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住吉大社宿院頓宮は伝説の聖地!海神から授かった潮干珠が埋まる飯匙堀

2020年5月28日

宿院頓宮

大阪府堺市にある宿院頓宮(しゅくいんとんぐう)は、古くより摂津国一之宮 住吉大社の御旅所(おたびじょ)で大変由緒のあるお宮です。

御旅所(おたびじょ)とは

御旅所は神社の祭礼時、神様が巡行の途中で休憩や宿泊をする場所、または神幸の目的地。神社・祭神にまつわる場所、氏子・地域にとって重要な場所が選ばれる。

住吉大社と比べると普段訪れる方は少ないですが、海幸彦山幸彦の神話で「山幸彦が海神から授かった潮干珠(しおひるたま)」が沈められていると伝わる飯匙堀(いいがいぼり)があるのが宿院頓宮です。

この記事では、宿院頓宮のご利益や宿院頓宮ならではの魅力、おすすめの順路と参拝方法などをまとめました。

住吉大社に訪れる際はぜひ宿院頓宮も参拝してみてください。

*授与品の金額はお受けした当時の金額です。
*神社の写真は2020年1月以前に撮影したもの、もしくは公式サイトから引用しています。

宿院頓宮のご利益

宿院頓宮の御神徳はこちらです。

  • 金運上昇
  • 商売繁盛
  • 出世開運
  • 除難災厄
  • 心願成就
  • 好機判断
  • 航海安全
  • 農耕・産業隆昌
  • 縁結び

宿院頓宮の御祭神である住吉大社の神様はお金の問題を解決してくれる現世ご利益最強の神様ですが、実際にはあらゆる願い事を叶えてくれる万能の神様です。

お金や金運など金銭関係以外の願い事も実現させるお力をお持ちです。

住吉大社の御祭神についてはこちら↓で詳しくお伝えしています。

住吉大社
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宿院頓宮で必ず手にしたい授与品

住吉大社宿院頓宮で必ず手にしたい授与品は潮満珠・潮干珠守です。(初穂料一体1,000円/住吉大社の授与所にもあり)

潮満珠・潮干珠守

潮満珠・潮干珠守

潮満珠(しおみつたま/ブルー)・潮干珠(しおひるたま/ホワイト)のお守りは物事が思いのままに行くように祈念されているお守りで、心願成就や好機判断のご利益があります。

潮満珠・潮干珠は海幸彦山幸彦の神話の中で、山幸彦が海神から授かった「潮の満ち引きを支配する」霊力のある珠(玉)です。

潮満珠は住吉大社の摂社大海神社(だいかいじんじゃ)にある「玉の井」と呼ばれる井戸に、潮干珠はこの宿院頓宮の飯匙堀に沈められていると伝わります。

海幸彦山幸彦の神話の中で山幸彦が海神より授かったと伝えられる潮満珠は、住吉大社境内の大海神社前の玉ノ井に、潮干珠は堺市内の宿院頓宮境内の飯匙堀に沈められていると伝わっております。この御守は潮の干満を支配する力を持つと言われている二つの珠を象ったもので、この珠を持つことにより、物事が思いのままに行きますよう祈念されております。(住吉神社 潮満珠・潮干珠守)

海幸彦山幸彦の神話

天孫降臨で天降った邇邇芸命(ににぎのみこと)の子には「兄の火照命(ほでりのみこと)」と「弟の火遠理命(ほおりのみこと)」がいた。

兄は海の漁が得意だったので海幸彦(うみさちひこ/海佐知毘古/漁師)として魚をとり、弟は山の猟が得意だったので山幸彦(やまさちひこ/山佐知毘古/猟師)として獣を狩っていた。

ある日、弟の山幸彦が兄の海幸彦にお互いの道具を交換しようと提案するが海幸彦は断った。山幸彦が説得してお互いの道具を交換してみたが、山幸彦は魚が一匹も釣れなかった上に海幸彦の釣針を海に落としてなくしてしまう。

