江戸城の裏鬼門(南西)を守る場所にある東京赤坂の日枝神社(ひえじんじゃ)は日本の中心を守護する神社です。
八百万の神が宿っている鎮守の森は「八百万の神が集まる高天ヶ原」と言っても良いほどの聖域です。
もともと日枝とは比叡(ひえい)のことで、日枝神社には滋賀県と京都府にまたがる比叡山(日枝山)の麓に鎮座する「滋賀県の日吉大社の御分霊」が祀られています。
日吉大社は京の都を守る鬼門(北東)の位置にあることから、日枝神社に祀られている神様は昔から国家を守護する重要な存在であることがわかります。
この記事では、日枝神社ならではの魅力やご利益、必ず手にしたい授与品、おすすめの参拝順路と参拝方法などをまとめました。
日枝神社は日本の政治経済の中心地に位置することから、仕事運や出世運を願う多くの政治家や経営者の方も参拝しに訪れています。ぜひ一度足を運んでみてください。
*授与品の金額はお受けした当時の金額です。
日枝神社のご利益
日枝神社の御神徳はこちらです。
- 厄除け
- 商売繁盛
- 社運隆昌
- 縁結び
- 安産
日枝神社の御祭神は山と水を司る大山咋神(おおやまくいのかみ)です。
大山咋神の諸産業繁栄の御力であらゆる願い事の成長発展や産業万般の生成化育を守護してくれます。厄除けや商売繁盛が目的の経営者の方に特におすすめです。
日枝神社で必ず手にしたい授与品
日枝神社で必ず手にしたい授与品は2つあります。
①肌守(厄除開運)
厄除開運の肌守は日枝大神の御神徳により厄が祓われ運が開くお守りです。
あらゆる願い事の成長発展が期待できるので、いつも持ち歩く鞄やバックに入れておくのがおすすめです。
厄除開運の肌守は1体500円でお受けできます。
②まさるの守土鈴
申年生まれの方にはまさるの守土鈴がおすすめです。
日枝大神の使いと言われる夫婦猿は古くから「魔が去る・何事にも勝る」ことから、魔除けや勝負運のご利益があるとされています。(初穂料1体2,000円)
猿は申年生まれの方を一生守り育ててくれる存在です。 夫婦猿の置物に「守ってくれてありがとう」と言って自分の部屋に置けば、あなたに訪れる不幸を遮断し、あらゆる幸せを引き寄せてくれます。
詳しくはこちら↓でご紹介しています。
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女猿が愛児を抱いている姿は三猿円満の教えを象徴しているので、夫婦円満や子孫繁栄を望む方にもおすすめです。
日枝神社ならではの魅力
日枝神社ならではの魅力は4つです。
①夫婦猿像
日枝神社の境内には狛犬ではなく神猿像が建っています。
本殿左側には愛児を抱いた雌猿像が、
本殿右側には雄猿像が建っていて、
神門の両脇にも夫婦猿がいます。
日枝神社の神使である夫婦猿はあらゆる厄を祓って守護してくれるだけでなく、夫婦円満や子育て、子供の成長も守護してくれます。
- 猿はたくさん子供を産むので子宝に恵まれる
- お産が軽い動物なので安産になる
と、子孫繁栄や安産を祈願する方も多いです。
日枝神社では「厄除、魔除、夫婦円満などを願い撫でながら一心に祈ると良い」とされているので、参拝する際は夫婦猿にもご挨拶しましょう。
ちなみに、神猿と縁深い山王総本宮 日吉大社では、猿は干支で「申」、「示す偏」を加えると「神」という文字になることから、神威を示すのにうってつけの存在であると言われています。
②山王鳥居
日枝神社の鳥居は独特で上部に三角形の屋根が乗ったような形をしていますが、この鳥居を山王鳥居と呼びます。
合掌しているように見えることから合掌鳥居とも呼びますが、これは仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表し、山王信仰として滋賀県の日吉大社の御分霊を祀っている神社であることを象徴しています。
そのため、古くから日枝神社は日吉山王社、日吉山王大権現社、江戸山王大権現と呼ばれ、一般的には山王さんの愛称で親しまれています。
山王信仰とは
伝教大師最澄が比叡山(日枝山)に天台宗を開いた時、最澄が天台教学を学んだ唐の天台山国清寺の守護神「山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)」にちなんで、比叡山の日吉大神を「山王権現(さんのうごんげん)」と称したことが始まり。神仏習合の信仰。
日枝神社にはこの独特な山王鳥居が3カ所建っています。
先ほどの鳥居が山王男坂(表参道)にある1つ目の山王鳥居です。表参道から境内に向かいたい方は山王男坂の山王鳥居をくぐって本殿へ向かいましょう。
こちら↓が2つ目の西側入口にある山王鳥居です。赤坂見附駅から近い場所にあります。
