はされていない。
  • 天皇即位後の大嘗祭(だいじょうさい)でも、古くは天照大御神を祀っていたという記載はない。
  • 天照大御神が宮廷で古く祀られていたという証拠は1つもない。
  • 高御産巣日神は宮廷内に古くから祀られていた。
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天照大御神|卑弥呼説

天照大御神は倭国の女王「卑弥呼」と同一人物だという説があります。その根拠として、まず魏志倭人伝の卑弥呼と天照大御神の特徴や境遇に共通する点が多いことが挙げられます。

  • 女性である
  • 生涯夫を持たない
  • 弟がいる
  • 宗教的権威を備えている
  • 一人の男性が身近にいる(天照大御神には高御産巣日神、卑弥呼には言葉を伝えるために出入りしている一人の男)
  • 日の神(太陽神)とされている
  • 大日孁貴の「日孁」は日(太陽)に仕える巫女という意味でもあり、卑弥呼(陽巫女)と符合している
  • 古事記に「倭」の文字がしばしば登場するが、魏志倭人伝で卑弥呼は「倭国の女王」と呼ばれている
  • 大和朝廷の祖先である天照大御神と、邪馬台国の卑弥呼の「やまと」と「やまたい」が類似している

このような共通点と共に次のような点も挙げられています。

天皇の平均在位年数などから推定すると、天照大御神と卑弥呼の生きていた時代がおおよそ重なる。
卑弥呼が没した前後に北部九州で皆既日食が起きた可能性があることがわかり、この皆既日食が天岩戸隠れに相当するという見解がある。
卑弥呼は皆既日食が起きたことにより、魔力が衰えたとして殺されてしまった説がある。卑弥呼の死後、男王が就くが内乱状態になり、卑弥呼の一族である「台与(とよ・いよ)」という13歳の少女が女王となることで国が治まった。
天照大御神が「天岩戸に篭る前と後」で、まるで別人のような性格になっていることから、天岩戸に篭る前(皆既日食が起こる前)が卑弥呼であり、出てきた後(皆既日食が起こった後)が台与であると考える説もある。

卑弥呼を天照大御神と比定する場合、台与は天照大御神の息子である天之忍穗耳命(あめのおしほみみ)の妻である「萬幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)」であると考えられています。

他にも、女帝の推古天皇や持統天皇、元明天皇などが天照大御神のモデルになっているという説もある。

天照大御神|男神説

天照大御神は一般的に女神とされていますが、月読命と同じく記紀に明確な性別の記載はありません。次のように女性的な記述が多いことから女神だと考えられています。

  • 武装をして須佐之男命を待ち受けた時、髪の毛を角髪に結び直したことから、普段は男性の髪型をしていない
  • 機織り部屋の仕事をしている
  • 天岩戸隠れで須佐之男命の横暴を恐れ、天岩戸に身を隠してしまった
  • 日本書紀では素戔嗚尊が天照大神を「姉」と呼んでいる

しかし、天照大御神を男神と考える説も多数存在しています。特に男神説が広まった平安時代後期から江戸時代にかけての文献や中世神話では、天照大御神を男神として描くものが数多く残されています。

