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寳登山神社のご利益で金運招福!ミシュラン1つ星のパワースポット

2019年9月18日

寳登山神社

埼玉県秩父郡にある寳登山神社(ほどさんじんじゃ)は、火災盗難除け・諸難除けの守護神として御神徳が高いですが、宝の山に登るという縁起の良い名前からもわかるように金運招福でも有名です。

金運神社で有名な山梨県富士吉田市にある新屋山神社の主祭神、大山祇神(おおやまづみのかみ)も寳登山神社に祀られています。

この記事では、寳登山神社のご利益や必ず手にしたい授与品、おすすめの参拝方法などをまとめました。

「お金に困りたくない」「金運アップしたい」のであれば大山祇神へのご挨拶は必須なので、ぜひ寳登山神社に参拝してみてください。

*授与品の金額はお受けした当時の金額です。

寳登山神社のご利益

寳登山神社で頂けるご案内

寳登山神社で頂けるご案内

寳登山神社は1900年以上も前に創建された神社で、ご利益は火災盗難除け・諸難除け、金運招福などです。

ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンでも1つ星を獲得しているパワースポットで、御祭神は

  • 神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)
  • 大山祇神(おおやまづみのかみ)
  • 火産霊神(ほむすびのかみ)

です。

神日本磐余彦尊は日本を建国した初代天皇である神武天皇です。大山祇神は山を司る神で、山の幸を無限に恵み給う神であり、鉱山の守護神でもあります。火産霊神は火を司る神で、火にまつわる商売の繁盛や火災を守護してくださいます。

寳登山は元々、日本武尊一行が山火事に遭った際、山の神の御眷属の山犬に救って頂いたことから、山火事火を止める山で「火止山」でしたが、その後、弘仁年中に「宝珠の玉が光り輝きながら山上に飛翔する」神変が起こったことから寳登山と改められました。

寳登山神社で必ず手にしたい授与品

寳登山神社で必ず手にしたい授与品は2つあります。

①吉祥寳守

寳登山神社の吉祥寳守

寳登山神社の吉祥寳守

このお守りを持つ方の宝がこれからも豊かに、そして大きく成長するよう祈願された吉祥寳守(きっしょうたからまもり)です。

お守りの裏側には本殿裏にある波を泳ぐ龍と鯉の彫刻が描かれています。

寳登山神社の吉祥寳守の裏

寳登山神社の吉祥寳守の裏

古から、鯉が大滝を登ると龍に成長する登竜門の話が伝えられており、宝(鯉)が宝の山(龍)になるように祈りが込められております。

吉祥寳守は1体1,000円でお受けできるので、ぜひ手にすることをおすすめします。

②おたから小判守

寳登山神社のおたから小判守

寳登山神社のおたから小判守

寳登山神社のおたから小判守は小さい小判の形をした1体800円のお守りです。このように金色をした小判型のお守りは抜群に効きます。

さらに金運の神様である大山祇神のエネルギーも封入されているので、お財布やバッグに入れたりして普段から持ち歩くことをおすすめします。

寳登山神社ならではの魅力

寳登山神社ならではの魅力は3つあります。

①御本殿

現在の本殿は弘化4年(1847年)に権現造りで再建が始まり、明治7年(1874年)に完成された社殿です。明治維新により限られた御浄財のなか造営された社殿は、豪華な彫り物や動植物を描いた天井絵などが見所です。

御鎮座1900年記念事業により、平成21年(2009年)に修復された本殿は、二十四孝(にじゅうしこう)を表す欄間(らんま)彫刻・軒下の組み物・小壁などの彩色がさらに華やかさを増しています。

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二十四孝(にじゅうしこう)とは、孝行が特に優れた24人の物語を紹介し、その素晴らしさを伝えた中国の書物。欄間(らんま)とは、天井と鴨居(かもい)または長押(なげし)との間に、通風や採光、装飾などの目的のために格子や透かし彫りが取り付けてある所。

欄間彫刻は全て物語になっています。

一部をご紹介すると、本殿左側は剡子(たんし)のお話で「目を患う両親のため、効能がある鹿の乳の話を聞いた子(剡子)が鹿皮をかぶって群れに近づいた。鹿狩りの猟師に狙われるも免れ、無事に乳を得て親孝行できた。」という物語です。

剡子物語の隣にある唐夫人のお話は「唐夫人の長孫夫人(姑)には歯が無いのでいつも唐夫人が乳を与えていたが、数年経った時に長孫夫人が病を患い、一族に「私の子孫たちよ、唐夫人の孝行を真似るならば必ず将来繁栄する。」と孝行の心や、やがて恩は報われるということを伝えた物語です。

