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紀元前に鴨皇大御神が降臨した聖地 御蔭神社!隠れたパワースポットで運氣再生

2020年2月17日

御蔭神社の鳥居

京の都の鬼門(北東)に位置する御蔭神社(みかげじんじゃ)は京都(山城国)を護る神社で、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ/下鴨神社)の奥宮になります。

御蔭神社は無人の神社で普段参拝者もあまり訪れませんが、紀元前に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)が降臨した聖地であり、日本最古の神事「御蔭祭(みかげまつり)」が行われる祭祀場でもあります。

この記事では、御蔭神社のご利益や御蔭神社ならではの魅力、御蔭神社への行き方などをまとめました。

賀茂御祖神社(下鴨神社)に訪れる際はぜひ御蔭神社も参拝してみてください。

御蔭神社のご利益

御蔭神社の御神徳はこちらです。

  • 開運厄除
  • 五穀豊穣
  • 生成発展
  • 殖産興業
  • 方除
  • 縁結び
  • 子授け
  • 安産

御蔭神社では御祭神の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)の荒御魂(あらみたま)が年に一度、新しい氣(エネルギー)へと生まれ変わります。(再生する)

荒御魂(あらみたま)とは

御生(みあれ)されたばかりの御神霊のこと。魂が若々しく荒々しい力を司る。

荒御魂の氣(エネルギー)は「達成・向上・前進・勇ましさ」などを表し、金運や健康などの現世ご利益に絶大な効果を発揮します。

御蔭神社ならではの魅力

御蔭神社ならではの魅力は2つあります。

①神様が降臨した聖地

御蔭神社の案内

御蔭神社の案内

御蔭神社が位置する御蔭山(みかげやま)は紀元前に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)が降臨した真の聖地です。(御蔭山は東山三十六峰第二番目の山)

平安時代の右大臣 藤原実資(ふじわらのさねすけ)の日記「小右記(おうき/しょうゆうき)」には「小野郷大原の御蔭山に鴨皇大御神(かもすめおおみかみ)が降臨した。」と記されています。

鴨皇大御神、天降り給ふ。小野里、大原、御蔭山なり。(寛仁2年(1018年)11月25日の条)

鴨皇大御神(かもすめおおみかみ)とは

鴨氏(賀茂氏)の祖神である賀茂建角身命と玉依媛命を総称した神名。鴨皇大御神(かもこうおおみかみ)とも呼ばれる。

「太陽がただ射す所=御蔭」から御蔭山といいますが、神様の降臨や誕生、出現のことを御生(みあれ)ということから御生山(みあれやま)ともいいます。

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御蔭の蔭(かげ)は無文字時代の言葉。古代人は「奥の神様へお参りする」ことを蔭と言い表していたので社名も御蔭神社となった。

御蔭山には御祭神が降臨した磐座(いわくら)があるので、山そのものが御神体として崇められています。

御蔭神社は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ/下鴨神社)の境外摂社と言われますが、古代に鴨皇大御神が御蔭山に降臨したこと、そして蔭という文字の意味からわかるように賀茂御祖神社の奥宮にあたります。

②御蔭祭(御生神事)

御蔭神社の案内

御蔭神社の案内

御蔭神社では古代より伝承されてきた日本最古の神事「御蔭祭(みかげまつり)」が執り行われます。

御蔭祭は年に一度御祭神の荒御魂が生まれ変わる(再生する)霊験あらたかな神事です。

古来より神事は毎年4月の午の日(旧暦)でしたが、今では毎年5月15日の賀茂祭(葵祭)に先がけて毎年5月12日(新暦)に行われています。(賀茂祭は京都三大祭りの1つ)

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明治時代までは御生神事(みあれしんじ)と呼ばれていた。

御蔭祭は生まれ変わった賀茂建角身命と玉依媛命の御神霊を賀茂御祖神社に迎える神事で、第2代綏靖天皇(すいぜいてんのう)の時代「紀元前581年~紀元前549年」に始まったのが起源です。

朝廷からは阿礼料(あれりょう)や幣が奉納されるなど鴨社創祀(そうし)の重要な神事として執り行われてきましたが、時代と共に神事形式は変化しました。

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阿礼料(あれりょう)とは神が生まれる・出現する縁となる榊や絹などの物を奉納すること。創祀(そうし)とは神様を初めてその地で祀ること。

現在の御蔭祭は早朝より賀茂御祖神社の舞殿で「勧杯(かんぱい)の儀」、次に禮殿(らいでん)でお祓いの「樹下神事(じゅげしんじ)」があり、御蔭山へ向かう前の「本宮進発の儀」が始まります。