日枝神社ではここにだけ狛犬が建っています。右側が口を開けている狛犬(阿像)で、
左側が口を閉じている狛犬(吽像)です。
西側入口の山王鳥居は右側の西参道から行くことができます。この階段を登ると社務所の方に出ます。
こちら↓が3つ目の外堀通り側の山王鳥居です。
階段脇にはエスカレーターがあるので年配の方や妊婦さんはこの鳥居をくぐるのがおすすめです。
日枝神社の3つの山王鳥居がある場所をまとめてみました。
③宝物殿
日枝神社の手水舎の隣には宝物殿があります。1978年(昭和53年)に江戸城内御鎮座500年を記念して造営されました。
宝物殿には徳川歴代将軍が奉納した太刀などの国宝や重要文化財が収蔵されています。
徳川将軍家ゆかりの重文や朱印状などの宝物が数多く奉納されていることから、日枝神社は将軍家の崇敬社であったことが分かります。
こちらは1648年(慶安元年)に第三代・徳川家光公の第5子鶴松のお宮参り時に奉納された太刀です。
1760年(宝暦10年)に第十代・徳川家治公が征夷大将軍任命の儀式の際に奉納された太刀も収蔵されています。
火曜日と金曜日を除き、10:00~16:00の間は歴史深い宝物を見ることができます。ぜひ開館時間に立ち寄ってみてください。(拝観料は無料)
【開館時間】10:00~16:00
【休館日】火曜日 金曜日 *神社行事により休館日が変更になる場合あり
【拝観料】無料
ちなみに宝物殿の右側にはさざれ石もあります。岐阜県揖斐郡春日村の山中から発掘されたもので崇敬者から奉納されています。
④江戸三大祭りの1つ山王祭
出典 日枝神社
日枝神社では毎年6月に山王祭が一週間に渡って執り行われます。
江戸三大祭りの筆頭として知られる山王祭は260年以上続く歴史深いお祭りで、徳川時代には江戸城内に神輿が入り、それを歴代将軍が上覧拝礼する天下祭として盛りあがっていました。
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山王祭の起源は1613年(慶長18年)に南傳馬町(現京橋)の名主 高野新右衛門が江戸城大手門に天王神輿を持参し、奉納したことが始まり。江戸一帯の地主神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒ぶる神威を借りて疫病退散を祈願する目的もあった。
山王祭では江戸時代の伝統芸能の邦楽やお茶、お花など様々な行事もありますが、特に鳳輦(ほうれん)2基、神輿(みこし)1基、山車(だし)5基が総代役員や氏子青年の奉仕によって東京都心を巡る神幸祭は壮大です。
それを追う300メートルの祭礼行列は江戸三大祭りの見所の1つで多くの方で賑わっています。
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鳳輦(ほうれん)とは屋根の上に金色の鳳凰の飾りをつけた乗り物で、昔から天皇の移動で使われていた。神輿(みこし)はお祭の際に神社に祀る神霊を乗せる輿(こし)のこと。山車(だし)とは祭礼の時に飾り物をして大太鼓を積んで引き出す車のことで、一般的にはだんじりとも言われる。
江戸時代には魔除けを祈願するお祭りの観衆者から、神輿に向けておひねり(お賽銭)を投げる江戸前の風習があり、現在でもおひねりを受けるための装飾が神輿の屋根に付いています。
普段は神輿などを見ることはできませんが、6月の山王祭の時に山王稲荷神社の隣にある鳳輦、神輿、山車を収蔵する氏子御輿庫で観覧できます。
日枝神社とは
日枝神社は東京都千代田区永田町2丁目ある神社です。
徳川家康の江戸入府後から江戸城の鎮守神として徳川家に崇敬され、明治維新後は皇居の守護神として日本の中枢や皇城を守護しています。
終戦と共に近代社格制度は廃止されましたが、大正天皇御即位にあたり最上位の官幣大社(かんぺいたいしゃ)に昇格した格式の高い神社でもあります。
近代社格制度とは
明治維新以降、平安時代の延喜式にならって新たに神社を等級化した制度のこと。延喜式神名帳にある官幣社(朝廷が運営)と国幣社(国司が運営)を大中小の3つに分けたほか、国家に貢献した人物を祀る神社のために別格官幣社も設置した。官幣社は国幣社よりも格上とされ、大中小の順に格が下がる。社格の序列は「官幣大社>官幣中社>官幣小社>別格官幣社>国幣大社>国幣中社>国幣小社」とされているが、「官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社」という説もある。
日枝神社の御祭神
日枝神社の御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)で、相殿には次の神様が祀られています。