兄の海幸彦も獲物をとることができず、自分の釣針を返してもらおうとすると、山幸彦から釣針を無くしたことを告げられ、山幸彦を責め立てた。山幸彦は自分の十拳劔(とつかのつるぎ)から1,000の釣針を作って謝ったが、海幸彦は「元の釣針が欲しい」と受け取らなかった。

海幸彦に怒られた山幸彦が海辺で泣き悲しんでいると塩椎神(しおつちのかみ)が現れた。事情を話すと塩椎神は小舟を造り、綿津見神宮(わたつみのかみのみや)に行くことをすすめた。

「ここから船に乗って潮に流されるまま進みなさい。私が貴方を導きます。やがて宮殿が見えるので、その入り口の泉のそばにある1本の木に登り待ちなさい。」

この言葉に従い、山幸彦が海神の宮殿前の木に登って待っていると豊玉姫(とよたまひめ/豊玉毘売)と出会う。豊玉姫は山幸彦を一目見るなり恋に落ち、豊玉姫の父である海神(大綿津見神)にも歓迎され、山幸彦と豊玉姫は結婚した。

楽しく暮らしているうちに3年が経ち、山幸彦は帰ることにする。探していた釣針は赤鯛が飲み込んでいたことがわかり、綿津見神は釣針と呪文、潮満珠(しおみつたま)、潮干珠(しおひるたま)を山幸彦に渡し、山幸彦は地上に戻った。その後、兄の海幸彦を授かった呪文や玉でこらしめて忠誠を誓わせた。

宿院頓宮ならではの魅力

宿院頓宮ならではの魅力は2つあります。

①潮干珠が沈められている飯匙堀

宿院頓宮 飯匙堀

宿院頓宮 飯匙堀

海幸彦山幸彦の神話に登場する潮干珠(しおひるたま)が沈められていると伝わるのが飯匙堀(いいがいぼり)です。

飯匙堀は普段から水のない堀になりますが、例え大雨が降ったとしても全く水がたまることがないと言われています。

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堀の形が飯匙(いいがい=しゃもじ)に似ていることから飯匙堀と呼ばれている。

②住吉祭(夏祭り)

住吉祭

住吉祭

出典 住吉大社公式Facebook

住吉祭(夏祭り/7月30日~8月1日)は住吉大神が住吉の地に鎮座した時代から執り行われてきた伝統的な神事で、大阪をはじめ国中のお祓い・お清めをする盛大な祭典です。

宿院頓宮での見所は8月1日に行われる神輿渡御(みこしとぎょ)と荒和大祓神事(あらにごのおおはらい)です。

日付 内容
7月海の日夕刻 神輿洗神事(みこしあらいしんじ)。昔住吉浜だった住吉公園で神輿をお清めする。お清めには当日の午前中に大阪住吉漁業協同組合の協力もと、「汐汲舟(しおくみぶね)」で汲み上げた大阪湾沖合いの神聖な海水が用いられる。清められた神輿は住吉大社にお還りになる。
7月30日20時 宵宮祭(よいみやまつり)。神様の御霊(みたま)を神輿に移す神事が執り行われる。
7月31日17時 夏越祓神事。華麗に着飾った夏越女・稚児たちが茅の輪(ちのわ)をくぐる。五月殿で大祓式が行なわれた後、参詣者も行列に参加。茅(ちがや)を1本取り、祓いながら3度の茅の輪をくぐり本宮に進む。茅の輪をくぐる時は「住吉の夏越(なごし)の祓する人は千年(ちとせ)のよはひのぶといふなり」という和歌を口ずさむ。
例大祭。一年で最も重要とされる祭祀。第一本宮で祭典が行なわれ、神楽(熊野舞)や住吉踊が奉納される。
8月1日午後 神輿渡御(みこしとぎょ)。住吉大神の神霊を遷した神輿が行列を仕立て、御旅所である宿院頓宮まで巡行。住吉大社(大阪市)と宿院頓宮(堺市)の間にある大和川で神輿をひいた巡行者が川の中を歩く姿は必見。
着輿祭(ちゃくよさい)。総勢1200名以上の巡行が夕刻宿院頓宮に到着後、本殿で執り行われる。
荒和大祓神事。古儀に従い飯匙堀で茅の輪をくぐり執り行われる。
還輿祭(かんよさい)。荒和大祓神事後、住吉大社に戻り第一本宮で執り行われる。例年ここまでで23時をまわる。