御蔭山へ行粧(ぎょうそう/儀式の服装)が到着すると高野川に面した船つなぎ岩(磐座)で「御蔭山の儀」が行われます。

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船つなぎ岩は玉依媛命が黄色い船に乗って浪速の津(大阪湾)から淀川、鴨川を遡った時に船を繋いだ磐座と言われている。その後、玉依媛命は貴船川を遡り、貴船の地に上陸したと伝わっていて、貴船神社奥宮には玉依媛命が乗ってきた御船形石(ふながたいし)がある。

御蔭神社に到着すると神降ろし・御霊の再生の神事「御生神事」が執り行なわれます。御生神事を直に見ることはできませんが、氏子や崇敬者など数百人を超える方が拝殿外で生まれ変わった御神霊を静かに待ちます。

御蔭神社で生まれた荒御魂を御神櫃(ごしんぴつ)に移した後は、賀茂波爾神社(かもはにじんじゃ)などの神領内の各総社を巡行する路次祭(ろじさい)が行われます。

続いて糺の森(ただすのもり)で芝挿神事(しばさしのしんじ)や切芝神事(きりしばのしんじ)が行われ、若返った神霊を神馬の背に移した後に本宮賀茂御祖神社へと向かいます。

神霊を迎え入れた賀茂御祖神社では「本宮の儀」が行われ、祝詞奏上や玉串拝礼などの奉斎が行われます。ここまでが「御蔭祭(御生神事)」の祭典形式です。

賀茂御祖神社(下鴨神社)の宮司である新木直人さんの著書「葵祭の始原の祭り 御生神事 御蔭祭を探る」が参考になります。

葵祭の始原の祭り 御生神事 御蔭祭を探る

葵祭の始原の祭り 御生神事 御蔭祭を探る

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御蔭祭(御生神事)を後世に繋ぐために多くの故人が伝書を残している。

鎌倉時代の公郷 勘解由小路兼仲(かでのこうじかねなか)の日記「勘仲記(かんちゅうき)」には、「午の日の神事、御荒(みあれ)という。社司や氏人が斎(いみ)たすき神歌を唱へながら供奉す。」とあるが、これは古代の御生神事の様子を伝承する日記になる。(1284年(弘安7年)4月12日の条より)

神職(禰宜)の俊永氏の口伝書(1731年/享保16年)「三天之秘事(たかまのはらのかみのこと)」には、

「八咫烏之伝(やたからすのつたえ)・天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)・高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)・神皇産霊尊(かみむすひのみこと)を収載して(書物に収め残すこと)、それぞれの神様の働きを讃えよ。太陽が沈みまた昇るように自然は規則正しく繰り返す。万物の盛衰も同じように永遠に繰り返す。常に生成を繰り返す。この働きを氣と言い、神霊の現れである。その神霊を感得することを産霊(みあれ)や神結(かむむすび)と呼んでいる。そのために御生神事を行い、祭りを繰り返し千万の祈りをすることが神道の根元である。」

と、古義の御生神事の時代は祝いや祈りを捧げる思想信仰があったことを伝承している。(八咫烏之伝(やたからすのつたえ)は御祭神の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)のこと)

応仁の乱以降(鎌倉時代中期~桃山時代まで)は武家制度の変革によって戦乱が続き、御生神事は中断されましたが、1694年(元禄7年)の葵祭と共に復興して今に至ります。

御蔭神社とは

京都市上高野東山にある御蔭神社は賀茂御祖神社(下鴨神社)の奥宮です。

御蔭神社や賀茂御祖神社の御神紋は賀茂葵(かもあおい)や双葉葵(ふたばあおい)という植物が元になっています。

古代より葵は「あふひ」と読み、「あふ」は逢う、「ひ」は神様の力を示す言葉で、大きな力に巡り逢うという意味があります。

御蔭神社の御祭神

御蔭神社の御祭神は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)の荒御魂です。

拝殿を正面とし、左側社殿に御鎮座するのが賀茂建角身命の荒御魂で、右側社殿に御鎮座するのが玉依媛命の荒御魂です。

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)とは

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は京の都をひらいた神様で賀茂氏(賀茂県主)の祖神です。「導きの神・開運厄除・方除」の御神徳があります。

また、古くより農耕を広めて民衆の安定に力を注いだこと、そして太陽神として崇められたことから「五穀豊穣・殖産興業・生成発展」の御神徳もあります。

賀茂御祖神社(下鴨神社)の御祭神として祀られていて、御蔭神社では賀茂建角身命の荒御魂が祀られています。

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別称は鴨建角身命(かもたけつのみのみこと)。神産巣日神(かみむすびのみこと)の御孫神にあたる。高木大神や天照大神の使いと言われるが、八咫烏(やたがらす)の化身とも伝わる。