- 国常立神(くにのとこたちのかみ)
- 伊弉冉神(いざなみのかみ)
- 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)
大山咋神(おおやまくいのかみ)とは
大山咋神(おおやまくいのかみ)は山と水を司る神様です。咋(くい)は主や杭のことで、大山の主(地主神)・大山に杭を打つ神(山の鎮護神)を意味し、全国の日吉、日枝、松尾、山王神社などで祀られています。
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古事記では須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)の間に生まれた大年神(おおとしのかみ)の御子神。
大山咋神は丹塗り矢に化身する神霊としても知られていて、古事記には「大山咋神またの名は山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)。此の神は近淡海国の日枝山(後の比叡山)に坐し、また葛野の松尾に坐して鳴鏑(なりかぶら)を用ふる神なり。」とあります。
丹塗りは古来より魔除けや神性を表し、鳴鏑(なりかぶら)とは矢の先につける鏃(やじり)のことです。野菜のカブ(かぶら)の形をしていて、矢を放つと大きな音を発して飛ぶことから鳴鏑と言います。
山城国風土記逸文の賀茂縁起には、大山咋神が丹塗り矢に化身して玉依日売(たまよりひめ)のもとを訪れ、結婚して賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を生んだ丹塗矢伝説があります。
山城国風土記 丹塗矢の説話
大山咋神が山に狩りに出かけた時、獲物に向けて放った矢が外れ、小川に落ちて流れてしまう。下流で禊をしていた玉依日売(たまよりひめ)がその矢を拾い、美しい丹塗りの矢だったので寝所に飾ることにした。いつも眺めているといつの間にか身籠り、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を生んだ。玉依日売の父神 賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)は子の誕生を祝い、七日七夜にわたって祝宴を開いた。その際、賀茂建角身命は可茂別雷命に「父と思う神に神酒を注ぐように」と命じる。言われるがまま盃を持ちあげ天に祈った可茂別雷命は、雷鳴がとどろく天に引きあげられた。天へと引き上げたのが父の大山咋神。
国常立神(くにのとこたちのかみ)とは
国常立神(くにのとこたちのかみ)は古事記では神代七世の最初の神様です。別天津神(ことあまつかみ)の天之常立神(あめのとこたちのかみ)の次に現れました。
日本書紀では国常立尊(くにのとこたちのみこと)といい、天地開闢(てんちかいびゃく)の時に出現した最初の神様です。
天地開闢(てんちかいびゃく)とは
世界が初めて生まれたときのこと。世界の始まり。
混沌とした宇宙に天ができて地が固まったとき、その天と地の間に葦(あし)の芽のような形をして現れたことから、国土形成・万物育成発育の神様として崇敬されています。
伊弉冉神(いざなみのかみ)とは
伊弉冉神(いざなみのかみ)は伊弉諾神(いざなぎのかみ)と共に国生み・神生みをした神様です。
また、伊弉冉神は神様でありながら最初に死を体験した神でもあります。それによって死の世界が始まりました。
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伊弉冉神(いざなみのかみ)は様々な神を生み出すが、火の神「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」を生んだために亡くなり、黄泉の国に去ってしまう。伊弉諾神は妻を追って黄泉の国に会いにいくが、妻の腐敗した姿(死体)を見て逃げ出してしまう。激怒した伊弉冉神は逃げる夫を追いかけるが、現世とあの世の境界線にある黄泉比良坂(よもつひらさか)で伊弉諾神が巨大な岩で道を塞いだ。伊弉冉神は「あなたの住む国の人々を1日に1000人殺すことにする」と言い放ち、伊弉諾神は「私は1日に1500の産屋を建てよう」と返した。これによって2人は離縁した。
足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)とは
足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)は日本武尊(やまとたけるのみこと)と両道入姫命(ふたじのいりびめのみこと)の間に生まれた第14代仲哀天皇です。