本殿正面には驚異的な龍の彫刻が飾られていますが、これは出世を意味する登竜門です。

本殿には様々な物語や意味合いのある彫刻が工夫されているので、訪れた際はぜひチェックしてみてください。

②日本武尊みそぎの泉

本殿裏には日本武尊(やまとたける)が山頂を目指す前に禊をした泉が残されています。

この泉は玉の泉とも呼ばれていますが、日照りや雨の続く時期でも一定水位を保ちながら湧き出ています。神聖な泉なので立ち入ることはできませんが、柵越しで見ることができます。

なお、神聖な泉を保つために投げ銭は禁止されています。

③御神水

神楽殿の右手に建っている水神社で寳登山の御神水が頂けます。

常に寳登山から湧き出る神の水です。そのまま飲むこともできますが、飲むのが不安な方は御神水をお風呂に入れてから入浴すると禊の効果があります。(罪や穢れを落とし清らかになる)

空の500mlペットボトルなどに入れて頂くのがおすすめです。

寳登山神社とは

寳登山神社は埼玉県秩父郡長瀞町の寳登山の麓にある神社で、秩父神社・三峯神社と共に秩父三社のうちの一社です。 TVなどのメディアに取り上げられることもあり、年間約100万人もの参拝者が御神徳を求めて訪れます。

寳登山神社の御祭神

寳登山神社の御祭神はこちらの三柱です。

  • 神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)
  • 大山祇神(おおやまづみのかみ)
  • 火産霊神(ほむすびのかみ)

神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)とは

神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)は神武天皇の御神名で日本の初代天皇です。

神武天皇の神武とは「もっとも優れた知性、計り知れない勇気を持ち、仁愛を備えた者」を示し、むやみに人を殺めるのが武ではないという意味があります。

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天照大御神から五代目の御孫神で、父神 鵜鷀草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と母神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)の御子神(第四皇子)。

軍神・海の神・農業神として崇められていて次の御神名もお持ちです。

  • 神日本磐余彦火火出見尊(かむやまといわれひこほほでみのみこと)
  • 狭野命(さぬのみこと)
  • 若御毛沼命(わかみけぬのみこと)

神日本磐余彦尊は生まれつき賢く、武も達者だったので15歳で皇太子になります。当時は全国統一されていない時代だったので、都を中央に移そうと兄たちを連れ東征へと向かいました。これが有名な神武東征です。

神武東征とは

宮崎の港から出発し、宇佐(大分県)、筑紫(福岡県)、安芸(広島県)、吉備(岡山県)に立ち寄りながら東へ進むが、河内の国(大阪府)に着くと登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)が軍を率いて待ち構えていた。激しい戦により兄の五瀬命(いつせのみこと)が負傷してしまい、神日本磐余彦尊の軍は紀の国(和歌山県)に向かうが、紀の国に着くと兄は没してしまう。

一行はなんとか熊野までやって来たが、険しい山々を歩き回った上に、見えない力を持つ恐ろしい山の神との遭遇で気を失ってしまう。その時、天上界から見ていた天照大御神が、「我が御子たちは苦しんでいる。助けるのです。」と武甕槌神(たけみかづちのかみ)に命じると、国譲りを成し遂げた時の太刀を熊野に住む高倉下(たかくらじ)に授けた。すぐに神日本磐余彦尊に太刀を捧げると目を覚まし、一振りで荒ぶる山の神は静まった。

まだ心配だった天上界の神々は道先案内役として八咫烏(やたがらす)を遣わせた。無事に大和(奈良県)の宇陀の地に辿り着くが、宇陀の豪族と遭遇し戦になる寸前に。しかし、敵はうまく兵を集めることができず事なく済んだ。

もう一度河内の国に向かい、ついに登美能那賀須泥毘古との決戦の時、天空より金色に輝くトビが神日本磐余彦尊の弓の先に止まり、その輝きに目がくらんだ敵軍は戦うことができなくなった。いっせいに攻め立てた神日本磐余彦尊は勝利を収め、45歳で国を治めて日本で初めての天皇となった。即位した日が2月11日で今でも建国記念日になっている。

大山祇神(おおやまづみのかみ)とは

大山祇神(おおやまづみのかみ)は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が神産みをした時に生まれた神様です。

