神社仏閣

宝くじの高額当選者が続出の聖神社!銭神様のご利益で大金運を引き寄せる

2019年9月17日

聖神社
  • 宝くじで高額当選したい
  • お金がもっと欲しい
  • ビジネスで成功したい

なら、埼玉県秩父市にある聖神社(ひじりじんじゃ)がおすすめです。

事実、宝くじの高額当選者が続出している神社なので、大金運を引き寄せたいなら参拝必須です。

この記事では、聖神社のご利益や必ず手にしたい授与品、おすすめの参拝方法などをまとめました。

特に銭神様の和同開珎(わどうかいちん)は金運アップのために絶対手にして頂きたい授与品なので、ぜひ一度聖神社に参拝してみてください。

*授与品の金額はお受けした当時の金額です。

聖神社のご利益

聖神社

埼玉県秩父市にある聖神社は日本最初の通貨である和同開珎ゆかりの神社であることから「銭神様」とも呼ばれているお金儲けの縁起の神様です。

宝くじの高額当選者が続出していることから、宝くじ祈願やビジネス開運祈願のご祈願も受けることができます。(要予約)

聖神社で必ず手にしたい授与品

聖神社で必ず手にしたい授与品は3つあります。

①銭神様の和同開珎

銭神様の和同開珎

銭神様の和同開珎

聖神社で絶対に手にして頂きたいのは大金運を引き寄せる銭神様の和同開珎です。

和同開珎の形は外側の丸が天を、内側の四角が地を表しています。

銭神様の和同開珎

銭神様の和同開珎

天地を表したこの古銭の形はそれだけでも強力にお金を引き寄せますが、それにプラスしてこの世のことをすべて知っている神様のエネルギーが封入されています。その唯一無二の金運上昇効果は絶大です。

裏にも「この銭神様をお守りとして身につけていればお金に不自由することがない」と書かれています。

銭神様の和同開珎の裏面

銭神様の和同開珎の裏面

大きさはキャッシュカードよりも小さいので、お財布に入れて普段から持ち歩くようにしてください。

銭神様の和同開珎は1体500円でお受けできます。本殿の前で授与品をお受けできるので、ぜひ手にして来てください。

②招財進寶のカード型お守り

聖神社の招財進寶のカード型お守り

聖神社の招財進寶のカード型お守り

聖神社の御神宝である雌雄一対のムカデが描かれた招財進寶(しょうざいしんぽう)のカード型お守りです。

ムカデは足がたくさんあるのでお金に困らないと言われていて、招財進寶は財宝を招くという意味です。

1体300円でお受けできます。こちらもお財布に入る大きさなので、銭神様の和同開珎と一緒にお財布に入れておきましょう。

③金運守

聖神社の金運守

聖神社の金運守

聖神社には黄色の金運守があります。1体500円でお受けできるので、普段持ち歩くバッグやかばんに付けることをおすすめします。

聖神社ならではの魅力

聖神社ならではの魅力は4つあります。

①御神宝

聖神社の御神宝は「元明天皇から授かった雌雄一対の和銅製蜈蚣(むかで)」と「和銅石2個(採掘時は13個)」です。宝物殿で奉安されています。

画像出典 秩父市 和銅保勝会

元明天皇御下賜銅製蜈蚣(雄)

元明天皇御下賜銅製蜈蚣(雄)

元明天皇御下賜銅製蜈蚣(雌)

元明天皇御下賜銅製蜈蚣(雌)

和銅石(大)

和銅石(大)

和銅石(小)

和銅石(小)

和銅元年(708年)朝廷は和銅が発見された和銅山前の祝山に、これらの御神宝を御神体として神籬(ひもろぎ)を設けて祝典を行いました。聖神社で和銅製蜈蚣は守り神・ご眷属(使い)になります。

神籬(ひもろぎ)とは

神道において神が天から降り立つ(迎える)聖地に設ける祭場。依り代となる祭壇のこと。

蜈蚣(むかで)は百足とも書き、「おあしには困らない」という意味を持つことから、祝典の際に朝廷は文武百官(たくさんの役人)を遣わすべきところを百足に代え、参列させてお祀りしています。

それ以来、黒谷の鎮守神として1300年の長い歳月「この上なく耳聡く口すべらかな神(何を言ってもその事をよく理解してくれて、人の心に染み入る言葉をかけてくれる)」として崇拝されてきました。