神輿渡御

住吉祭・神輿渡御の案内

住吉祭・神輿渡御の案内

神輿渡御は堺市区域最大の夏祭りです。

毎年8月1日、住吉大神の神霊を遷した神輿が行列を仕立て、住吉大社から御旅所である宿院頓宮まで巡行します。

神輿渡御は鎌倉時代以前からの歴史がある伝統行事で、イエズス会士として戦国時代の日本で宣教したポルトガルの宣教師ルイス・フロイス(1532年~1597年)が住吉祭について記した記録もあります。

十六世紀ごろに日本各地を旅したポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、住吉祭について詳細な記述を残しています。彼が記した『日本史』によれば、数百人の群衆は住吉大神の神輿に歓喜し、「千歳楽(せんざいらく)、萬歳楽(まんざいらく)」「平楽じゃ、平楽じゃ」と歌いながら進んだといいます。現在の神輿の掛け声「べえら」「べえらじゃ」はこれが訛ったものであり、住吉大神礼讃の言葉なのです。出典 住吉大社

大阪一の大神輿べえら

神輿の巡行は住吉大社から紀州街道を南下し、大和川の中洲で神輿受渡式が行われ、住吉地区を担当する巡行者から堺地区を担当する巡行者へと引き渡されます。

神輿受渡式では太鼓や火縄銃、花火といった演目が行われて大いに賑わいます。

大阪一の大神輿べえら

出典 住吉大社

時間 詳細
14:25頃 住吉大社を出発。宿院頓宮を目指して1,000人を超える行列が続く。
16:00頃 安立商店街に到着。軒すれすれに近寄って見せ場を作る。
17:00頃 大和橋上で大阪側から堺側へ神輿受渡式を行う。
17:10頃 行列は堺市に。堺の担ぎ手が音頭を取る。
18:30頃 阪堺線沿いを神輿が通る。
19:40頃 山之口商店街を過ぎる。
20:00頃 宿院頓宮に神輿が到着。

荒和大祓神事

荒和大祓神事

荒和大祓神事

出典 宿院頓宮 荒和大祓神事

荒和大祓神事(あらにごのおおはらい)は人形(ひとがた)に罪穢や災厄を託し、祓具と共に茅渟(ちぬ)の浦海に流して堺の平安と発展を祈る神事です。

茅渟(ちぬ)の海とは

現大阪湾の東部、堺市から岸和田市や泉南郡にかけての湾岸。和泉国湾岸の古名。

宿院頓宮に神輿が到着し、本殿で着輿祭(ちゃくよさい)が行われた後、飯匙堀で荒和大祓神事が執り行われます。

荒和大祓神事は元々、

  • 摂津国(せっつのくに/現大阪府北中部大半と兵庫県南東部にあたる旧国名)
  • 河内国(かわちのくに/現大阪府東部にあたる旧国名)
  • 和泉国(いずみのくに/現大阪府南部中央から南西部にあたる旧国名)

これらの国の夏越の祓(なごしのはらえ)として旧暦六月晦日(みそか)に行われていましたが、現在は住吉祭の最終日である毎年8月1日に飯匙堀で行われます。

宿院頓宮とは

宿院頓宮の案内

宿院頓宮の案内

宿院頓宮は住吉大社の御旅所、そして潮干珠の伝承地である飯匙堀で知られていますが、住吉大社の御祭神のほかに大鳥大社摂社 大鳥井瀬神社の御祭神が祀られているお宮でもあります。