<陰陽二元論>
日本書紀では伊弉諾尊を陽神(をかみ)、伊弉冉尊を陰神(めかみ)と呼び、男神を“陽”、女神を“陰”とする陰陽二元論を語る部分がある。陰陽二元論では太陽は“陽”、月は“陰”なので、太陽神である天照大御神は男神でなければならないという説がある。世界各国の太陽神も、ヘーリオスやアポローン、ラーなど男神が多い。
<大日孁貴>
日本書紀では天照大神を「大日孁貴」という名称でも表記している。日孁の“孁”が“巫”と同義であることから、本来大日孁貴は太陽神に使える巫女、もしくは天照大神の妻神だったのではないかと考える説がある。
<江家次第(ごうけしだい)>
平安時代後期の公卿(くぎょう)、大江匡房(おおえのまさふさ)は「江家次第」という有職故実書で、伊勢神宮に奉納する天照大神の装束一式がほとんど男性の衣装だったことを言及している。江戸時代中期の伊勢外宮の神官だった出口延経(でぐちのぶつね/度会延経)はこれを典拠にし、「左経記」の宇佐への女子用装束と比較して「之ヲ見レバ、天照大神ハ実ハ男神ノコト明ラカナリ」と結論付けている。
<円空の彫った天照大御神と鯰絵(なまずえ)>
江戸時代前期の仏師である円空が制作した天照大御神の塑像は男神の姿をしている。また、江戸時代に流行した鯰絵に天照大御神が男神として描かれているものがある。
<京都祇園祭の岩戸山の御神体>
貞観年間より続いている京都の夏の風物詩「祇園祭」の山鉾(やまぼこ)に「岩戸山」がある。この岩戸山には伊弉冉尊、天照大神、手力雄神の三体の御神体が飾られているが、この天照大神の人形は男性の姿をしている。「眉目秀麗の美男子で白蜀江花菱綾織袴で浅沓を穿く。直径十二センチ程の円鏡を頸にかけ笏を持つ。」と岩戸山町で伝えられるとおりの姿をしている。
<天照大御神の武装>
須佐之男命が高天原に訪れた際、天照大御神は男性の髪型である角髪に結び直し、武装して待ち受けたが、戦う時は女も男の格好をするというような古代の風習は他に聞いたことが無い。
<天岩戸>
天岩戸で天宇受賣命(あめのうずめ)が裸体に近い格好で舞い踊るのを覗こうとするのは、天照大御神が男神だったからではないか。他の神々も天照大御神が男神だったからこそ、このような策を練ったのではないかと考える説がある。
<伊勢神宮の斎宮>
日本書紀によると 、崇神天皇の頃から天皇に変わって伊勢神宮(天照大神)に仕える「斎宮(斎王)」が存在したが、斎宮は天皇の娘や妹など未婚の皇族女性でなくてはならないとされていた。このことから伊勢神宮に祀られていた神様は男神だったと考えられる。また、伊勢神宮内宮の本殿真下にある「心の御柱」は、祭神が男神であることを示すものとされている。この心の御柱は男根とも考えられていて、これを祀ることができたのも女性だけだったとされている。
<ホツマツタエ>
記紀の原書であるとも考えられている「ホツマツタエ」では、アマテル(天照大御神)には13人の妻がいたとされている。この13人の妻たちは記紀に一切登場しない。記紀を編纂する際、天照大御神の性別を男性から女性に変える過程で、存在ごと消されたのではないかと考えられている。13人の妻の内、正妻で皇后の瀬織津姫(せおりつひめ)は、神道の祭祀で唱えられる大祓詞に登場し、瀬織津姫を祭神とする神社が日本各地に数多く存在している。ホツマツタエは偽書であると言われているが、記紀の内容が真実であるとも限らない。ちなみに瀬織津姫は天照大神の荒魂とも言われている。

記紀が編纂された7世紀の終わりから8世紀の初め頃は、持統天皇や元明天皇、元正天皇など女性の天皇が多く誕生している。

持統天皇に仕え、日本書紀の編纂に関わった藤原不比等(ふじわらのふひと)が、女性が天皇に即位できるよう、本来は男神だった天照大御神を女神にして、記紀を作り替えたのではないかと言われている。

記紀に天照大御神の明確な性別の記載はないが、日本書紀でのみ、素戔嗚尊が天照大神を「姉」と呼んでいる。

近代では古代研究の著者、折口信夫(おりくちしのぶ)も天照大御神は男神であったと唱えています。

「おほひるめ」の原義は「日女(ひるめ)」ではなく「日妻(ひるめ)」。太陽神の妻ということ。

男神の天照大御神に妻として仕える巫女が「ひるめ」であり、この巫女の姿が祭神の姿に投影し、天照大御神は女性化していった。参考 こんなに面白かった日本神話古代研究

古代研究
古代研究

天照大御神の系譜

天照大御神の父は記紀ともに伊邪那岐命(伊弉諾尊/いざなぎのみこと)、母は古事記では存在せず、日本書紀では伊弉冉尊(いざなみのみこと)となっています。兄弟姉妹は月読命と須佐之男命です。

子は須佐之男命との誓約(うけい)によって産まれた五男三女神のうち、五柱の男神を自分の子としています。(誓約とは古代日本で行われた神聖な占いのこと)

伊邪那岐命(伊弉諾尊)
伊弉冉尊(日本書紀のみ)
兄弟姉妹月読命
須佐之男命
正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)
天之菩卑能命(あめのほひのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
活津日子根命(いくつひこねのみこと)
熊野久須毘命(くまのむすびのみこと)

記紀に月読命の性別についての明確な表記はない。実際の性別は不明だが、一般的に男神とされる。

天照大御神の子とされる五柱の男神のうち、最初に生まれた天之忍穗耳命(あめのおしほみみ)と、高御産巣日神の娘である萬幡豊秋津師比売命(よろづあきはたとよあきつしひめ)との間に生まれた子が、後に天照大御神の神勅を受けて地上に降りた孫である邇邇芸命(ににぎ)。

天照大御神を理解するために読みたい神話

天照大御神を理解するために特に読みたい神話は3つあります。

①天照大御神と須佐之男命の誓約

神代の昔、須佐之男命は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)に海原を治めるように命じられたが、従わずに泣いてばかりいて山・海・川が枯れてしまい、地上世界が荒れた国になってしまった。「なぜ泣いてばかりいるのか」と伊邪那岐命が問いただすと「母である伊邪那美命(いざなみのみこと)がいる根之堅洲國(ねのかたすくに)に行きたい」と懇願した。これに怒った伊邪那岐命は須佐之男命を地上世界から追放する。