穴門の豊浦宮(現山口県下関の地)と筑紫の訶志比宮(現福岡県福岡の地)で天下を治めました。
即位後に妻に迎えた息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと / 後の神功皇后)との間には、第15代応神天皇(おうじんてんのう)となる品陀和気命(ほむだわけのみこと)を得ています。
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息長帯比売命よりも前に妃としていた大江王の娘「大中津比売命(おおなかつひめのみこと)」の間には、麛坂皇子(かごさかのみこ)と忍熊皇子(おしくまのみこ)を得ている。
また、足仲彦尊(仲哀天皇)は神託を信じず、神の怒りを買って亡くなった天皇でもあります。
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仲哀天皇は九州の熊襲(くまそ)を討伐するため、神功皇后に神がかりをさせて神託を得ることにした。仲哀天皇は琴を弾き、建内宿禰(たけのうちのすくね)は御神託を授かるために待機していると神功皇后が神がかり、「西の方に国がある。金銀をはじめとして、目もくらむような種々の珍しい宝物がたくさんある。その国をそなたのものにしてあげよう。」と神の言葉を発した。それを聞いた仲哀天皇は「高い所に登って西を見たけど国土は見えず、ただ大海原があるだけだ。」と言い、嘘を付く神だと思って琴を弾くのをやめてしまった。神はひどく怒って「熊襲の天下は汝が統治すべき国ではない。汝はどこか一道に向かえ。」と言ったので、建内宿禰は仲哀天皇に琴を弾き続けるように勧めた。仲哀天皇は渋々琴を弾き始めたが、しばらくすると琴の音が聞こえなくなった。灯りをつけると天皇は亡くなっていた。
日枝神社の歴史
日枝神社は武蔵野開拓の祖神や江戸の守護神として、江戸氏が山王宮(比叡山日吉大社)の神様の御分霊を祀り、さらに1478年(文明10年)に太田道灌が江戸城築城の鎮護の神として川越山王社の神様の御分霊を祀ったのが始まりです。
現在の赤坂日枝神社は、文明10年(1478)に太田道灌が江戸の地に城を築くに当たってここから江戸城内紅葉山に分祀したことにはじまります。出典 川越大師 喜多院
1590年(天正18年)、豊臣秀吉の命により徳川家康が三河から関東に領地替えとなり、江戸城を本拠として入封(にゅうほう)した際、江戸城の鎮守、徳川家の産神として江戸城内の紅葉山に新社殿を造営して祀りました。
入封(にゅうほう)とは
大名が与えられた領地に入ること
1604年(慶長9年)、徳川幕府第二代将軍 徳川秀忠が江戸城の大改造を行なった時には、社地を江戸城外(麹町隼町)に定めて遷座し、一般市民も参拝できるようになります。
しかし、1657年(明暦3年)に起こった明暦の大火により社殿を焼失してしまったため、第四代将軍 徳川家綱が赤坂の松平忠房(まつだいらただふさ)の邸地を社地にあて、江戸城の裏鬼門(南西)を守る役割もある現在の場所に遷座しました。ちなみに鬼門(北東)は江戸総鎮守の神田明神が守っています。
江戸幕府が開かれると、当社は幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬をお受けになられました。出典 神田明神
この時に造営した権現造の社殿は江戸初期の代表的建物として国宝に指定されていましたが、1945年(昭和20年)の戦争被害(東京大空襲)で焼失し、1958年(昭和33年)に再建されました。
1958年以降、氏子崇敬者の奉仕により大事業が企画され、神門、廻廊、参集殿が造営、さらに末社や神庫校倉の改造が行われて今に至ります。
日枝神社のおすすめの順路と参拝方法
日枝神社のおすすめの順路と参拝方法をご紹介します。
①山王鳥居をくぐる
表参道の山王男坂の山王鳥居をくぐります。
②手水舎で身を清める
山王男坂を登ると左手に手水舎があるので身を清めます。
③神門を通る
神門を通って本殿に向かいます。
神門には可愛らしいハート型の扉の装飾がありますが、これは「猪の目(いのめ)」と呼ばれる形で魔除けのために使われています。賽銭箱や他の建物にも使われているのでぜひ境内をチェックしてみてください。
④本殿で参拝
本殿には御祭神の大山咋神(おおやまくいのかみ)、相殿には次の3柱が祀られています。
- 国常立神(くにのとこたちのかみ)
- 伊弉冉神(いざなみのかみ)
- 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)
相殿(あいどの)とは
同じ社殿に二柱以上の神様を祀ること