宿院頓宮の御祭神

宿院頓宮の御祭神はこちらです。

  • 底筒男命(そこつつのおのみこと)
  • 中筒男命(なかつつのおのみこと)
  • 表筒男命(うわつつのおのみこと)
  • 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと/神功皇后)
  • 弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと/大鳥井瀬大神)

底筒男命・中筒男命・表筒男命の三柱を総称して住吉三神・住吉大神と言い、息長足姫命(神功皇后)を含めた四柱を総称して住吉四社大明神(すみよしよんしゃだいみょうじん)と言います。

住吉三神
住吉大神
底筒男命・中筒男命・表筒男命の総称
住吉四社大明神 底筒男命・中筒男命・表筒男命・息長足姫命の総称

住吉三神(すみよしさんしん)とは

住吉三神(すみよしさんしん)は神道で大事な「祓(はらえ)」を司る海の神様で浄化の御霊威があります。

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伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻り、筑紫(ちくし/つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)で禊をした時に三層構造の異なる海流から生まれた。

水底(地下水/海底)では底津少童命(そこつわたつみのみこと)の次に底筒男命(そこつつのおのみこと)。中底(海水)では中津少童命(なかつわたつみのみこと)の次に中筒男命(なかつつのおのみこと)。水面(潮の上の水/水面上/大気圏)では表津少童命(うわつわたつみのみこと)の次に表筒男命(うわつつのおのみこと)が現れた。少童命の三柱は少童三神(綿津見三神/わたつみさんしん)と呼ばれる。

日本書紀では底筒男命のことを底土命(そこつちのみこと)、中筒男命は赤土命(あかつちのみこと)、表筒男命は磐土命(いわつちのみこと)とも記されている。九州地方ではこの神名で祀られることが多い。

記紀から分かるように住吉三神は水の惑星と呼ばれる地球の3つの世界(海底・海水・大気圏)を象徴していることが考えられる。

住吉三神は奈良時代以前より航海安全の神、外交や貿易、あらゆる産業を守護する神として、朝廷をはじめとして多くの民衆から称えられました。

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摂津国住之江を治める有力氏族 津守氏(つもりうじ)の海上交通安全を守る氏神でもある。墨江之三前大神(すみのえのみまえのおおかみ)とも呼ばれる。津守氏は後の住吉大社宮司を務める。

航海安全などの御神徳がある神様ですが、神のお告げ(託宣)を伺う神託(しんたく)を司る神様でもあります。

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住吉三神は第14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の熊襲討伐(くまそとうばつ)の際、神功皇后(じんぐうこうごう)にお告げをした神様。神功皇后の新羅(しらぎ)遠征でも神託や守護、先導などに深く関わり国家繁栄へと導いた。新羅は古代朝鮮半島南東部にあった国。

住吉大社神代記(すみよしたいしゃじんだいき)や伊勢物語には和歌による神託もあったとあり、平安時代からは和歌・文学の神としても崇敬され、近世では松尾芭蕉や井原西鶴もお詣りしています。

住吉大社神代記とは

住吉大社神代記は古より住吉大社に伝わる全1巻719行の古典。巻末に記される731年(天平3年)が有力な成立年だと伝わる。主要部分は住吉大社の祭神の由来と鎮座が記されている住吉大神顕現次第になり、これに加えて神域・神宝・眷属神・各領地の境界や由来などが記されている。

息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)

息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)は朝鮮半島に遠征し、見事勝利へと導いた武神であり、第15代応神天皇(おうじんてんのう)となる品陀和気命(ほむだわけのみこと)を生んだ聖母神でもあります。

開運招福や安産、子育て守護の御神徳をお持ちです。

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息長足姫命は第14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の妃である神功皇后(じんぐうこうごう)。神仏習合の時代は聖母大菩薩(せいぼだいぼさつ)とも呼ばれていた。