元明天皇の時代(661年〜721年)以降、百足が大量に繁殖するように鉱業も長く栄えることを願い、黒谷の氏子から大事にされてきています。(銅の採掘穴は百足穴と呼ばれるようになる)

②和同開珎

本殿右側には和同開珎(わどうかいちん)のモニュメントがあります。和同開珎は日本で最初の流通貨幣です。

聖神社の本殿右横にある和同開珎

聖神社の本殿右横にある和同開珎

和同開珎は唐の開元通宝(621年発行)をお手本にして作られ、名前は天地和同・万物和同など唐の古語に基づく「やわらぎ、なごやかに集う」という意味に由来しています。

和銅の献上をきっかけに皇朝十二銭の最初の貨幣である和同開珎が発行されましたが、元号を慶雲から和銅に変えたほど元明天皇は大いに喜んだそうです。

③和銅採掘遺跡

聖神社から徒歩12分ほどの場所に和銅採掘遺跡があり、ここにも高さ5mの巨大な和同開珎のモニュメントが建っています。

近くに流れる小川は銅洗堀(どうせんぼり)と呼ばれ、昔はこの小川で採れた銅を綺麗に洗い、都へと送られていたそうです。今ではこの小川でお金を洗うと御利益があると言われ、お金を洗い浄める人が年々増えています。

小川に架かる橋を渡って和銅山の見学道に沿って進むと、100mを超す二条の断層面があります。これが当時からの露天掘りの跡で、近くには和銅開寶之古跡の石碑も建っています。

諸説ありますが、聖神社では和銅を最初に発見した場所とも伝えられ、この黒谷の土地が有力な一拠点を示す象徴となっています。

④和銅鉱物館

聖神社境内に建っている和銅鉱物館には、日本全土各国で収集された鉱石類350点ほどが展示されています。

和銅鉱物館では古墳時代から飛鳥時代(七世紀頃)の古代遺物も観覧できます。特に明治41年(1908年)大野原古墳群の小円墳から出土した蕨手刀(わらびてのとう)は時代の特徴を備えた優品です。(日本刀の起源の刀)

画像出典 秩父市 和銅保勝会

和銅鉱物館

和銅鉱物館

蕨手刀(わらびてのとう)

蕨手刀(わらびてのとう)

また、黒谷の獅子舞で使われる獅子頭の原型も所蔵されています。左甚五郎(江戸時代初期の伝説的彫刻職人)がこの地に立寄り、竜頭を刻んで奉納したものと伝わっています。元禄年間(1688〜1704年)各地に獅子舞が流行した時、この龍頭を模したそうなので約300年以上前の歴史物です。

聖神社とは

聖神社は別名「銭神さま」とも呼ばれる金運に御利益がある歴史深い神社です。

聖神社の聖は「日知り」で、太陽の光が世界の隅々まで照らすように、この世のことをすべて知っている神様がいるという意味でもあります。

聖神社の御祭神

聖神社の御祭神はこちらです。

  • 金山彦命(かなやまひこのみこと)
  • 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
  • 大日孁貴尊(おおひるめむちのみこと)(天照大神)
  • 神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)
  • 元明金命(げんみょうかがねのみこと)(元明天皇)

金山彦命は鉱山の神様で、鉱山資源や加工技術、金物の守護神として広く信仰されています。

金山彦命(かなやまひこのみこと)とは

金山彦命(かなやまひこのみこと)は伊邪那美命が火の神・迦具土神(かぐつちのかみ)を生んだ際、陰部を火傷し苦しんでいる時に吐いた嘔吐物から生まれた神様です。この時、金山姫命(かなやまびめのみこと)も生まれました。

金山彦命は鉱山・鍛冶・鋳物を司る神で、鉱山資源や加工技術、金物の守護神として広く信仰されています。

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古事記では金山毘古神(かなやまひこのかみ)、日本書紀では金山彦神と伝わる。

金山彦命を御祭神として祀る岐阜県の南宮大社の社伝によると、神武東征の時、金鵄(きんし/天皇の弓の先に止まった金色のトビ)を輔(たす)けて、戦勝をもたらす御神威を発揮したと伝わっています。