御名の大山祇神には「偉大なる山の神」の意味がありますが、山(鉱山)・田(稲作)・海(渡航)・酒造の守護神と多くの御神威をお持ちです。

<山の神としての信仰>
大山祇神は山の神の総元締で山周辺に暮らす人々から祖霊神と崇められている。

<田の神としての信仰>
山から里に降りれば穀物の実りを司る田の神として広く信仰されている。

<海の守護神としての信仰>
古事記では大山津見神、日本書紀では大山祇神や大山積神と表記されるが、別称で和多志大神(わたしのおおかみ)とあり、和多は海を意味することから海の守護神として祀られることもある。

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伊予国風土記(いよのくにふどき)の逸文によると「乎知の郡。御嶋。坐す神の御名は大山積神、またの名は和多志大神なり。此神、百済国より度り来まして、津国の御嶋に坐しき。」とある。「この神は百済の国(古代朝鮮半島)から渡来され、摂津国の御嶋(現大阪府高槻付近)に鎮座されたのち、伊予の国の三嶋(現愛媛県今治市大三島)に御鎮座した。」と伝わる。伊予国風土記とは日本の令制国(現愛媛県一帯)の歴史書。

大山祇神を御祭神とする有名な神社には愛媛県の大山祇神社がある。ここを本拠地として各地に大山祇神の御分霊が祀られることが増えたが、戦国時代には瀬戸内の水軍の守護神、武の神として崇められていた。

<酒造の守護神としての信仰>
大山祗神は御子神 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)との子を得た時に大喜びし、狭奈田の茂穂(よく実った稲穂)で天甜酒(あまのたむさけ)を造り、神々に振る舞ったことで、酒造りの守護神 酒解神(さけとけのかみ)としても崇められている。

火産霊神(ほむすびのかみ)とは

火産霊神(ほむすびのかみ)は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が神産みをした時に生まれた神様で、火を司る神様です。

「ほ」は火を、「むすび」は物を生成する神秘の力を表します。

火の光は時間的・空間的に人の活動範囲を拡大し、火の熱は食を豊かに、火のエネルギーは全ての罪穢れを祓うことから、火産霊神は防火の神・鍛冶の神として崇敬されていて、火災消除・厄除開運・家内安全などの御神徳があります。

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伊邪那美命が火の神である火産霊神を生んだ時、陰部に火傷を負って死んでしまった。これに怒った伊邪那岐命は天之尾羽張剣(あめのおはばりのつるぎ)で火産霊神を斬ったが、剣先に付いた血や火産霊神の体から様々な神様が生まれた。

古事記では火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ/加具土命)や火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)、日本書紀では軻遇突智(かぐつち)や火産霊と表記される。

火産霊神を御祭神とする有名な神社には京都の愛宕神社(愛宕信仰)、静岡県の秋葉山本宮秋葉神社(秋葉信仰)があります。共に火防せ・火難除けの神様として崇められ、江戸時代以降は全国各地で火産霊神(迦具土神などとして)の御分霊を祀る神社が増えました。

焼き物の名産地では鍛冶の神・焼き物の守護神として祀られていますが、その総本社は京都の愛宕神社であることが多いです。

寳登山神社の歴史

寳登山神社は約1900年前(景行天皇40年/110年)、日本武尊が寳登山に神日本磐余彦尊(神武天皇)・大山祇神(山の神)・火産霊神(火の神)をお祀りしたのが起源です。

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日本武尊が東国平定後、寳登山の美しさに魅了され、禊をした後に山頂を目指すが突然山火事に遭ってしまう。その時現れた白と黒の山犬たちによって火が消し止められ、日本武尊一行を山頂まで先導するが、その後に姿を隠してしまった。日本武尊は山の神が御眷属(使い)の大口真神(おおくちのまがみ/狼の化身)を遣わせて救ってくださったと悟り、山頂に神籬(ひもろぎ)を設けて三柱をお祀りした。(神籬とは御神霊をお迎えするための標。神が天から降る時の依り代となるもの。)

その後、寳登山は霊場として崇敬を集め、弘法大師空海も巡ったと伝わるこの地に、永久元年(1113年)僧 空圓が開山に関わり玉泉寺を創立し、神仏が鎮まる聖地になりました。