仲哀天皇の熊襲討伐の際、住吉三神から神託を受けたのが息長足姫命(神功皇后)です。

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仲哀天皇は九州の熊襲(くまそ)を討伐するため、神功皇后に神がかりをさせて神託を得ることにした。仲哀天皇は琴を弾き、建内宿禰(たけのうちのすくね)は御神託を授かるために待機していると神功皇后が神がかり、

「西の方に国がある。金銀をはじめとして、目もくらむような種々の珍しい宝物がたくさんある。その国をそなたのものにしてあげよう。」

と神の言葉を発した。それを聞いた仲哀天皇は「高い所に登って西を見たけど国土は見えず、ただ大海原があるだけだ。」と言い、嘘を付く神だと思って琴を弾くのをやめてしまった。

神はひどく怒って「熊襲の天下は汝が統治すべき国ではない。汝はどこか一道に向かえ。」と言ったので、建内宿禰は仲哀天皇に琴を弾き続けるように勧めた。仲哀天皇は渋々琴を弾き始めたが、しばらくすると琴の音が聞こえなくなった。灯りをつけると天皇は亡くなっていた。

仲哀天皇の亡き後は息長足姫命(神功皇后)が軍を主導して新羅を平定しました。これが武神と崇められる理由です。

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仲哀天皇が亡くなった後、再度神がかりをして住吉三神の御魂を船に坐せれば加護を得られること、新羅を治めるのは神功皇后の御子であるという神託を授かった。神功皇后は神託を受けた神に名を問うと「これは天照大神(あまてらすおおかみ)の御意思である。また住吉三神である。」と答えた。

神託に従った神功皇后は住吉三神の加護を得て、建内宿禰と共に軍を率いて九州北西部に広がる海域の玄界灘(げんかいなだ)を渡った。大小の魚たちが集まって船を運び、さらには突然強い神風が吹いてその勢いで新羅へと進軍した。

大波を立てて上陸する様子を見た新羅は戦わずして降伏し、高句麗(こうくり)と百済(くだら/ひゃくさい)の国も無事に平定。これが新羅遠征。三韓遠征(さんかんえんせい)とも言われる。三韓を治めた神功皇后は新羅の国王の門に杖を突き立て、三韓の国の守護神として住吉三神の御魂を祀った。

なお、高句麗は朝鮮半島の大部分を支配していた国で、百済は新羅の隣、朝鮮半島南西部にあった国のこと。

弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)

弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)は日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃で出世開運・商売繁盛・縁結びの御神徳があります。

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別称は吾妻大明神。古事記では弟橘比売命、日本書紀では弟橘媛と記される。

御神名の橘(たちばな)は常緑樹で一年中緑の葉をつけることから永遠(強い生命力)の象徴とされる。古事記で第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)が多遅摩毛理(たぢまもり)を常世国に派遣し、不老不死の霊薬「時じくの香の木の実(ときじくのかくのこのみ)」を持ち帰らせたが、古事記の記述に「是今橘也(これ今の橘なり)」とある。

弟橘姫命を御祭神とする有名な神社には三浦半島の走水神社(はしりみずじんじゃ)や千葉県茂原市の橘樹神社(たちばなじんじゃ)がある。日本武尊と共に祀られることが多い。

日本武尊の東国討伐(東征)の際、自らの命を捧げて海を静めたのが弟橘姫命です。

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走水海(現神奈川県横須賀市)から房総(現千葉県南房総市)までの航海は荒波に襲われて難航したため、海神の怒りを鎮めるために同行していた后の弟橘比売(おとたちばなひめ)は自ら身を投げた。これで海は静まり一行は無事に対岸に着くことができた。その7日後、弟橘比売の櫛が海辺で見つかり、悲しんだ日本武尊は御陵(お墓)を造って祀り、東征を再開した。その後、日本武尊は東国の蝦夷(えみし)を討ち破り東国を平定した。

宿院頓宮の歴史

宿院頓宮が設置された年代は不詳ですが、住吉松葉大記には堺鑑(さかいかがみ)を引用し、「堺鑑云此地(宿院)は住吉明神毎年六月晦日の御払御旅所也。」と記されています。