このことから黄金の神とも呼ばれ、金運・開運招福・商売繁盛などにも御利益があるとされています。

包丁の守護神として崇敬されることが多いですが、古代から中国地方では製鉄の祖神として崇められていて、鉱山や製鉄所などで祀られています。

国常立尊(くにのとこたちのみこと)とは

国常立尊(くにのとこたちのみこと)は古事記では神代七世の最初の神様です。別天津神(ことあまつかみ)の天之常立神(あめのとこたちのかみ)の次に現れました。

日本書紀では国常立尊(くにのとこたちのみこと)といい、天地開闢(てんちかいびゃく)の時に出現した最初の神様です。

天地開闢(てんちかいびゃく)とは

世界が初めて生まれたときのこと。世界の始まり。

混沌とした宇宙に天ができて地が固まったとき、その天と地の間に葦(あし)の芽のような形をして現れたことから、国土形成・万物育成発育の神様として崇敬されています。

大日孁貴尊(おおひるめむちのみこと)とは

大日孁貴尊(おおひるめむちのみこと)またの御神名を天照大御神(あまてらすおおみかみ)と言います。

天照大御神は高天原(天上界)に住み、八百万の神々を統治する太陽神の女神です。この世を照らして光の恵みを与え、地球上の生命と成長を司ることから、あらゆる願い事を叶えてくれる御神徳があります。

また、天照大御神は皇室の祖神にあたる神様で、日本の総氏神として崇拝されています。特に有名なのは伊勢神宮内宮(皇大神宮)です。

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伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から逃げ帰り、穢れを洗い清めるために禊を行った。左目を洗った時に光と共に生まれたのが天照大御神。 その後、右目からは月読命(つくよみのみこと)、鼻からは建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が生まれ、この三神は三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ばれて古くから崇拝されている。

神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)とは

神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)は神武天皇の御神名で日本の初代天皇です。

神武天皇の神武とは「もっとも優れた知性、計り知れない勇気を持ち、仁愛を備えた者」を示し、むやみに人を殺めるのが武ではないという意味があります。

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天照大御神から五代目の御孫神で、父神 鵜鷀草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と母神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)の御子神(第四皇子)。

軍神・海の神・農業神として崇められていて次の御神名もお持ちです。

  • 神日本磐余彦火火出見尊(かむやまといわれひこほほでみのみこと)
  • 狭野命(さぬのみこと)
  • 若御毛沼命(わかみけぬのみこと)

神日本磐余彦命は生まれつき賢く、武も達者だったので15歳で皇太子になります。当時は全国統一されていない時代だったので、都を中央に移そうと兄たちを連れ東征へと向かいました。これが有名な神武東征です。

神武東征とは

宮崎の港から出発し、宇佐(大分県)、筑紫(福岡県)、安芸(広島県)、吉備(岡山県)に立ち寄りながら東へ進むが、河内の国(大阪府)に着くと登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)が軍を率いて待ち構えていた。激しい戦により兄の五瀬命(いつせのみこと)が負傷してしまい、神日本磐余彦命の軍は紀の国(和歌山県)に向かうが、紀の国に着くと兄は没してしまう。

一行はなんとか熊野までやって来たが、険しい山々を歩き回った上に、見えない力を持つ恐ろしい山の神との遭遇で気を失ってしまう。その時、天上界から見ていた天照大御神が、「我が御子たちは苦しんでいる。助けるのです。」と武甕槌神(たけみかづちのかみ)に命じると、国譲りを成し遂げた時の太刀を熊野に住む高倉下(たかくらじ)に授けた。すぐに神日本磐余彦命に太刀を捧げると目を覚まし、一振りで荒ぶる山の神は静まった。

まだ心配だった天上界の神々は道先案内役として八咫烏(やたがらす)を遣わせた。無事に大和(奈良県)の宇陀の地に辿り着くが、宇陀の豪族と遭遇し戦になる寸前に。しかし、敵はうまく兵を集めることができず事なく済んだ。

もう一度河内の国に向かい、ついに登美能那賀須泥毘古との決戦の時、天空より金色に輝くトビが神日本磐余彦命の弓の先に止まり、その輝きに目がくらんだ敵軍は戦うことができなくなった。いっせいに攻め立てた神日本磐余彦命は勝利を収め、45歳で国を治めて日本で初めての天皇となった。即位した日が2月11日で今でも建国記念日になっている。