追放された須佐之男命は、母のいる根の国に向かうために天照大御神がいる高天原へ昇ると、山や川が轟き、国土が皆揺れ動いた。天照大御神は須佐之男命が高天原を奪いに来たと誤解し、武装して待ち受けて問い詰めた。須佐之男命は「そのような邪心はない。誤解を解くために誓約をして子を生み、証明しよう」と答え、二神は天の安河(あまのやすのかわ)を挟んで誓約(うけい)を始めた。

まずは天照大御神が須佐之男命の持っていた十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取り、噛み砕いて吹き出すと、その息の霧から三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。

・多紀理毘売命(たぎりひめ)またの名を奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)
・市寸島比売命(いちきしまひめ)またの名を狭依毘売命(さよりひめのみこと)
・多岐都比売命(たぎつひめ)

次に須佐之男命が天照大御神の角髪(みずら)や手に巻いていた勾玉を受け取り、噛み砕いて噴出すると、その息の霧から五柱の男神が生まれた。

・左の角髪に巻いていた勾玉から正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)
・右の角髪に巻いていた勾玉から天之菩卑能命(あめのほひのみこと)
・髪飾りの蔓(かずら)に巻いていた勾玉から天津日子根命(あまつひこねのみこと)
・左手に巻いていた勾玉から活津日子根命(いくつひこねのみこと)
・右手に巻いていた勾玉から熊野久須毘命(くまのむすびのみこと)

天照大御神は須佐之男命に「後に生まれた五柱の男神は私の物から成り出でたので私の子、先に生まれた三柱の女神はおまえの物から成り出でたのでおまえの子だ」と告げると、須佐之男命は「私の心が清らかだったから私の生んだ子は女だった」と勝利を宣言し、潔白を証明した。

②天岩戸隠れ

誓約によって潔白を証明した須佐之男命は高天原に居座ると、神聖な田の破壊、神殿に糞を撒き散らす、機を織る建物に皮を剥いだ馬を投げ込み天衣織女(あめのみそおりめ)を死にいたらしめるなど狼藉を繰り返した。その荒々しい粗暴が原因で太陽神である天照大御神は恐れをなし、天岩戸に身を隠してしまう。太陽神が隠れると世の中は真っ暗になり、食べ物は育たず、あらゆるものが病気にかかるなど次々と禍(わざわい)が起こった。

このありさまに八百萬の神々は天の安河に集まり、思金神(おもいかねのかみ)が策を練った。まずは常世の国の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かせた。次に伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に、天の安河の川上にある硬い岩と鉱山の鉄を取り、鍛冶屋の天津麻羅(あまつまら)を探し求めて八咫鏡(やたのかがみ)を作るよう命じた。次に玉祖命(たまのおやのみこと)に命じて大きな勾玉を連ねた玉飾りを作らせた。

次に天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとだまのみこと)を呼び、天の香具山の雄鹿の肩の骨とハハカの木を使って占いをさせた。そして賢木(榊)を根ごと掘り出し、上の枝に玉飾りを、中ほどの枝に八咫鏡を取り付け、下の枝に白と青の幣を垂らし、布刀玉命がこれを捧げ持ち、天児屋命が祝詞を唱え、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が岩戸の脇に隠れ立った。天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神懸かりをして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部にまで押し下げ踊ると、高天原が鳴り轟くほどに八百萬の神々が一斉に笑った。

この騒ぎを怪しんだ天照大御神は天岩戸の扉を少し開け、「私が篭って世界中が闇になっているのに、なぜ天宇受賣命は舞い踊り、八百萬の神々は笑っているのか」と問うと、天宇受賣命が「あなたにも勝る貴い神が現れたので喜んでいるのです」と言い、天児屋命と布刀玉命が鏡を差し出した。天照大御神が鏡を覗き込もうと天岩戸から少し出てきたところを天手力男神が手を取って引きずり出した。すぐさま布刀玉命が天岩戸の入り口に注連縄(しめなわ)を張り、「もうこれより中には入らないでください」と言った。

高天原の神々が協力したことで天照大御神が再び姿を現し、太陽の光が戻って平和な世界に戻る。騒動の原因を作った須佐之男命は千の台を満たすほどの供物を差し出す罰を科され、髭(ひげ)と手足の爪も抜かれて高天原を追放された。

③天孫降臨

天照大御神と高御産巣日神は平定した葦原中国(あしはらのなかつくに/地上)に天照大御神の子である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を降すことにする。天忍穂耳命は高御産巣日神の娘である萬幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)との間にできた子の邇邇芸命(ににぎのみこと)を自分の代わりに降すように言うと、天照大御神と高御産巣日神は了承し、邇邇芸命を地上の統治者に指名した。