住吉松葉大記とは

住吉大神の出現より筆を起こし、数多くの資料を基に詳細に渡って解説している書物。

堺鑑は1684年に刊行された堺区域に関する最初の地誌なので、江戸時代にはすでに住吉大社の御旅所であったことがわかります。

また、1795年(寛政7年)に刊行された住吉名勝図会(すみよしめいしょうずえ)の堺宿院之図には広さ「東西84間 南北60間(東西約152.7m、南北約109.1mの広さ)」とあり、広大な御神域だったこともわかっています。

住吉名勝図会とは

住吉名勝図会は江戸時代末期に刊行された住吉大社の名所や旧跡、景勝地などを風景画と共に解説している地誌。

その図によると、石の大鳥居・小鳥居、中央には神輿舎、南方には飯匙堀と甲之社の小祠、東方の名越の岡(なごしのおか)には舳松社(へのまつしゃ)と如意社(にょいしゃ)が併祀されていたようです。

名越の岡(なごしのおか)とは

明治頃まであった小高い丘のこと。

その府瞰図(ふがんず)を見ると、石の大鳥居、小鳥居を経て、中央に神輿舎があり、南の方に飯匙堀と甲之社の小祠、東の方に名越の岡(なごしのおか)があり、丘の上に舳松社(へのまつしゃ)と如意社(にょいしゃ)が併祀されている。

広さは「東西84間 南北60間」とあり、広大な神域であったことが分かる。出典 住吉大社宿院頓宮

1875年(明治8年)には住吉大社だけでなく、和泉国一宮 大鳥大社(おおとりたいしゃ)の御旅所にもなります。

明治以降は大鳥大社からも神輿の渡御が行われるようになり、現在は毎年7月31日に大鳥大社から宿院頓宮へ巡行する神輿渡御が行われています。

7月31日:夏大祭

この祭の起源は明治5年、堺市民の申し出により明治維新以来住吉社の御神幸もないので当国一の宮にて堺地へ御神幸して欲しいとの要望で8月13日に堺宿院頓宮への渡御が行われたのが始めであります。

当時は御鳳輦を中心に賑々しい渡御列を組み、道筋は小栗街道から湊を経て大阪紀州街道に出堺市北半町から左折し、七道濱にて少憩後中濱を経て宿院着、行宮祭を行い、帰路は山ノ口筋を経て小栗街道に出西の鳥居より還幸し還御祭を執行し斎了としていました。

今は、道路事情・神輿の舁き手問題等でトラックでの移動となり、湊と宿院頓宮で夫々駐輦祭、頓宮祭を斎行し本社に還幸いたします。出典 大鳥大社

1921年(大正10年)には堺の住吉大社と呼ばれていた波除住吉神社(なみよけすみよしじんじゃ)が宿院頓宮境内へ遷座します。

波除住吉神社とは

堺の吾妻橋通り(現堺駅前付近)の新地に住吉大社の御分霊を勧請(かんじょう)して創建。1860年(萬延元年)に堺港の北波止に遷座するが、1921年(大正10年)に住吉大社の境外摂社として現在地に移る。

なお、勧請(かんじょう)とは分霊を他の神社に移すこと。分霊しても元の神霊に影響はなく、分霊も本社の神霊と同じ働きをするとされている。

1922年(大正11年)には大鳥井瀬神社が宿院頓宮境内へ遷座します。当時は同じ建築様式の二社殿が西向きに併祀され、左の社殿に住吉大社の御祭神四柱、右の社殿に弟橘姫命が祀られていました。

当時の設計図に「右方大鳥」とあり、同じ建築様式の二社殿が西向きに併祀されていた。元の鎮座地は、石津川の東、八田荘堀上大明神山と云う。御祭神は、住吉四柱大神と弟橘姫命である。出典 住吉大社宿院頓宮

2つの社殿は1945年(昭和20年)の堺大空襲で焼失しますが、4年後の1949年(昭和24年)に兵庫県西宮市の廣田神社の用材で再建され、相殿(あいどの)となります。