神武天皇東征の際、烏に姿を変えて戦勝へと導いたのが賀茂建角身命で、この功績が称えられて八咫烏の称号を授かった。八咫烏や八咫烏鴨武角身命の御神名で祀られることもある。

賀茂建角身命は妃の神伊可古夜比売(かむいかこやひめ)との間に玉依媛命 (たまよりひめのみこと) を得ていて、後に山城国に入り賀茂川上流に鎮座した。

玉依媛命(たまよりひめのみこと)とは

玉依媛命(たまよりひめのみこと)は海や水を司り、神の子を宿す御神威がある神様です。御神徳は縁結び・子授け・安産です。

玉依媛命の玉は「魂(神霊)」、依は「憑依する」の意味があります。神霊が依り憑く(宿す)巫女を玉依媛(たまよりひめ)ということから、各地に玉依(たまより)の名前を持つ女神が祀られています。

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玉依とは霊憑(たまより)のこと。天照大神(あまてらすおおかみ)のような特定の神の固有名詞ではなく、神霊が依り憑く巫女を総称して玉依媛(たまよりひめ)という。そのため賀茂神系や海神系など複数系統で玉依の名前を持つ女神が存在する。

山城国風土記(京都府南部の山城国の歴史書)逸文の賀茂縁起に登場する玉依媛命は、賀茂建角身命の娘であり、賀茂別雷神(かもわけいかづちのみこと)の母神と伝わります。

山城国風土記 丹塗矢の説話

玉依媛命が鴨川で禊をしている時、上流から大山咋神(おおやまくいのかみ)の化身である丹塗矢が流れてきた。美しい丹塗りの矢だったので拾って寝所に飾り、いつも眺めているといつの間にか身籠り、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を生んだ。玉依日売の父神 賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)は子の誕生を祝い、七日七夜にわたって祝宴を開いた。その際、賀茂建角身命は可茂別雷命に「父と思う神に神酒を注ぐように」と命じる。言われるがまま盃を持ちあげ天に祈った可茂別雷命は、雷鳴がとどろく天に引きあげられた。天へと引き上げたのが父の大山咋神。

残された賀茂建角身命と玉依媛命は再び子に会いたいと願っていると、ある夜玉依媛命の夢枕に賀茂別雷命が現れ、「私に逢いたいと願うのならば、天羽衣・天羽裳を造り、奥山で火を焚き、そこに鉾を捧げ、走馬を飾り、葵の葉で冠を編み、依り代を造り我を待てば来ようぞ。」とお告げがあった。その神託通りに神迎のお祭りをすると立派な成人となって天界より京都神山(こうやま)山頂に降臨した。(現在でも神山は禁足地)。

賀茂建角身命と玉依媛命は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ/下鴨神社)に、賀茂別雷命は賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ/上賀茂神社)に祀られています。

御蔭神社の歴史

御蔭神社(みかげじんじゃ)の起源は不明ですが、歴史を辿ると

  • 紀元前より御生神事(現御蔭祭)が行われていた
  • この地一帯は山背北部豪族が行っていた祭典の中心地であったことが遺跡により判明している。山背北部豪族とは7世紀(601年~)に山城国(現在の京都)北部を支配していた氏族
  • 天武天皇6年(667年)御蔭山の地に山背国司が造営した賀茂神宮があったと伝承されていて、これが御蔭神社の起源という説もある。山背国司とは7世紀(601年~)に山城国南西部を統治していた氏族

これらのことから紀元前~7世紀には御蔭神社が存在していたことがわかっています。

平安時代の右大臣 藤原実資(ふじわらのさねすけ)の日記「小右記(おうき/しょうゆうき)」では、当時の神職がこの時代以前から鎮座していたと伝えていますが、小右記などの書物が発見される前までは1161年(応保元年)が起源であると伝承されていました。

小右記(おうき/しょうゆうき)とは

978年(天元元年)頃から書かれたとされる藤原実資の日記。全61巻あり漢文で書かれている。

1622年(元和8年)には今より北東方位の麓に社殿が移建、1693年(元禄6年)には賀茂御祖神社(下鴨神社)の式年遷宮と共に造替が行われています。

1758年(宝暦8年)には台風の水害、1829年(文政12年)には大地震と度重なる災害で社殿は流失しますが、1834年(天保5年)江戸幕府の判断により社殿と拝殿は高台に移築されました。

社殿は柿葺一間社流造(こけらぶきいっけんしゃながれづくり)、拝殿は柿葺入母屋造(こけらぶきいりもやづくり)という日本古来の伝統的な建築様式で、天保5年の建築物が現在の社殿と拝殿の原型です。