邇邇芸命が天降りをしようとすると、天の八衢(あまのやちまた/分かれ道が多くて迷いやすいところ)に、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす神が現れた。邇邇芸命に随行していた天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が素性を聞くように命じられて名前を聞くと、その神は国津神(地上の神)の猿田毘古神(さるたびこのかみ)で、地上までの道案内を申し出た。

天照大御神は邇邇芸命に天児屋命(あめのこやねのみこと)、布刀玉命(ふとだまのみこと)、天宇受売命、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)、玉屋命(たまのやのみこと)の五伴緒(いつとものお)を従わせ、さらに八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三種の神器と思金神(おもいかねのかみ)、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)、天石門別神(あまのいわとわけのかみ)を副え、「この鏡を私の御霊として斎(いつ)き祀りなさい。思金神は神前のことを取り扱い、政(まつりごと)をしなさい」と告げた。

邇邇芸命一行は雲を押し分けて進み、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に降り立つと、そこには天忍日命(あめのおしひのみこと)と天津久米命(あまつくめのみこと)らが到着を待っていた。邇邇芸命は「この地は韓国(からくに)に向かい、笠沙(かささ)の御前を真来(まき)通りて、朝日がよく射し、夕日が明るく照る国だ。ここはとても良い土地である。」と話し、そこに大きな宮殿を作って暮らすことにした。

天照大御神が祀られている有名な神社

天照大御神を主祭神とする神社を神明神社(しんめいじんじゃ)と言います。総本社は伊勢神宮内宮です。

神社本庁によると日本全国に神明神社は約5,000社ある。神社本庁に属さない神社も含めると18,000社あるとも言われている。

天照大御神を祀る代表的な神社をご紹介します。

①伊勢神宮内宮(皇大神宮)

伊勢神宮内宮(皇大神宮/こうたいじんぐう)は神明神社の総本社。約2,000年の歴史を持つ。三種の神器の1つである八咫鏡が御神体。

皇大神宮内宮
【住所】三重県伊勢市宇治館町1

②元伊勢籠神社・真名井神社

元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)は伊勢神宮内宮の元宮、外宮の元宮という意味で元伊勢と呼ばれる神社。真名井神社は籠神社の奥宮。

社伝によると、神代と呼ばれるはるか昔から奥宮真名井原(現在の奥宮真名井神社)に豊受大神(とようけおおかみ)を祀っている。

崇神天皇の御代(紀元前59年)に天照大神が大和国笠縫邑(かさぬいむら)から遷り、吉佐宮(よさのみや)という宮号で4年間一緒に祀り、天照大神は11代垂任天皇の御代に、豊受大神は21代雄略天皇の御代に伊勢に遷る。それにより籠神社は元伊勢と呼ばれている。

両大神が伊勢に遷った後、養老3年(719年)に奥宮真名井神社から今の籠神社の地に本宮を遷し、社名を吉佐宮から籠宮(このみや)と改めた。

籠神社の本殿は伊勢神宮と同様の神明造り(日本最古の神社建築様式)で五色(青、黄、赤、白、黒)の座玉(すえたま)を見ることができる。伊勢神宮御正殿と籠神社以外で拝見することはできない。

籠神社
【住所】京都府宮津市字大垣430

■真名井神社
【住所】京都府宮津市字中野

③元伊勢内宮皇大神社

元伊勢内宮皇大神社(こうたいじんじゃ)は伊勢神宮内宮の元宮という意味で元伊勢と呼ばれる神社。元伊勢内宮、元伊勢皇大神宮とも呼ばれる。

天照大御神は古く宮中で祀られていたが、崇神天皇の御代(紀元前59年)に永遠に祀る聖地を求め、それまで祀られていた倭笠縫邑(現奈良県桜井市三輪)を出て、各地を転々とした。伊勢神宮に鎮座するまでに訪れた一時遷座地を元伊勢という。

大本教の開祖である出口なおと出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)が元伊勢として尊崇していた神社でもある。

元伊勢内宮 皇大神社
【住所】京都府福知山市大江町内宮字宮山217

 まとめ

天照大御神は日本で1番有名な神様と言っても過言ではありません。お伝えした内容があなたの参考になれば幸いです。

園善博

園 善博|この記事を書いた人

京都出身の速習法インストラクター。経営の神様と呼ばれた松下幸之助など数多くの有名企業が神仏に祈念しているのを見て「目に見えない運気を高めることが成功につながる」と考え、独立してから風水や西洋魔術、神道、真言密教、陰陽道など、多岐に渡るジャンルを先生に師事し、15年以上学ぶ。独自の「速習法」や「勉強法」を公開した書籍は10冊を超え、講師歴12年で10,000名以上の受講生を輩出。→プロフィール詳細へ

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