元明金命(げんみょうかがねのみこと)とは

元明金命(げんみょうかがねのみこと)は元明天皇の御神名で第43代天皇です。天智天皇の第四皇女として生まれ、当時の御名を阿閉皇女(あへのひめみこ)と言います。

元明天皇は草壁皇子の妃となり、軽皇子(文武天皇)・氷高皇女(元正天皇)・吉備皇女を得ています。

文武天皇の遺言により、文武天皇が亡くなった後天皇に即位しますが、母(皇女)から皇子へ譲位すること自体異例だったので、文武の皇子(当時7歳)が皇位を引き継ぐまでの中継的な天皇でした。

天皇即位後は秩父郡から和銅が献上されたことに喜び、年号を和銅と変更し、和同開珎を貨幣として流通させました。

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和銅3年(710年)農作物の不作が続いたので臣下のすすめに従い、藤原京から平城京へと都を移す。 和銅5年(712年)には文武天皇の命による古事記の編集が完成したことで、元明天皇は太安万侶より古事記を献上させた。

聖神社の歴史

聖神社は元明天皇の慶雲年間(704〜708年)、この地の祝山から自然銅(にきあかがね)が発見された時、守護神として金山彦命を、慶祝感謝のため大日孁貴尊(天照大神)・国常立尊・神日本磐余彦命(神武天皇)を祀ったのが起源です。

養老6年(722年)には元明金命(元明天皇)も合祀され、その当時は父母惣社と称されました。

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文政年間初期、秩父地方は日照りが続き不作に困り果てていた。一向に雨が降らなかったので、秩父神社の妙見様の御神威を授かるために秩父代官の御陣屋(当時の役所が置かれた建物)から雨乞いの祈願をするように命じられる。竜頭を先頭に瓢箪(ひょうたん)廻しという演目を舞ったところ、たちまちに大雨が降り出した。それ以降黒谷の獅子舞は「雨乞い簓(ささら)」と呼ばれるようになり、現在でも秩父の伝統芸能として受け継がれ、聖神社の例祭で奉納されている。

社殿はこれまで何度か建替が行われましたが、現在の社殿は秩父市中町にあった今宮神社の本殿を昭和39年(1964年)に移築したものになります。(秩父市有形文化財指定)

江戸時代中期の建築で流れ造りの本殿と入母屋造りの礼拝殿からなり、桃山時代から伝わる彫刻が刻まれています。旧本殿は和銅出雲神社として奉斎し、縁結びの神・大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀っています。

聖神社のおすすめの順路と参拝方法

聖神社のおすすめの順路と参拝方法をご紹介します。

①鳥居をくぐって本殿で参拝

聖神社の鳥居

聖神社の鳥居

鳥居をくぐって手水舎で身を清め、本殿で参拝します。本殿前で授与品やご朱印もお受けできます。

②和銅出雲神社で参拝

本殿の左にある和銅出雲神社で参拝します。大きいお社なのですぐにわかります。御祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)です。

③八坂神社で参拝

本殿の右上に八坂神社があります。下の写真の「こちら」の文字の上にあるのが八坂神社で、御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。

聖神社の境内にある八坂神社

聖神社の境内にある八坂神社

八坂神社で参拝したら、鳥居から出て完了です。

埼玉県秩父市の聖神社のアクセスマップ

■聖神社
【住所】埼玉県秩父市黒谷字菅仁田2191
【アクセス】秩父鉄道 和銅黒谷駅から徒歩5分程度
【駐車場】数は少ないがあり(無料)

まとめ

金運アップにおすすめの神社は他にもありますが、その中でも聖神社はトップクラスでおすすめです。

授与品を頂く際は必ず聖神社に足を運び、神様にご挨拶をしてから頂くようにしましょう。金運を引き寄せたいなら神様にしっかりとご挨拶することが重要になります。

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  • この記事を書いた人
園 善博

園 善博

京都出身の速習法インストラクター。経営の神様と呼ばれた松下幸之助など数多くの有名企業が神仏に祈念しているのを見て「目に見えない運気を高めることが成功につながる」と考え、独立してから風水や西洋魔術、神道、真言密教、陰陽道など、多岐に渡るジャンルを先生に師事し、15年以上学ぶ。独自の「速習法」や「勉強法」を公開した書籍は10冊を超え、講師歴12年で10,000名以上の受講生を輩出している。→プロフィール詳細へ

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