その後、賀茂御祖神社の式年遷宮と共に社殿は修繕され、本宮の境外摂社として今に至ります。

ちなみに、賀茂御祖神社(下鴨神社)の宮司である新木直人さんの著書「葵祭の始原の祭り 御生神事 御蔭祭を探る」の御蔭山神事之神地図(1517年/永正14年)によると、御蔭神社の旧社地は八瀬比叡山口駅の南西方にあったと推定されています。

御蔭神社の行き方

御蔭神社の行き方をご紹介します。

車で行く場合は割と簡単に行けるので電車とバスで行く場合を基準にしてお話しします。

車の場合は近くのコインパーキングをご紹介しますのでそちらを利用するのがおすすめです。御蔭神社まで徒歩約2分で着きます。

①叡山線「八瀬比叡山口駅」で下車

八瀬比叡山口駅

八瀬比叡山口駅

電車かバスで御蔭神社に行く場合は「八瀬比叡山口駅(叡山電鉄終点駅)」で下車します。

賀茂御祖神社(下鴨神社)から御蔭神社へ向かう場合は、叡山線「出町柳駅」か「元田中駅」から乗車するのがおすすめです。

駅から御蔭神社までは徒歩約11分です。

八瀬比叡山口駅を降りて高野川の橋を渡る前に「八瀬四季の地図」という看板があるのでそちらも参考にしてみてください。

車で行く場合は京都ガーデンテラスパーキングの利用がおすすめです。

昼間は30分100円(昼間最大料金500円)で利用できますし、御蔭神社までは徒歩約2分です。御蔭神社には駐車場がないので、ここが最も近いパーキングになります。

京都ガーデンテラスパーキング

京都ガーデンテラスパーキング

京都ガーデンテラスパーキングは8台駐車可能で、

京都ガーデンテラスパーキング

京都ガーデンテラスパーキング

賀茂御祖神社(下鴨神社)から車で約16分の場所にあります。

②高野川の橋を渡って瑠璃光院の方へ進む

八瀬比叡山口駅から出発して近くの橋を渡ったら右に進みます。

高野川の橋からの景色

高野川の橋からの景色

川沿いを進むと徒歩8分ほどで瑠璃光院が見えるので、さらに道なりに進むと左側に御蔭神社の案内と石碑が建っています。

御蔭神社の案内

御蔭神社の案内

石碑の右側にある舗装された山道を進むと、

御蔭神社の石碑

御蔭神社の石碑

御蔭神社への道

御蔭神社への道

徒歩3分ほどで御蔭神社の案内が見えてくるので、

御蔭神社の案内

御蔭神社の案内

案内に沿って進みます。

御蔭神社への道

御蔭神社への道

③鳥居をくぐる

御蔭神社の鳥居

御蔭神社の鳥居

鳥居まで辿り着いたら鳥居をくぐります。

④拝殿へ向かう

鳥居をくぐって徒歩3分ほど進むと、

御蔭神社の参道

御蔭神社の参道

拝殿が見えてきました。立派な石垣が積まれています。

御蔭神社の拝殿

御蔭神社の拝殿

手水鉢のようなものもあります。

拝殿近くにある石

⑤拝殿で参拝

御蔭神社の拝殿

御蔭神社の拝殿

拝殿で参拝します。御蔭神社は山中にありますが、天気がよければ神域上空から太陽の光が射し込みます。

御祭神は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)の荒御魂です。左側のお社に賀茂建角身命、右側のお社に玉依媛命が祀られています。

これで参拝は完了です。

御蔭神社のアクセスマップ

■御蔭神社
【住所】京都府京都市左京区上高野東山207
【アクセス】叡山電鉄終点駅「八瀬比叡山口駅」から徒歩約11分
【駐車場】なし。車で行く場合は京都ガーデンテラスパーキングの利用がおすすめ

まとめ

御蔭神社は紀元前に鴨皇大御神が降臨した聖地です。賀茂建角身命と玉依媛命の荒御魂の氣(エネルギー)を授かりにぜひ一度訪れてみてください。

園善博

園 善博|この記事を書いた人

京都出身の速習法インストラクター。経営の神様と呼ばれた松下幸之助など数多くの有名企業が神仏に祈念しているのを見て「目に見えない運気を高めることが成功につながる」と考え、独立してから風水や西洋魔術、神道、真言密教、陰陽道など、多岐に渡るジャンルを先生に師事し、15年以上学ぶ。独自の「速習法」や「勉強法」を公開した書籍は10冊を超え、講師歴12年で10,000名以上の受講生を輩出。→プロフィール詳細へ

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