京都市東山区にある日本最初稲荷神石社(にほんさいしょいなりしんせきしゃ)は、空海が祀った日本最初の稲荷大明神のご利益を授かることができる唯一無二のお社です。
現在では参拝者は少なくなっていますが、成功者がひっそりと通う特別な場所です。
この記事では、日本最初稲荷神石社のご利益やおすすめの順路と参拝方法、日本最初稲荷神石社と一緒に参拝したいお寺などをまとめました。
人生で成功したい方は特に、日本最初稲荷神石社で参拝することをおすすめします。
日本最初稲荷神石社のご利益
日本最初稲荷神石社の主なご利益は五穀豊穣・商売繁昌・家内安全などです。
空海が祀った日本最初の稲荷大明神のご利益を授かりに、経営者の方や芸能関係の方など成功者がひっそりと訪れています。
伏見稲荷大社に通っていたり、稲荷神社で毎月参拝している方は、日本最初の稲荷大明神に一度はご挨拶しておきたいところです。
日本最初稲荷神石社とは
日本最初稲荷神石社は京都府にある善能寺(ぜんのうじ)の境内(けいだい)にあるお社です。
善能寺は大同元年(806年)弘法大師空海の創建で、泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭(たっちゅう)の1つです。
塔頭(たっちゅう)とは
本坊に付属した寺院。わきでら。
日本最初稲荷神石社の御祭神
日本最初稲荷神石社の御祭神は空海が出会った日本最初の稲荷大明神です。
空海ゆかりのお寺である東寺(とうじ)の稲荷大明神流記(いなりだいみょうじんるき)では次のように伝わっています。
弘仁7年(816年)、修行中の空海は紀州田辺で稲荷神の化身である異相の老翁(おきな)に出会った。身長約2m40cm(8尺)、立派な体格で品位が感じられるが、それを表に出さない佇まいだった。
その老翁は空海に会えたことに喜び「私は以前そなたに会ったことがある神である。そなたには威徳がある。悟りを求め修行するとともに、他の者も悟りに到達させようと努める者になった。私の教えを受ける気はないか。」と語った。
空海は「霊山であなたに会った時の誓いは見た目が変わろうと忘れていません。私は密教を日本に広めたいという願いがあります。神様には仏法で守ってくださいますようお願いします。京の都の九条に東寺というお寺があり、そこで国家を護るための密教を興します。お待ちしていますので必ずお越しください。」と答え、仲むつまじく語り合い、神の化身と空海は約束を交わした。
弘仁14年(823年)正月19日、空海は天皇より東寺を賜り、法文や曼荼羅、道具等を運び、経蔵を納めて真言密教の道場とした。
同じ年の4月13日、紀州で出会った神の化身が稲を担ぎ、椙(すぎ)の葉を持って、2人の婦人と2人の子供を連れて東寺の南門にやって来た。
空海は喜び、近くの「芝守り長者の屋敷」を用意し、屋敷内に供祭所(ぐさいじょ)を設けた。(現在の伏見稲荷お旅所)その後、稲荷神は泉涌寺に移った。
日本最初稲荷神石社の歴史
元は東寺の東にあり、稲荷神の本地仏(ほんじぶつ)である聖観音を祀るお堂(二階観音堂)でしたが、弘仁14年(823年)に空海が稲荷大明神を祀る寺としてお寺の名前を善能寺に改めました。
本地仏(ほんじぶつ)とは
神の本来の姿である仏のこと。神仏習合の思想では人々を救済するために仏が神に姿を変えて現れた。本来の仏は本地仏で、神に姿を変えた姿は権現(ごんげん)という。
天文24年に後奈良天皇の命で泉涌寺の塔頭とされて今熊野観音寺の西北に移ります。
善能寺が現在地に移ったのは明治20年(1887年)のことです。
日本最初稲荷神石社のおすすめの順路と参拝方法
日本最初稲荷神石社のおすすめの順路と参拝方法をご紹介します。
なお、日本最初稲荷神石社がある善能寺は無人のお寺になります。
①日本最初稲荷神石社で参拝
善能寺の山門をくぐると
すぐ右手に日本最初稲荷神石社があります。
お社が2つあるので左から参拝します。左のお社の上には日本最初稲荷神石社の額が、
右のお社の上には稲荷大神の額があります。
②弁天社で参拝