相殿(あいどの)とは

二柱以上の神様を同じ社殿で祀ること。

1999年(平成11年)には本殿修復の造営が行われ、現在に至ります。

宿院頓宮のおすすめの順路と参拝方法

宿院頓宮のおすすめの順路と参拝方法をご紹介します。

①鳥居をくぐる

宿院頓宮の鳥居

宿院頓宮の鳥居

フェニックス通り(国道26号線)沿いにある鳥居をくぐります。

一般的な鳥居は柱が丸いですが、宿院頓宮や住吉大社の鳥居の柱は四角になっています。

②手水舎で身を浄める

宿院頓宮の手水舎

宿院頓宮の手水舎

鳥居をくぐったらすぐ右手に手水舎があるので身を浄めます。

③拝殿で参拝

宿院頓宮拝殿

宿院頓宮拝殿

*写真↑は狛犬を写すために遠目から撮影。

拝殿で参拝します。宿院頓宮の御祭神はこちらです。

  • 底筒男命(そこつつのおのみこと)
  • 中筒男命(なかつつのおのみこと)
  • 表筒男命(うわつつのおのみこと)
  • 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと/神功皇后)
  • 弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと/大鳥井瀬大神)

拝殿左手には授与所があります。

宿院頓宮の授与所

宿院頓宮の授与所

日によって開いてないこともあるので、事前に問い合わせることをおすすめします。

拝殿右手には「兜神社舊蹟(きゅうせき/旧蹟)」と刻まれた石碑があります。

兜神社の石碑

兜神社の石碑

堺鑑によると兜神社は神功皇后(息長足姫命)が帰陣した際、甲を神に祝い奉った所となっています。

当時は宿院町に鎮座していたそうですが、1908年(明治41年)に開口神社(あぐちじんじゃ)に合祀されました。

開口神社は宿院頓宮から徒歩約5分の所にある神社です。

④飯匙堀で参拝

宿院頓宮 飯匙堀の鳥居

宿院頓宮 飯匙堀の鳥居

拝殿の対面には潮干珠が沈まっているとされる飯匙堀があるので、鳥居をくぐって参拝します。

宿院頓宮 飯匙堀

宿院頓宮 飯匙堀

ちなみに、この反対側にも鳥居が建っていて「官幣大社 住吉神社飯匙堀」の石碑があります。

飯匙堀の鳥居

飯匙堀の鳥居

これで宿院頓宮の参拝は完了です。

宿院頓宮のアクセスマップ

住吉大社宿院頓宮
【住所】堺市堺区宿院町東2丁1-6
【アクセス】・南海鉄道南海本線 堺駅徒歩約15分
・南海高野線 堺東駅徒歩約15分
・阪堺電気軌道阪堺線 宿院駅徒歩2分
・南海バス 宿院下車 徒歩約2分
【駐車場】2台ほど宿院頓宮境内に駐車可。フェニックス通り沿いの鳥居から入り授与所前に駐車。

まとめ

海幸彦山幸彦の神話に出てくる潮満珠は住吉大社境内の大海神社前の玉ノ井に、潮干珠は宿院頓宮境内の飯匙堀に沈められていると伝わります。ぜひ両方のお宮を訪れてみてください。

園善博

園 善博|この記事を書いた人

京都出身の速習法インストラクター。経営の神様と呼ばれた松下幸之助など数多くの有名企業が神仏に祈念しているのを見て「目に見えない運気を高めることが成功につながる」と考え、独立してから風水や西洋魔術、神道、真言密教、陰陽道など、多岐に渡るジャンルを先生に師事し、15年以上学ぶ。独自の「速習法」や「勉強法」を公開した書籍は10冊を超え、講師歴12年で10,000名以上の受講生を輩出。→プロフィール詳細へ

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その場合はメールの振り分け設定をして頂くか、他のメールアドレスでご登録をお願いします。GmailやYahoo!メールは比較的届きやすくなっています。

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