ちなみに本殿手前の銅製燈籠は千代田区指定有形文化財で、1659年4月(万治2年)に徳川家が奉納した大変貴重なものです。燈籠の竿部分には「金燈籠両基・日吉山王大権現賽前・万治弐己祀四月晦日・御佛具師銅意法橋・同子渡辺近江大掾源正次」と印刻されています。
本殿で参拝したら授与所で授与品を頂きましょう。御朱印は神門の方にある御朱印所で頂けます。
御朱印を頂いたら参拝記念で木札のストラップが付いてきました。
⑤山王稲荷神社で参拝
神門を出て左へ行くと古文書倉庫や車祓所が見えます。その隣が山王稲荷神社です。
山王稲荷神社は日枝神社が今の地に創建される前から建っていたお社です。「商売繁盛や社運隆昌などあらゆる願望に応えてくれる」と多くの崇敬者が訪れます。
なお、山王稲荷神社は猿田彦神社、八坂神社、山王稲荷神社の3社の総称です。猿田彦神社と八坂神社が相殿になっているので、山王稲荷神社には2つのお社が建っています。
鳥居をくぐった左側が山王稲荷神社です。
商売繁盛で有名な山王稲荷神社には宇氣母智神(うけもちのかみ)が祀られています。
宇氣母智神は食物や五穀豊穣を司る神様で、商売繁盛・産業興隆などの御神徳があります。日枝神社では山王稲荷大神(さんのういなりおおかみ)と呼ばれています。
元々山王稲荷神社は永田馬場星ヶ岡(現 永田町)の地主神(邸内鎮守の神)として、福知山城主の松平主殿頭忠房の邸地に祀られていました。1657年(明暦3年)の大火で焼失しますが、1659年(万治2年)に日枝神社社殿の造営に合わせて稲荷社も造営されています。
今まで火事、地震、戦時下の空襲などで日枝神社境内の建造物は被害を受けて建替えられていますが、これらを免れて唯一残ったのが稲荷社本殿です。防火防災守護の神様としても奉られています。
山王稲荷神社には稲荷神の使いの狐の置物がたくさん奉納されていますが、初穂料900円で狐の置物に願い事を書いて奉納できます。
また、山王稲荷神社の左側にはこれまで祈願された企業や崇敬者から奉納された約90基の赤い鳥居(お稲荷さんで有名な千本鳥居)が立ち並んでいます。こちらも見所の1つです。
鳥居を奉納する習わしは江戸時代に始まったとされていて、鳥居には「願い事が通る・通った」という意味が込められています。
山王稲荷神社の右側にあるのは猿田彦神社と八坂神社のお社です。
猿田彦神社は1659年(万治2年)の創建で猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)が祀られています。
猿田彦大神は最善の道に導いてくれる道開きの神様であらゆる現世御利益を引き寄せてくれます。
60日に一度訪れる庚申(かのえさる・こうしん)の日には道開き参拝ができます。庚申の日限定の開運みくじ(初穂料1,000円)や猿田彦神社の御朱印(初穂料500円)が頂けるので、タイミングが合う方は庚申の日に参拝するのがおすすめです。
庚申の日には20組限定で行われる特別祈祷(初穂料1万円)も受けられますが、毎回予約で埋まるので当日の申込は難しいとのことでした。特別祈祷を受けたい方は早めに「庚申の日特別祈祷申込用紙」に記入してFAXしましょう。
【祈祷開始時間】午前10時30分・午後12時
【FAX】03-3581-2077
【お問い合わせ】03-3581-2471
八坂神社の御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。1886年(明治19年)、元々建っていた猿田彦神社に京都八坂神社の素戔嗚尊の御分霊が相殿神として祀られました。
素戔嗚尊は日枝神社の御祭神である大山咋神の祖父神にあたり、八岐大蛇を退治した神様です。厄除け・風水害除け・病気除けの御神徳があります。
毎年6月の八坂神社例祭には限定の御朱印を頂くことができるので、珍しい御朱印を集めている方はぜひ八坂神社例祭も足を運んでみてください。
これで日枝神社の参拝は完了です。
日枝神社のアクセスマップ
■日枝神社
【住所】東京都千代田区永田町2丁目10番5号
【アクセス】・地下鉄千代田線 赤坂駅(出口2)徒歩3分
・地下鉄南北線、銀座線 溜池山王駅(出口7)徒歩3分
・地下鉄千代田線 国会議事堂前駅(出口5)徒歩5分
・地下鉄銀座線、丸の内線 赤坂見附駅(出口11)徒歩8分
・首都高速霞ヶ関インターより5分
【駐車場】・社務所前の参拝者専用駐車場 無料(約15台)
・山王男坂の隣の駐車場(参拝者や結納式関係者の駐車場) 最初の60分まで600円、以後30分ごとに350円(約60台)
まとめ
日本の中枢を守る日枝神社には政治家やビジネスマンなど、老若男女問わず多くの参拝者が訪れます。ぜひ一度参拝してみてください。