山門から見て右手奥に弁天社があるので参拝します。池泉式庭園「遊仙苑」の先にあります。
この庭園は昭和47年(1972年)に作庭家の重森三玲によって造られました。この日は池に水がなかったですが、水が張られている日もあります。
山門からまっすぐ進んでお堂(祥空殿)の右側を通ると
正面に八の字のように見える大きな岩があります。
右手に小さな橋があるので渡ると弁天社があります。御祭神は芸能や財福の神として知られる弁財天です。
③祥空殿で参拝
祥空殿(しょうくうでん)で参拝します。御本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)で、洛陽三十三所観音霊場第18番札所になります。
祥空殿は昭和46年(1971年)7月3日、北海道横津岳で遭難した「ばんだい号」のご遺族が寄進されたものになります。航空殉難者の慰霊と事故の絶無を祈願して建立されました。
祥空殿の前には三尊石もあります。
「南無観世音 藤はようらく(揺落) 空に散る」俳人・荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)の句です。
祥空殿で参拝したら参拝は完了です。
日本最初稲荷神石社と一緒に参拝したいお寺
日本最初稲荷神石社に行く時は、泉涌寺の塔頭の1つ来迎院(らいごういん)にもぜひ立ち寄ってください。
来迎院は弘法大師空海が唐で感得した三宝荒神を奉安して開いたと伝わっている寺院です。
感得(かんとく)とは
道徳や真理を感じ悟ること
忠臣蔵で有名な大石良雄(大石内蔵助)の寄進による茶室含翆軒(がんすいけん)や大石の念持仏とされる勝軍地蔵像(しょうぐんじぞうそん)でも有名です。
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当時の来迎院の住職を務めていた卓巖和尚は大石良雄(大石内蔵助)の親族。浪人の身と大石は卓巖和尚を頼って檀家となり身分証明書を手に入れた。茶室含翆軒(がんすいけん)を設け、勝軍地蔵尊(しょうぐんじぞうそん)を念持仏として祈願し、討ち入りを成就した。
また、来迎院は空海ゆかりの独鈷水(とっこすい)を無料で頂けるお寺でもあります。
独鈷水(とっこすい)とは
弘法大師空海が仏具の独鈷を使って湧出させた水のこと。生まれつき目が不自由だった小少将局(霊元天皇の寵愛を受けた女官)の娘がお告げに従って独鈷水で目を洗ったところ、たちまち目が治ったと伝わっている。頭が良くなる水としても人気がある。
来迎院の行き方は簡単です。善能寺の山門を出て目の前に見えるのが来迎院になります。
来迎院のおすすめの順路と参拝方法
来迎院(らいごういん)のおすすめの順路と参拝方法もご紹介します。
①荒神堂で参拝
来迎院の山門をくぐり、そのまま真っ直ぐ進みます。
正面の石段を登ったところにあるのが荒神堂(こうじんどう)です。
荒神堂には重要文化財である木造の三宝大荒神像と木像護法神立像五躯が安置されています。
出典 来迎院
当初は空海自ら荒神坐像を製作したと伝わっていて、荒神坐像は木造では日本唯一、極彩色の玉眼に唐風の衣冠束帯を身につけています。
三宝荒神(さんぽうこうじん)とは
火と竈(かまど)の神。台所など家の火所に祀られることが多い。
来迎院の荒神坐像は胞衣(えな)荒神とも呼ばれ、古くは皇后宮の安産祈願所となり、現在も安産を祈願する参拝客が多々訪れています。
胞衣(えな)とは
胎児を包んでいた胎盤や卵膜などのこと
現在では「ゆな荒神」として親しまれています。
②鎮守社で参拝
荒神堂の左手から進んでいくと鳥居があり、
その奥に鎮守社があるので参拝します。
三宝大明神・三尊大明神・若宮大明神が祀られています。
鎮守社に向かう途中の右手には宝船があり、たくさんの布袋尊(ほていそん)が納められています。
京都では昔から初午の日に伏見稲荷大社に参拝し、参道で売っている布袋尊の伏見人形を釜戸さん(おくどさん)近くの荒神棚に並べる風習があります。
布袋尊は火防布袋と言われ、背中に火の字を書いて荒神棚に祀ると火難除けになるからです。