それ以降、755年に渡って玉泉寺が別当職として寳登山神社にもお務めし、「寳登山大権現(神仏習合時に称された御名)」として祭祀も行われていました。

明治元年(1868年)の神仏分離によりそれぞれ独立した社寺となりますが、共に支え合う形で今に至ります。

寳登山神社のおすすめの順路と参拝方法

寳登山神社で頂けるマップ

寳登山神社で頂けるマップ

寳登山神社のおすすめの順路と参拝方法をご紹介します。本殿で参拝したら右回りで境内社を参拝して行きます。

他にもたくさんの参拝客がいらっしゃったので、この記事では写真無しでご紹介します。詳しい位置を知りたい方は寳登山神社の公式サイトがおすすめです。

→寳登山神社 境内案内図はこちら

①鳥居をくぐって本殿で参拝

鳥居をくぐって手水舎で身を清め、本殿で参拝します。

②水神社で参拝

神楽殿の右横にある水神社(すいじんじゃ)で参拝します。寳登山から湧き出る水の神を祀ったお宮です。御神水を受けることもできます。

③藤谷淵神社で参拝

本殿の左手の方にある藤谷淵神社(ふじやぶちじんじゃ)で参拝します。御祭神は

  • 伊勢大神(天照大神/あまてらすおおみかみ・豊受大神/とようけのおおかみ)
  • 八坂大神(素盞嗚尊/すさのおのみこと)
  • 諏訪大神(建御名方神/たけみなかたのかみ)
  • 熊野大神(伊弉冉尊/いざなみのみこと)
  • 野栗大神(野栗大神/のぐりのおおかみ)(田畑の疫除の神)
  • 琴平大神(大国主命/おおくにぬしのみこと)
  • 榛名大神(植山毘売命/はにやまひめのみこと)
  • 竃三柱大神/かまどみはしらのおおかみ(奥津比古命/おくつひこのみこと・奥津比売命/おくつひめのみこと・火産霊命/ほむすびのみこと)

です。明治時代まで藤谷淵村(現在の長瀞町長瀞)の各所にあった8社の神社をこの地に遷座して祀られています。

伊勢神宮内宮(天照大神)・外宮(豊受大神)の神様など、様々な神様がひと所に祀られているので必ずご挨拶しましょう。左手に大黒天もいらっしゃいますので忘れずにご挨拶してください。

④日本武尊社で参拝

藤谷淵神社の奥にある日本武尊社(やまとたけるのみことしゃ)で参拝します。御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)です。

⑤天満天神社で参拝

天満天神社で参拝します。御祭神は学問の神様である菅原道真公です。左手に大黒天もいらっしゃいますので忘れずにご挨拶しましょう。

⑥宝玉稲荷神社で参拝

宝玉稲荷神社(ほうぎょくいなりじんじゃ)で参拝します。御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)です。

参拝後、本殿の方に戻って授与所で御朱印やお守りをお受けしましょう。あとは鳥居から出て完了です。

お時間が許す方は寳登山山頂(標高約497m)にある神社創立ゆかりの地「日本武尊の御神霊を祀った奥宮」にもぜひ行ってみてください。

奥宮では奥宮の御朱印(初穂料500円)を頂くことができますし、季節や天候の条件が揃った日は山頂から壮大な雲海も見ることができます。

ロープウェイだと山頂まで5分、徒歩だと約50分です。ロープウェイの通常料金は往復830円ですが、授与所で「奥宮に行きます。」と伝えると割引券を頂けます。

なお、毎年5月2日(八十八夜)には奥宮祭が行われます。神職・氏子・崇敬者が集い、境内日本武尊社からお神輿が巡行して奥宮へと向かう霊験あらたかな神事です。

この時期、山頂に綺麗なツツジが咲くことから「ツツジ祭り」とも言われ、秩父地方の農作業開始の目安ともなる日です。タイミングが合えば奥宮祭の日に参拝するのもおすすめです。

寳登山神社のアクセスマップ

寳登山神社
【住所】埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828
【アクセス】秩父鉄道 長瀞駅から徒歩で15分程度
【駐車場】あり(無料)

まとめ

寳登山神社は日本有数のパワースポットです。聖神社も近くにありますので、秩父方面に行く際はぜひ寳登山神社にも足を運んでみてください。

園善博

園 善博|この記事を書いた人

京都出身の速習法インストラクター。経営の神様と呼ばれた松下幸之助など数多くの有名企業が神仏に祈念しているのを見て「目に見えない運気を高めることが成功につながる」と考え、独立してから風水や西洋魔術、神道、真言密教、陰陽道など、多岐に渡るジャンルを先生に師事し、15年以上学ぶ。独自の「速習法」や「勉強法」を公開した書籍は10冊を超え、講師歴12年で10,000名以上の受講生を輩出。→プロフィール詳細へ

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