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釜戸さん(おくどさん)はご飯を炊くかまどのこと。荒神棚はかまどの近くで荒神(三宝荒神)を祀る棚のこと。
大きさ様々な布袋尊の伏見人形がありますが、小さいものから順に1年に1体ずつ集めていきます。
その家に住んでいる家族の誰にも不幸がなく、その年を穏やかに過ごすことができたら、翌年の初午の日に少し大きい布袋尊を買います。
それを繰り返し、7年で7体揃ったら七福神(福の神が7体)に通じて縁起が良く、財産が貯まり、火難を免れることができると言われています。
もし途中で家の人に不幸があった時は布袋尊の人形を川に流すか納札所に納めるなどして、翌年からまた1体ずつ集めます。
この宝船にある布袋尊の人形はみなさんが納めた伏見人形になります。
③本堂で参拝
荒神堂まで戻り、石段を降りると右手に本堂があるので参拝します。(山門から見たら石段の左手にあります)
正面から見るとこのような感じです。
本堂には御本尊の阿弥陀如来(寺伝によると運慶の作)や霊元天皇の念持仏である幻夢観音菩薩、大石内蔵助が吉良邸の討ち入り成就を祈願した念持仏の勝軍地蔵尊(しょうぐんじぞうそん)が祀られています。
勝軍地蔵尊は鎧兜を身につけた珍しいお地蔵様です。
出典 来迎院
来迎院の仏像はすべて秘仏なので実際に拝見することはできませんが、三宝大荒神と勝軍地蔵尊の仏像写真は本堂で頂くことができます。(各1,000円)
④独鈷水を頂く
石段の方まで戻り、石段の右手にいらっしゃる弘法大師空海にご挨拶し、
こちら↓の場所に進みます。
ここが独鈷水(とっこすい)を頂ける場所です。
ちょっとわかりにくいですが石碑もあります。
こちらにも空海がいらっしゃるのでご挨拶し、
下の扉を引っ張って開けます。少し開きにくいので、開かない時は強めに引っ張ってみてください。
開いたら近くにある長い柄杓を手に取ります。大体このあたりにかかっています。
柄杓を使って水をすくいます。少し暗いですが奥に独鈷水があります。
無事独鈷水をすくえました。
独鈷水をすくったら右にある棚のような所でペットボトルなどに入れます。
私は500mlのペットボトルに入れて頂きました。
独鈷水はそのまま飲むことができますが、不安な方は独鈷水をお風呂に入れて入浴するのがおすすめです。
ちなみに、弘法大師像の右手には祈願の御石があります。
お願い事を書いた御石を持ち、弘法大師の像の周りを三度巡り、前にある石碑の梵字に御石を当てて祈念して納める場所です。たくさんの御石が積まれています。
⑤含翆軒を拝見する
大石良雄(大石内蔵助)の寄進による茶室含翆軒(がんすいけん)は山門から見て左手にあります。大人は300円、小中高生は200円で拝観可能です。
含翆軒は元禄15年(1703年)12月14日の吉良邸への討ち入りまでの間、同志たちを呼び密議を交わしたと言われている場所です。
興味がある方はぜひ一度拝見してみてください。
ただし、現在のものは大正時代の名匠上坂浅次郎氏によって建て替えられたものになり、見ることができるのは庭と茶室だけとなっています。(遺品などは防犯上の都合で非公開)
これで参拝は完了です。
日本最初稲荷神石社のアクセスマップ
■日本最初稲荷神石社(善能寺内)
【住所】京都府京都市東山区泉涌寺山内町34
【アクセス】・京都駅(八条口)からタクシーで約10分
・京都駅(烏丸口)から市バス(208)で泉涌寺道下車、徒歩約11分
・奈良線 東福寺駅から徒歩約17分
日本最初稲荷神石社は善能寺をマップに設定して行くとわかりやすいです。こちらの道から進んで行くと、
すぐ右手に「日本最古三宝さんゆな荒神」の看板が見えるので右に進みます。
来迎院は右と案内があるのでそのまま進みます。右手にある建物は宮内庁書陵部 月輪陵墓監区事務所です。
さらに進むと
看板が見えてきました。右にあるのが日本最初稲荷神石社がある善能寺で、左にあるのが来迎院です。
まとめ
日本最初稲荷神石社は荘厳な雰囲気を感じる場所です。知る人ぞ知るお社にぜひ一度参拝してみてください。